非枯葉
ひかりは以万
第1話 ★檸檬の種★
近所のスーパーで、
レモンをまるごと購入したんです。
とてもまっすぐな香りが好きで、時々
まるごとを買います。
私は、その頃、離婚から立ち直れず
他人からあてがわれたイメージは
瞬く間に、霧散して
周りから、人が居なくなりました。
人生で、もう、何度目かの出来事で
私は「人の絆」という言葉を全く信用していませんでした。
イビツな気持ちと言われても仕方のない意識だからか、まっすぐな香りを求めたんだ、と思うことにしました。
自己治癒反応だろうと、勝手に判断して、私は、そのまるごとレモンから、種を取り出したのです。
硬い外皮に被われた種の中に、胚芽があるということを、ユーチューブで知りました。
物は試しとばかりに、6月、種を蒔いてみました。
あっという間に発芽して、気をよくした私は、残りの種も外皮を剥がし、次々と、21粒を蒔いていました。7月になっていました。
私の暮らす町は、冬には雪が10センチは積もります。レモンを外に放っておける環境ではなかったのです。私は、9月、小さな発芽の集団を鉢に移しました。
10月、やっと本葉を出し始めた7月組は、急な冷え込みを越えられず、あっという間に枯れていきました。
ところが、一番はじめの、全くたどたどしい手元で、外皮を剥がした苗だけは、鉢の中で、生き残ったのです。冬の間も、エアコンの効いた部屋で、すこしづつ丈を伸ばし、私は、嬉しくて、液肥を混ぜた水やりを、楽しみに、日々を過ごすことができました。
年越しをする頃には、失った親権の代わりに、レモンの成長に意識を注ぐようになっていました。
混んできた葉を少し摘んだとき、指にレモンの香りが移りました。
恥ずかしながら私は、このとき初めて、レモンが、全身で香りを作っていることを知りました。
(この子は、私の世話に、応えてくれている!)
根拠なく、そう思いました。
そして、成長する檸檬のために、鉢植えにせずに冬越しできる環境が必要だと、思い詰めるようになりました。
まるで、子供に向ける関心を、檸檬に向けているのですから、良い環境で育ててあげたいというのは、当たり前に膨らんでくる思いでした。私は、引っ越しを急いでいました。
1年目の秋、枯らさないために、鉢におさまった苗は15センチほどの丈でしたが、冬を越えて、春に土に移して、30センチほどに急成長していて、揚羽蝶に襲われていました。卵を引き受けた檸檬は、自分が何をされるか、わかっていたのでしょうか。
古い葉の、半分ほどが食い散らかされていました。私は毎朝、鳥のふんに擬態した揚羽蝶の幼虫を葉ごとちぎって、離れた場所に捨てました。そうなっても、虫すら殺せませんでした。檸檬は、大きな刺を作っていました。必死に抵抗しているのだと、申し訳なく思いました。
子供を失った私を、運命が気の毒に思ってくれたのか、私は、中部地方に、住む場所を見つけることができました。暑い最中の8月。
2年目の檸檬をつれて、檸檬に良い土地に移住がかなったのです。
早速、家の敷地の片隅に、檸檬を植えました。私が、引っ越しの荷物をほどく僅かひと月で、檸檬は更に10センチは丈を伸ばし、まるで中高生の男子のように、幹らしい幹を形成しはじめていました。緑色の茎のようだった主茎は、割れたところから灰色になって、固くなっていました。まるで私の妊娠線のようでした。
柑橘仲間のミカンの産地は、日本では和歌山や愛媛などが有名です。中部の瀬戸内海にも近いこの地域で、檸檬が喜んでいるのは確かなことだと思えました。
21粒の種のうち、最初の一粒だけが、丸1年で、私の膝丈に届く苗に育ちました。
その一粒は、私が種を世話して蒔いて
数年後、「檸檬の木」になるはずです。
新しい命に、言の葉はないけれど
私の世話がなければ、まだ、枯れてしまう命です。
いずれ私が、老いて、何もかもわからなくなっても、まっすぐな香りが、きっと、子供の面影を思い出させてくれるでしょう。
まるで、現実とは全くかけ離れているのに
うまくいった親子関係のように
レモンの香りが、見送ってくれるはずです。
老いのお供に、こんなに良い香りを運ぶ命が
居てくれることが、私には、心の支えにも慰めにもなっていました。
…続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます