第4話「報告」
村木晋太郎。十九歳。
日本将棋連盟所属。プロ四段。
姉弟子であり女流棋士界の若きトップ棋士である桜塚歌子さんと付き合うことになった。
そのことをお世話になっている人に報告しないといけない。
師匠には無事に祝福された。
祝福されたのだが、「あれ、まだ付き合ってなかったのか」と言われて歌子さんと顔を見合わせて笑ってしまった。兄弟子たちも似たような反応だった。
両親と師匠の一門に報告するとして、実はそれ以外には改めて報告する必要のある人物はいない。
俺も歌子さんもそこまで親しい友人はいないのだ。
互いの両親にも報告した。こちらも顔見知り過ぎて両家共にあっさりと終わった。
*
「やあ、村木」
「天宮」
将棋会館の中を歩いていると、現在名人位挑戦中の怪物と出会った。
「桜塚さんと付き合っているんだって。おめでとう」
「ありがとう」
祝福されて素直に礼を言う。
「ずっと好きだった人とか羨ましいよ」
「……お前なんでその事を知っているんだ?」
天宮には報告していない。誰かから聞いたりしても詳細は知らないはずだ。
「見てればわかるよ」
ずっと雲の上の存在だと思っていた人物からそんなことを言われて思わず目頭が熱くなった。
「そっちはこの前できた新しい彼女は?」
「もう別れた」
……世間話的な感じで聞いたのだがなんか悪い気がしてきた。
「そうか。なんか悪い」
「いや、別にいいよ。なんか長続きしないんだよな」
昔はすぐに彼女ができるこの男が羨ましいとも思ったが、こちらはこちらで悩みがあるらしい。
「やあ、晋太郎君」
「真理亜さん」
歌子さんの永遠のライバル。黒泉真理亜女流六冠が現れた。
「珍しいね。竜王と一緒か」
確かに天宮と会話する機会はなかなかない。
「それよりも黒泉さん。聞きましたか。村木が桜塚さんと付き合うことになったんですよ」
それを聞いて黒泉さんが固まった。
「真理亜さん?」
俺は心配になって真理亜さんに声をかけた。
「……そうか。君と歌子が」
そう呟くと真理亜さんは急に涙を浮かべた。
「ま、真理亜さん?」
「すまない。失礼する」
そのまま俺に背を向けて真理亜さんは去っていった。
何だったんだ。今のは。
「黒泉さん。いつから村木のこと好きだったんだろう」
横で天宮がそんな事を呟いた。
「ちょっと待って。真理亜さんが俺を?」
全然接点がないぞ。
「いや、今の見れば一目瞭然だろう」
そう言われればそうだが、マジで接点がほとんどない。
「晋太郎。ここにいたの」
真理亜さんとのエピソードを考えていると愛しき我が恋人が現れた。
「あら、天宮竜王。先日はNHK杯の優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます。桜塚先生。村木との交際の件お聞きしました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
二人とも他愛のない話をしているが、歌子さんに天宮が変な事を言う前に退散してほうがいい気がしてきた。
「行こう。歌子さん」
歌子さんの手をとった。
「それじゃあ、行くよ」
「またな。村木」
「ああ」
天宮と別れた。
その後、歌子さんと二人で歩きながらその時の事を振り返った。
さっきの真理亜さんとのことを伝えるべきか否か。
少しだけ考えて、結論が出た。
このことは黙っておこう。
別に真理亜さんと何かあったわけではないし、天宮が言っただけで真理亜さんが俺の事を好きかどうかなんてわからないし、そもそも真理亜さんが俺をどう思っているかをはっきりさせようとも思わない。
「どうしたの。晋太郎」
歌子さんが考え込んでいる俺に尋ねてきた。
「いや、俺ってもてるのかなって思って」
「少しは自覚あったの?」
「自覚?」
「前にも言ったけど、アンタの事好きな子は結構いるんだからね」
そう言う目の前の人物こそもてる。
全然友達でもない奨励会員やプロ棋士から紹介して欲しいと言われる事もあったしファンも多い。
俺がもてるとは思えないが、俺が持てるならお互い様だ。こっちこそ自覚を持ってもらいたい。
「可愛い子でも見つけた?あきらめなさい。アンタはもう私のものよ」
そう言われて固まった。
「何よ。なんか文句あるの?」
「いや、歌子さんが可愛いなって思っただけ」
そう言って歌子さんに無言で頭を軽く叩かれてから、俺は歌子さんと二人で手を繋いで歩き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます