水曜日

 昨日からずっと山崎君の声を聞いていない。佐々木の根回しは、教室で山崎君を孤立させることに見事成功したらしい。

「お前がトイレに行ってる間に、また貞子が来てたぞ」佐々木が言った。「お前ら、毎日昼休みに何してんだ?」

 まただ。気色悪いミミズのことに違いない。

 俺が地下室に到着すると、冴子は興奮の面持ちだった。

「すごいことになったわ」

 ミミズの横には、なぜかスーパーで売られているような赤い肉が落ちていた。さらにその脇には、透明なビニールか薄いゴム状のものが、濡れそぼり皺だらけになって積まれている。あれは何だろう。

「このミミズが何を食べるか確かめようと思って」冴子は携帯電話を取り出した。「朝一番でここに来て実験してたの」

 液晶画面上で、動画の再生が開始された。場所はこの地下室、冴子の後ろ姿が映っている。彼女の横には、なぜか大きなバッグが置かれていた。映像の中の冴子は、カメラを掴んで場所を移動させた。カメラの視界から冴子とバッグが消えて、今度はミミズが収められた。

「見てなさい。これからいくつか物を食べさせるから」

 ガザゴソとバッグを探る音がした後、映像の中に白い発泡スチロールのパックを握った手が現れた。その正体は牛肉だった。ラップを剥がして素手で肉を掴み、下のミミズに向かって放る。べしゃっと音をたてて肉がミミズの傍に落ちるが、肝心のミミズはまったく興味がなさそうだ。

「生肉には反応しなかった。でも次の餌がどんぴしゃりよ」

 次に冴子が手に掴んでいるのは、じたばたもがいているハムスターだ。なんてやつだ。

「おい、マジか」

「この子、ヒマワリっていうの」彼女は齧歯類を愛おしそうに見る。「ほんと、大嫌いだった」

 ミミズは生肉には目もくれず、ハムスターが地面に落ちるよりも前にキャッチした。ハムスターはピンク色の口に呑まれ、無数の針のような歯に全身を刺され、撹拌され、真っ赤なジュースとなって喉の奥に消えていく。

「やばいでしょう」

「お前がやばいよ。自分のペットを食わせるか」

「驚くのはまだ早いわ」冴子は携帯を俺の顔にさらに近づける。「もっと大きい餌も試してみたの」

 バッグをまさぐる音。何かの動物の鳴き声。

「おい、次は何だ」

 冴子は猫を抱きかかえていた。猫はなんとか自由にならんと腕を引っ掻き暴れ回るが、ミミズの頭上へと運ばれていく。

「なんてこった」

「野良猫よ。私、猫嫌いなの。かわいいから」

 二本の白い腕は、猫を放した。猫は一旦床に落ちると、俊敏に動いて逃れようとした。しかし垂直の囲いを駆け上がろうとしたところを、ミミズに捕まってしまった。猫ほどの大きい生き物なのだから、今度は丸呑みというわけにはいかない。カメラは猫の踊り食いを克明に収めていた。

 ミミズは口を大きく拡げると、猫の尻に噛みついた。そして口を激しく動かして柔らかい肉を噛んでいく。猫は鳴きながら全身で抵抗するが、尻、後ろ足、腹、前足の順番で少しずつ咀嚼され、胸に達する頃にはすでに絶命していた。ガラス玉のように力無い目がミミズの口中に消えていくまで、骨がばりばりかみ砕かれていく音がノイズ混じりで地下室に響いていた。

 冴子は動画を一旦停止した。

「どう、やばいでしょう」

「ああ、やばいよ。ミミズがどうこうじゃねえよ、お前が一番やばいよ」

「私はどうでもいいわ」冴子はミミズに向けて顎をしゃくる。「あのミミズについて、何か気づいたことはない?」

「きもい」

「もっと考えて。他には?」

「めちゃくちゃ凶暴」

「他には?」

 俺は、床に残ったままの牛肉を見た。

「まさか、生きた動物しか食べないってことか」

「その可能性は非常に高いわ。でもね、もうひとつ気づいたことはない?」冴子はにんまり笑う。「よく見て、ようく」

 俺はミミズをまじまじと見た。

 ミミズが昨日よりもわずかに大きい。なんとなく太さがたくましい。

「そうでしょ、昨日よりでかくなってるでしょ」

 冴子は再び動画を再生した。

 口周りをべったり血で汚したミミズが映っている。猫一匹を食べ終わり、どことなく満足した様子でじっとしている。するとミミズが小刻みに震えはじめた。血管が浮き出て、全身が蠢動する。

 自分の目を疑いたくなる光景だった。ミミズの体はあきらかに太く長く伸び始め、その拡張に耐えられなくなった全身の皮が破れる。ミミズは蠕動しながら古い皮を脱ぎ捨てて、ビニール状のそれを脇に除けた。透明な粘液が糸をひく。

 食事で栄養を得ることによって、瞬時に成長して脱皮したのだ。針のような歯はさらに伸びて、明らかに本数が増えている。

「人を喰べさせたらどうなるかしらね」冴子は嗤った。

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