日曜日:1

 深夜の学校なんて、人生初の経験だ。

「君、うちの研究所へ昔よく来てたんだって?」

「はい。まあ、その頃は研究所というか、別のもの買いに行ってたっていうか、まあ」

 博士との対面だったが、俺は別の人物に気をとられていた。

 博士の隣には知らない男が立っていた。ポマードか何かを塗り込んだオールバックの髪。この蒸し暑い中、着ている服は黒いスーツに黒いシャツ。夜なのに黒いサングラスをかけているが、ちゃんと目が見えているのだろうか。アウトドア用のでかいバックパックを、片方のショルダーだけで背負っている。

「聞きましたよ。なにやら怪しげな生物がいるのだって?」

 この市内でもっとも怪しい男が、俺と冴子に言う。

「彼は殺し屋なんだ」博士は言った。「小学生のときから友達でね」

 なんて紹介だよ、と心の中で突っ込みながら、俺は物思いに耽った。同じ高校の女子高生を基点として、専門分野不明の学者、殺し屋、と劇的に人脈が拡がっていくことに人生の不思議を感じる。

「別にミミズを殺すわけじゃないけど、荒事に慣れてるらしいから頼りになると思ってね」

「まずはそいつを見せてくれ」

 殺し屋は塀をよじ登って、頂上で四つん這いになった。やはり何度見てもあほみたいな恰好だ。

「この臭いは何だね」

「ああ、それ。多分ウンコです」

 彼はミミズと糞をまじまじと見つめて何事か思案した後、バックパックを脇に置いて、中からマシンガンを取り出した。マジでマシンガンだ。バックパックには他にも円筒状の缶みたいな物がぎっしり詰まっていて、それらは間違いなく手榴弾だった。ピンを抜いたら爆発するあれだ。

「待て待てまてまて、殺すわけじゃないと今言ったばかりだろうが」博士が手を振り回す。

「気にしないでくれ。持っていると落ち着くんだ」

 いやこっちが落ち着かねえよ、とその場の誰もが思う中、彼は高校生ふたりに自らの銃を自慢し始めた。

「君たちは初めて見るに違いない」銃口の付近をそっと撫でる。「ドイツ製の業物だ」

「はあ」

「どうだね、黒光りしているだろう」わざとらしく大きな音をたてて、折りたたみ式の銃床を伸ばす。「45口径弾を25発も撃てるのだ」

「はあ」

「これはサプレッサーという」彼は銃口に長い筒をはめ込み、それを撫でさすった。「銃声を抑制することができる。まさに夜に生きる暗殺者のための物だ」

「はあ」

「どう思うかね」

「ぴっかぴかですね」

「どうだね」

「がっちがちだわ」

「そうだろう、そうだろう」とりあえず殺し屋は満足した様子だ。「これが男の強さの象徴というものだ」

 こんな目立つ人たちが、よく学校へ侵入できたものだ。

 博士が台車を運んできた。上に載っているのは大きな檻と蛇用の捕獲棒。

「思ったよりもでかいなこれは。蛇用の捕獲棒で充分かと思ったんだが」

 犬みたいな情けない姿勢をとりながら、博士は塀の上で捕獲棒を構える。首締められた鶏そっくりのかけ声を発し、下のミミズめがけて突き出すが、なかなか上手くいかない。

「くそっ、ちくしょうっ」

 すばしこいし、やっと捕まえたと思えば、ぬるぬるした体表のせいで滑り抜けてしまう。

「そんなへっぴり腰でやるからだ。どれ、私が代わろう」ここで業を煮やしたのは殺し屋である。

 彼は博士から捕獲棒をひったくった。初めからお前がやれば良かったのに。

「むう、これは、なかなか、難しいな」

 結局、殺し屋も手こずっている。

「私の堪忍袋の緒もぶち切れた。こんな棒は役にたたん」察するに、なかなか短気な殺し屋らしい。「私が下に降りて直接抑え込んでやる」

 彼は捕獲棒を投げ捨てると、マシンガンを手に取った。

「だから銃はいらないってさっきから言ってるだろ」博士は言った。

「大丈夫。気分の問題だ気分の」

 殺し屋は勇躍、塀から飛び降りた。それが悲劇のきっかけであり、悲劇とはたいてい度重なって起きるものだ。

 夜に生きる暗殺者は、着地とともにミミズの粘液で脚を滑らせたのである。おっとっとという生やさしいものではなく、全身を地面に叩き付けるがごとき破滅的な滑り方だった。後頭部が打ち付けられ、あろうことかマシンガンが暴発した。

 ぱちんっ、と乾いた音が響いた。

 サプレッサーとやらはきちんと仕事をしたようだ。それが銃声とも気づかなかったほどの、情けない音だった。

 ふと横を見ると、博士はまったく動いていない。眉間に赤い穴ができていた。そして後頭部が踏みつぶされた果実のように崩れている。

 弾が博士の頭に命中したのだ。博士は前方に突っ伏し、蛇口から流れる水のように、頭の穴から血が垂れ落ちる。やがて上半身の重みに耐えかねて、身体全体が万歳の姿勢で堀の中へ落ちた。

 博士の死体にのしかかられ身動きのとれない殺し屋に向かって、ミミズがキノコみたいな頭をツンと突き出した。そしてゆっくり這い寄っていく。

「き、君! どけ! どきたまえ!」

 死体に呼びかけるも空しく、殺し屋はミミズの毒牙にかかった。

 ミミズは殺し屋の股間にかぶりついた。無数の釘のような歯が金属を思わせる音をたてて噛み合わさる。地下室に絶叫が響いた。その手に頼みのマシンガンはない。暴発させたときに落としてしまったのだ。

 ミミズは美味そうに口をもぐもぐさせて殺し屋の肉片を味わって呑み込むと、今までとは違う咀嚼方法を実践した。殺し屋の股間に開いた穴に向かって、自らを挿入し始めたのだ。頭を裂傷に押し当て、じくじく滲み続ける血と涎を混ぜ合わせて潤滑剤とする。一センチ、一センチと凶悪な頭が殺し屋の下半身を拡張して、蹂躙していく。

「ヤられてる、へへへ、俺がヤられてる」

 巨大な生物を受け入れた下腹部は裂け、大腸と小腸がこぼれ出た。

 殺し屋は身体の内側から喰い散らされて果てた。

 底なしの食欲をもつミミズは、今度は博士の死体に向かっていった。どうやら新しい咀嚼方法を気に入ったらしい。博士の口をこじ開けながら体内に侵入していった。

 二人は骨も残さず消えてしまった。

 いまや血液の浅いプールと化した塀の中で、ミミズは全身をのたくらせて新たな変態を始めた。メリメリと音をたてて成長し、透明な皮を脱ぎ捨てる。

 さらに大きくなったミミズは、頭を俺たちに向けた。これまでは塀の上にいる俺たちを「見上げる」かたちだったが、今はそうではない。鎌首をもたげるだけで、すでに塀の高さを超えている。

「うわっ、逃げろ!」

 俺は隣を見る。冴子はそこにいない。すでに彼女は塀から降りて、地下室の扉を開けて逃げようとしていた。

 ミミズは尾をバネにして、俺に向かって飛びかかった。

 驚いた俺はのけぞって塀から真っ逆さまに落ちる。途中で一回転し、人生でもっとも痛い尻餅をついて着地した。

 幸いそれがミミズの牙からの回避をもたらしてくれた。

 飛びかかったミミズは塀を越えるどころか、勢い余って地下室の扉を抜けていった。

「今だ、閉めろ!」

 とりあえず、冴子は自らの生死が懸かっているときだけは俊敏に動く。勢いよくドアを内側に引いた。ミミズが「しまった」と言わんばかりにくるりと振り向いたがもう遅い。ドアは重たい音をたてて閉まった。

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