第3話「恋人」

 桜塚歌子。二十歳。


 タイトル戦登場回数20回。タイトル通算0期。


 この記録を簡単にまとめると、女流棋戦で20度優勝してタイトル戦を20度も経験しているが、肝心のタイトル戦で勝てずに未だタイトル獲得には至っていない。と言うことになる。


 女流タイトル戦は五戦か三戦。多くて五戦中三勝でタイトル獲得。少ないと三戦中二勝でタイトル獲得となる。十度以上もタイトル獲得に王手をかけていながら大一番でいつも負け続けてしまった。


「もう嫌。私はタイトルの取れない運命にいるのよ」


 二十回目のタイトル挑戦となる女流名人戦で、宿敵でもある黒泉真理亜女流五冠にフルセットの末二勝三敗で敗れて、さすがの姉さんも弱音を吐いていた。


 その年の七つある女流タイトル戦全てに参加して全て敗れると言う珍記録を樹立してしまった我が姉弟子は、風邪で動けなくなっている俺の看病をしながら女流タイトルが取れないことへの愚痴を延々と俺に聞かせていた。


「姉さん」


「何よ?」


「真理亜さんがいなければって思ったことある?」


 ちょっと意地悪な質問をしてみた。


 姉さんの手が一度止まる。


「ないと言ったら嘘になるけど、私がここまでこれたのはきっと真理亜のおかげよ」


 姉さんはそう答えた。


 これが本心なのだから桜塚歌子は立派な人物だ。


「でも悔しい」


 そう言って濡れタオルを俺の額に乗せる。勢いがあってちょっと痛かった。


 意地悪な質問をしたせいだが、後悔はしていない。


 姉さんが女流タイトルに二十回挑戦している間に、俺もとうとう三段リーグを抜けてプロになった。


 四段昇進が決まり、俺が最初にしたことは姉さんへの告白だった。


 かつて『せめてプロになってから言いなさいよ。三段リーグをいつまでの抜けない半人前が生意気!』と言われて振られたが、プロになった今ならいける。


 そう思ったのだが。


『ようやくスタートラインに立った状態でしょう。プロで何一つ結果を出してない癖に生意気!』


 そんな感じで振られてしまった。


 そして今年のデビュー初年度の俺の成績は勝率は6割を達成するまずますの出だしだったのだが、新人戦を始め若手の棋戦でも大した結果は出せなかった。


 将棋も恋も結果が出せない。特に恋方面が酷い。


 俺と姉さんは以前と変わらずに、外に出掛ける時は手を繋いで歩く。


 恋人っぽいエピソードなら星の数ほどある。


 気分転換にと温泉旅行に二人で出掛けた時には混浴に一緒に入ったりもした。


 唇にはないが、頬になら結構な頻度でキスされている。


 それなのに、告白は一切成功しない。


 こっちの対戦成績も十敗以上だ。姉さんのタイトル挑戦と違ってこっちは惜しくもなんともなくあっさり敗北して終わるわけだが。


「姉さん。看病してくれてありがとう。そろそろ寝るよ」


 ただでさえ風邪で弱っているのに思考がマイナスの方向になっている。眠ったほうがよさそうだ。


「ねえ、晋太郎。寝る前にちょっとだけいい?」


「なんですか。姉さん」


 閉じた目を開いた。


「私の事。今も好きだったりする?」


「……………今なんて言った?」


「私の事。今も好きだったりする?」


 聞き違いかと思って聞いてみると一字一句同じ言葉がもう一度放たれた。


 なんかとんでもない質問が来てしまった。


「む、昔好きだったからって今も好きだと思うんじゃねえぞ」


 混乱して思わず変な感じで返事してしまった。


 嘘だ。今でも大好きだ。


「そう」


 俺の言葉を聞いた姉さんは少し寂しげな表情に変わった。


「悪かったわね」


 姉さんはただそれだけ呟くように言った。


「姉さん?」


「ずっと私に付きあわせて悪かったと思ってるのよ。アンタも来年二十歳でしょう。プロ棋士になったんだし、彼女でも作りなさいよ。結構アンタの事好きって言う子は多いみたいだし、もう外に引っ張ったりしないから」


「嘘です。ごめんなさい。大好きです。これからも傍にいてください」


 姉さんの言葉を遮って起きあがって土下座した。


「し、晋太郎?」


 姉さんが驚いていた。


 俺も急に起きあがったせいでふらふらした。


「ほら。横になって」


 姉さんに促されて再び横になった。


「私の事、もう好きじゃないと思った」


「何で」


 あんなに告白しているのに。


「最後に告白されてから一年以上告白されてないし」


「告白できるほどの実績が出せなかっただけ」


 あれ、なんだろう。この感じ。告白すれば行けそうな。いやいや、いつもそう思って告白して失敗しているだろうが。


「姉さん。俺のこと好き?」


「好きよ」


 一か八かの質問にとんでもない答えが返ってきた。


「アンタに告白されるのはいつも嬉しかった。でも女流棋士のトップになるまでは恋なんてしていられないと思ったけど、それにいつまでも付きあわせているのも悪いから」


「そんなことない。これからも姉さんの傍にいたいよ」


「ありがとう。じゃあ今度告白されたら、「はい」と返事するわ」


 それを聞いて俺はまた起きあがった。


「ちょっと。風邪悪化するわよ」


「構わないよ。人生最良の日だ」


 俺は姉さんに向かって正座する。


 姉さんもそれに合わせて俺の向かいに座る。将棋盤がないだけでいつもの二人の位置関係だ。


「姉さん。いや。歌子さん。俺と付き合って下さい」


「はい。よろしくお願いします」


 俺の姉さんへの告白は、十五度目の挑戦でようやく成功した。

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