23:祭りの夜に(後)

 混雑を掻き分け、出店を冷やかしながら、ようやく十六夜城に到着した。

 ここはよりいっそう人が多く、公園に設置されたステージでは、吸血鬼モデルのトークショーが行われている。テレビなんかにも出ているらしいが、おれはエンタメに疎いのでよく知らない。すらりと背の高い彼女はルビーのような瞳が魅力的な美人だったけれど、カラーコンタクトを使用しているとネット上では噂されている。「吸血鬼であることを売り物にしてる」と叩かれているのも見たことがあるけれど、別に誰に迷惑をかけるでもなし、おれは別にいいと思う。

 ステージのそばに、派手な男女の軍団がたむろしているのを見つけて、「げ」と声が漏れた。そのうちの一人が、見覚えのある中学時代の同級生だったからだ。根っから陰キャのおれは、陽キャの群れがどうにも苦手なのだ。

 気付かれないうちに離れようとしたのだが、群れの中にいた背の高い男が、こちらを向いて「あ」と声をあげた。


「ナギ! なにやってんの?」


 声の主は零児だった。こっちに来いとばかりに手招きをされたが、正直行きたくなかった。陽キャに弄られているところなんて、好きな女の子に見られて嬉しいものではない。

 しかし隣で一番ヶ瀬さんが「呼ばれてますよ」と言ったので、おれは渋々足を向けた。


「うわ、ナギが女の子と一緒にいるー! 生意気ー!」


 甲高い声を出したのは、おれの幼馴染である黒崎くろさき静奈しずなだった。スカートつきの黒いビキニのような装いで、背中には蝙蝠の羽根をつけている。一番ヶ瀬さんよりも露出が激しく腹丸出しだったが、なんとも思わなかった。ぶっちゃけ、ありがたみゼロ。

 静奈はおれとは関わりのなさそうな派手なギャルだが、零児と同じくガキの頃からの腐れ縁のため、そこそこ交流がある。


「だれだれ? あたしたちにも紹介してよ」

「なんか見たことある気がする。ナギと同じ、B組の子じゃん?」


 静奈と零児があっという間に一番ヶ瀬さんを囲い込んだ。しまった、こいつらにだけは見つかりたくなかったのに!

 歯噛みしているおれをよそに、一番ヶ瀬さんは愛想良く「こんばんは」と挨拶をしている。零児はまるで値踏みするように、一番ヶ瀬さんのことをじろじろ観察していた。

 ……ああ、ついに零児が一番ヶ瀬さんの存在に気付いてしまった。せめてマントの前を閉めていてよかったと、心の底から思う。


「はじめまして、一番ヶ瀬陽毬です」

「うわ、かわいい! ナギのくせに、いつのまにこんなかわいい彼女作ってんのー?」

「ちゃんと俺らにも報告しろよ、水くせーな」

「いや、一番ヶ瀬さんは彼女じゃなくて……」

「彼女じゃありません。クラスメイトです」


 おれが答える前に、一番ヶ瀬さんにきっぱり否定されてしまった。本当のことではあるのだが、その躊躇のなさがおれを傷つける。

 ショックを押し殺しながら黙っていると、静奈は「ふぅん? 仲良さそうだけど」と言いつつ、ニヤニヤと繋いだ手を見てくる。照れ臭くなって振り解くと、一番ヶ瀬さんはちょっと悲しそうな顔をした。


「それにしても、あのナギが女の子連れてくるなんて! マトモに女子の目も見て喋れないような童貞なのに」

「お、おい!」

「お二人は、薙くんと小さい頃から仲良しなんですか?」

「うーん、仲良しってワケじゃねーけど、腐れ縁だよなー。こいつ、昔っから陰気で辛気臭くてさあ」

「よく一人で遊んでたから、あたしと零児が仲間に入れてあげたんだよねー。でも鈍臭いから、あたしらに置いて行かれたくないってしょっちゅう泣いてたっけ」


 信楽先生といいコイツらといい、なんでみんなおれの泣き虫エピソードばっかり披露するんだ。

 ぽんぽんと無遠慮に頭を叩かれて、おれはムッとした。零児もかなりの長身だが、静奈もおれより十センチほど背が高い。あいだに挟まれると、おれの身長が高くないのが際立ってしまう。まるで囚われた宇宙人のようだ。せっかく少し背が伸びたと思って喜んでいたのに、台無しである。


「ひまりちゃん、タメでしょ? あたしのことは静奈って呼んで!」

「では静奈ちゃんで。スタイル良くてモデルさんみたいですね。背中の羽根も可愛いです」

「でしょでしょー。これ今年のトレンドなんだよ」

「俺、E組なんだけど知ってる?」

「はい。前に、薙くんと一緒にいるとこ見たことあります。うちのクラスの子が、かっこいいって騒いでましたよ」

「マジ? 誰誰?」


 一番ヶ瀬さんはさすがのコミュ力で、あっというまに二人と打ち解けている。むしろ幼馴染であるおれの方が蚊帳の外である。別にいいけど、一番ヶ瀬さんを取られたようで面白くない。

 零児と静奈に気付かれないようにこっそり、一番ヶ瀬さんのマントを掴んだ。ぐいぐい、と軽く引くと、一番ヶ瀬さんがちらりとこちらを向く。目が合った瞬間に、にまーっと顔いっぱいに笑みを浮かべた。恥ずかしくなって、ふいと視線を逸らす。


「わたしたち、もうそろそろ行きますね」

「えー、一緒に回んねえの?」

「あたし、ひまりちゃんともっと喋りたーい」

「絶対嫌だ。おまえら、余計なことしか言わないだろ」

「ごめんなさい。じゃあまた」


 一番ヶ瀬さんがそう言って、おれの手をぎゅっと握る。二人はもの言いたげにしていたけれど、深入りせずにおれたちを見送ってくれた。次に会ったときにあれこれ追求されそうな気がするが、仕方がない。

 二人が見えなくなってからも、一番ヶ瀬さんはやけにニコニコしながらこちらを見ていた。居た堪れなくなって「なに?」と尋ねると、「うふふ」と不気味な笑い声をたてる。


「わたしにほっとかれて拗ねてる薙くん、可愛いです」

「……別に、拗ねてないよ」

「ふふ、それは失礼」


 ……拗ねてると思われるのは心外だったけど、一番ヶ瀬さんがご機嫌だからまあいいか。

 楽しげに鼻歌を歌う彼女と手を繋いだまま、展望台を通過する。恋人同士が鳴らすと幸せになれるという例の鐘には、大量のカップルが押し寄せていた。「すべての人間に恐怖による支配を」と謳っていた十六夜麟太郎氏がこの光景を見たらショック死するかもしれない(もうとっくに死んでるが)。


 祭りの空気を楽しみながら城内をウロウロしているうちに、城の裏側へと来てしまった。

 ここには出店もないし、祭りの喧騒からはかなり離れている。かなり暗くて静かな場所だ。まずい、これではわざと人気の少ない場所に連れ込んだと思われるかもしれない。


「あ、ご、ごめん! なんか変なこと来ちゃったな……戻ろうか」


 慌てて引き返そうとしたおれの腕を、一番ヶ瀬さんがぐいっと引いた。こちらを見つめる瞳には、悪戯っ子のような光が宿っている。


「……薙くん。今日まだ血飲んでませんよね?」


 マントの前を寛げた一番ヶ瀬さんに、おれの心臓がどきりと跳ねる。隠されていた谷間が嫌でも目に飛び込んできて、一瞬で興奮が高まるのがわかった。頼む、おれの目よ、赤くなるな。


「誰もいませんし……ね?」


 甘えた声を出して擦り寄ってくる。最初は恥ずかしがっていたわりに、ずいぶんと積極的だ。一番ヶ瀬さんの羞恥心のスイッチはよくわからない。

 人目は気になったが、目の前の据え膳を食わずにはいられない。おれは彼女の両肩を掴むと、剥き出しになっている首に控えめに噛みついた。

 露出が高いせいか、密着した身体の柔らかさをいつも以上に意識してしまう。おそらく少し視線を下に移せば、ふたつの膨らみがおれの胸板に押し潰されているのが見えるだろう。ええい、余計なことを考えるな。

 おれが唇を離すと、一番ヶ瀬さんは軽くこちらにもたれかかってきた。「大丈夫?」と尋ねると、こくんと頷く。


「……飲みすぎたかな」

「ううん、大丈夫です。今日、楽しいですね」


 一番ヶ瀬さんは笑ってくれたけれど、おれは申し訳なさに目を伏せた。

 

「ごめん。今日、あんま祭りっぽいことできなくて……信楽先生とか、零児とか静奈にも捕まるし……」


 せっかくの祭りなのに、ただウロウロして血を飲んだだけで、デートというにはあまりに冴えない結果である。いや、デートだと思っているのはおれだけだろうが。

 おれが落ち込んでいると、一番ヶ瀬さんはやや怪訝そうに瞬きをした。


「……しずな?」

「え、うん」

「……薙くん、あの子のこと静奈って呼んでるんですか?」

「うん、幼馴染だし……」

「ふぅん……」


 一番ヶ瀬さんはそう言って、唇を素早く舐めた。彼女にしては珍しく、ちょっと怖い顔をしている。

 不安になって「どうしたの」と尋ねると、「なんでもないです」とやや拗ねたような声を出した。じっと見ていると、ぷくっと丸いほっぺたが膨らむ。


「……怒ってんじゃん」

「お、怒ってません」


 否定しながらも、真っ赤な唇が尖っている。さっきまでご機嫌そのものだったのに、女の子の気持ちはおれにはよくわからない。

 ただひとつだけわかるのは、怒っている一番ヶ瀬さんも可愛いということだ。

 おれが困り果てていると、一番ヶ瀬さんは唐突におれの首元に唇を寄せた。ポニーテールが鼻先をくすぐる。甘い香りにドギマギしていると、かぷ、と一番ヶ瀬さんがおれの首に噛みついた。


「……!? な、なななななななに!?」


 彼女の奇行に、おれの口からは悲鳴にも似た声が飛び出す。歯形もつかないくらいの強さで甘噛みされるのは、痛いよりもむしろくすぐったい。

 一番ヶ瀬さんはしばらくかぷかぷしていたが、気が済んだのかようやくおれから離れた。未だ鳴り止まぬ心臓の鼓動を抑えつつ、おれは尋ねる。


「えっ、どっ、どうしたの。は、腹減った?」

「……なんとなく……したくなったので」

「だ、だからって噛むことないだろ……」

「だって、今夜はわたしも吸血鬼ですから」


 そう言って、彼女は闇の中で妖艶に微笑む。間近で見るには眩しすぎる笑みに、おれはもうとっくに魅了されているのだ。おれよりも一番ヶ瀬さんの方が、よほど吸血鬼の才能がある。

 月の光が柔らかく降り注いで、夜の風がポニーテールを揺らす。恋人たちが鳴らす鐘の音が、なんだかやけにロマンチックに響いている。

 多少幸せを噛み締めたところで、十六夜氏も今宵ばかりは大目に見てくれるだろう。なにせ祭りの夜なのだ。

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