土曜日

 俺にとって、月曜日から金曜日までの学校生活は、足のつかない水の中を泳いでいるようなものだ。土曜日曜の休日は、貴重な息継ぎの時間である。できるならば家から一歩も出ずに過ごしたい。

 休み明け、佐々木がいつも「休みに何してた?」と訊いてくる。そのときは「中学時代の友達と会ってた」「地元のやつらと遊んでた」とでも答えておく。本当はそんなことしていないのに。

 ところが、今日は本当に地元のやつと顔を合わせている。しかもわざわざ高校で。

「私、土曜日に学校なんて初めて来たわ」

「お前が来いって言わなきゃ、俺も来たくなかったよ」

 ランニングしている野球部の連中とすれ違った。

「あのハゲども、休日にわざわざご苦労様だわ。そのまま毛根が死滅してしまえばいい」

 屋外で練習している吹奏楽部の女子を見かけた。

「気取った女。あいつが口で吹くのはフルートじゃなくて、顧問の股間のフルートでしょうが」

 すれ違う者すべてに呪詛を吐かなければ気がすまないらしい。

 俺たちが辿り着いたのは、結局いつもの地下室だ。

 平日だろうが休日だろうが、消えない悪夢のごとくミミズはそこにいた。

「で、誰に相談するんだよ」

 冴子は携帯電話を取り出して言った。

「学者よ」

「何の学者? お前にそんな大層な知り合いがいるのか」

「昔からの知り合い。あなたも顔を合わせたことがあるわ」

 どんなに記憶の底をひっくり返しても、学者の知り合いなんて見つからない。

 ビデオ通話により、男の青白い顔が映し出された。年齢を推測するのが非常に難しい。老け顔の20代のようだし、童顔の40代にも見える。白っぽい肌は、羽毛をむしり取られた鶏とでも表現しようか。正直、羽毛をむしり取られた鶏を見たことはないのだが、多分こんな感じに違いない。どう好意的に見ても健康的な雰囲気ではない。

「やあ、君か」神経質そうな甲高い声がスピーカー越しに聞こえてくる。「そこにいるんだろ?」

「博士? ちょっと見辛くてごめんなさい。約束どおり新種の生物を見せるわ」

 冴子は携帯電話のカメラをミミズに向けた。

「これは今までにない生物だ」スピーカーがハウリングした。「なんかよくわからんが、とにかくすごい発見だぞ」

「そうでしょう。私も見つけたときはおったまげたわ」

「俺にもついにツキが巡ってきたなこりゃ」博士はブツブツ呟いている。

 俺は、冴子に顔を近づけて小声で尋ねた。

「なあ、あの人はそもそも何の博士だ」

「先月までの話だけど」冴子は頭を振る。「地球と文明、人間の在り方を考える、とか言ってたわ。でも今月からは工学系の発明家に鞍替えしたそうよ。そういえば先々月は……」

「君があのミミズを紹介してくれたから、今日は生物学者だ」サラダ記念日みたいなこと言いやがって。「さて、外部に公表するかしないかは後々決めるとして、まずはそいつをどこかに連れていかなくちゃな」

「なによ、ここへマスコミでも呼べばいいじゃない」

「馬鹿もの。僕は第一発見者って設定だぞ。つまり部外者だぞ。中年男が高校をうろついていたってことになるんだぞ」

「まあ、確かに」

「道行く女子高生にウインクしただけでとっ捕まる世の中でそれはまずい。ミミズよりもそっちがニュースになる」

「まあ、確かに」

「どこか適当な外で発見したってことにする。とにかく学校から僕の研究所へ移すぞ」

 後で冴子が教えてくれたが、研究所とは彼の実家のことらしい。

 記憶の奥底から、博士の顔がおぼろげに浮かんだ。

「あ、この人」

「覚えてる?」

「駄菓子屋の兄ちゃんだ」

 実に懐かしい顔だった。俺たちが小学生の頃通っていた駄菓子屋。優しい老婆がいつも会計をしていた。子どもたちはそこで飴やらカードゲームを買っていたわけだ。

 たまに老婆がいないとき無表情で店番をしていたのが、そこの息子だった。若いんだか若くないんだかよくわからなく、肌が妙に生っ白いのは今も昔も同じだった。

 あの駄菓子屋はすでに店じまいして久しい。

「あの人、こんなふうになってたんだな」

「あそこのおばちゃんが死んだあたりから、変なこと言い始めるようになったわ」冴子は小声で言いながら、自分の頭を指さす。「多分、ここがおかしくなっちゃったのね」

 狂人かもしれないが、一応ミミズの受け入れ先を決めることができたわけだ。俺か冴子が家にミミズを連れ帰り、「ねえ、この子を飼っていい?」なんて言えるわけがない。

「明日の夜、僕が直接そっちに行く。君たちが案内してくれ」

「え、明日は日曜日だぜ」俺は冴子を見る。「勘弁してくれよ」

「いいわ。詳しい時間なんかは後で連絡するから」

 なんてこった。

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