第2話 ☆錆びとり☆
玄関の真上に、2階の部屋の窓に取り付けられた手すりがあります。
ポロポロと粉になる程の錆びに覆われています。
昭和という時代に、思春期を過ごした私には、おしゃれに見える形です。私が何とかするつもりでした。
錆を磨いて落として、市販の錆止め剤を含んだペンキを塗るのです。スプレーと刷毛を使えば、ムラなく塗装できる気がしていました。
前に、アンティーク風の花台を、100円均一で販売されているスプレー塗料で、色を変えた時は、うまくできました。
それよりは、少し大きな手すりですが、きっとうまくできると思いました。
金属の枠に、模様ガラスの入った作りは、その頃、高級感に溢れていたはずです。
今は、重たいだけで、壁もたわみ、開閉が一苦労で、ガタガタと音がするのですが、私は、模様ガラスも気に入っていました。
一戸建てに、独り暮らし。
古民家ではありません。
やっと、もみくちゃの人生の現場から抜け出した気がしました。
眩しかったはずの若い頃の体験に
輝きを感じるどころか、恥ずかしさを覚えました。
すこしづつ、錆びとりに汗をかく今の毎日が、何だか眩しく思えたのです。
人生の灯火が、カンテラのように、自分の周りの僅かな周囲だけを照らしている気持ちになりました。
今日、なんて輝かしい日だろう、と思っても、それは、私にとってだけで、お隣さんには別の嬉しいことや、眩しいことがあるに違いないのです。
私は、この先の毎日で口数が減るでしょう。
今は、パソコンに言いたいことを打ち込んで、その量と言えば、尋常ではないけれど、そのうち、言葉を手繰ることも、億劫になるのではないかしらと思いました。
どのように、だんだんと老いていくにせよ、私はそれを、自分で計画していきたいと願っていました。
ゆっくりと、錆びとりを進めることも、その一つです。自分で磨くことで、古い日本の文化と馴染んでいるのです。
九十九神と言います。長く人に関わる物には、気配が宿るという考え方です。
縁の1つの考えの入り口です。
家は、人を守ります。
だから、縁の強い人は、物から事を察することもかないます。
老いの道は、死出の旅路とも言います。
あの世が近くなるということは、あの世の風を辿って、あの世の入り口にたどり着くということでもあります。
きっと私は、夢見などで、この家から話を聞きたいのに違いありません。
丁寧に、錆びとりをして、ペンキ塗りをするのは、顔にできた染みを隠すのと、同じような気分なのかもしれません。
その窓から差し込む日差しのあたる場所には床の間があります。拳1つ分の穴が空いていました。蛇や鼠が出入りするのも困るので、私は粘土でそこを塞ぎました。
夏の台風で、バタバタと煽られたベランダの庇も、釘で止めなければなりません。
私には、やるべきことがたくさんあって、
自営業の業務が、引っ越したばかりで、反応が緩いのをよいことに、家と荷物を片しながら、通常の5倍は時間をかけて、スローライフを実態していました。
錆びとりは、ブラシと雑巾で、ごしごし磨くことから始まります。粉が大方落ちたら、雑巾で拭いて、余計なものが残らないようにします。刷毛で、ペンキを塗ったあと、同じ色のスプレーで、接続部分の隙間にもしっかり塗装が入り込むようにします。あとは、乾くのを待つだけ。触っても、手が汚れないようになるでしょう。そうすれば、テラコッタを飾れます。
家は、パートナーです。何も出来ない私ですが、できる限りのことをするのは礼儀だと思いました
…続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます