第3話

 最初の客はカプチーノだった。

訂正、常連の女性のお客だった。

俺は見て開口一番、新しい人ねと驚かれた。

どうやらこの店はアルジ一人──男と女の二人分の時間が長いらしい。

ふわふわのカプチーノが入ったボウルを両手で包むように持って飲んではほうと一息ついている。


 二番目の客は初老の男性だった。

スモークサーモンとチーズ、スクランブルエッグのサンドイッチは遅い昼食か、本を読みながら黙々と食べていた。


 三番目と四番目の客は学生だった。

席を着くや否や勉強道具を並べ、カフェラテとフラットホワイトを注文した。


 アルジは男に化けていた。


 カウンター越しに俺は聞く。


「いつも男?」


「時々だね」


「女の時は?」


「夜が多いかな」


「そういえばここって何時まで?」


 するとアルジはカップを二つトレーに乗せて俺に渡した。

学生二人の注文だ。


「ああそうか、グレイは眠るんだったな。開けっ放しだよ」


 この店の灯りが消える事はないという。


「……アルジは寝ねぇの?」


 カップから甘い匂いがした。


「必要がないんだよ」


 今度は噛むなよとアルジは、さっき俺がかしこまりましたをかしこまりんしたと言ってしまったのを聞いていたらしい。


「──お待たせしました」


 まだ慣れない言い回しに落としてしまわないかと震える手を何とか耐えた。

ありがとうございますと男女の学生が言う。

その瞬間、ほんの一言、胸が鳴った。

何だろうと一礼してカウンターに戻るとアルジがにやけていた。


「……失敗しなかったけど」


「うん、良く出来たね」


 そう言いながらアルジは俺の頭をくしゃりと撫でた。

払いたかったが我慢する。


「……ガキじゃねぇんだから──」


「──この褒め方は嫌か?」


 まだずっとガキの頃を思い出す。

良い事をしたら頭を撫でてもらえた。

良い子良い子と褒められた。

久しぶりのそれはこそばゆく、かゆい。

そしてアルジはこう言った。


「今日も誰かが笑う。『Doe』はそういう場所だよ」


 アルジと俺が居て、客が居る。

店の形としては普通の事だ。

食べ物と飲み物のかちゃりと鳴る食器の音、テーブルと椅子の軋む木の音、音楽と誰かの音と声の言葉。


「さっきの続き。夜中は僕が起きてるから、グレイは大丈夫な時だけここにおいで」


 何とも変なシフトだ。

かと言って二階の住処以外出歩く予定もない。

はた、と俺は気づいた。

変でもこんな好条件な処に行きついた俺は恵まれているのかもしれないと。

だから今まで言ってなかった言葉を吐いた。


「……ありがとう、ございます」


 すぐに背中を向けたのはくすぐったいから。

後ろでアルジが笑う。

きっとにやけている。


「こちらこそ。今日の夜ご飯は何にしようか」


 化け物は食べる事が好きらしい。


「……アルジは何が食いてぇの?」


 横目同士がぶつかった。


「グレイが食べたいものを」


「じゃあ……焼き魚」


 僕の好物だとアルジはおもむろにエプロンを外し、買い出しに行ってくると裏へと行ってしまった。

まだレジの仕方を教えてもらってないんだがと俺はまた一つ緊張を背筋に通すのだった。

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