ある魔術師の回想 2
「そこで少し待っていて下さい、すぐに火を起こしますから」
私は暖炉に向かいました。寒い季節ではありませんが雨に濡れたままでは冷えてしまうと思ったのです。
薪をくべながら横目に見たお客様は玄関で呆けたように店内を見渡しています。
その時フードの下から現れた顔は、やはり女の子のそれで、年は十代前半と言った印象でした。
「わあぁ、凄ーい」
当店はいたって普通の店です。内装に変わったものもありません。自分としては何が凄いのか分かりませんでした。ですが彼女には何か興味が引かれるものがあるようで、瞳を輝かせ暫くそうやって店内を眺めていたのです。
「映画みたいだね、ね、ピーちゃん。ピーちゃん? あ、ごめん、話しかけちゃ駄目なんだっけ、ごめんね。えへへ。わー、あ、ピーちゃんあれ見てあれ」
何やら独り言も呟いていましたが、良く聞き取れなかったのと、こちらに話しかけている様子がなかったので私はそのままにしていました。
やがて暖炉に火が入ったので彼女に言いました。
「どうぞこちらに来てあたたまって下さい」
「わわ、ありがとう!」
彼女はそのまま店の奥に歩いて来ようとしました。
「あ、ちょっとすみません、脱いでください、それ、商品が濡れちゃいますから」
「あ、ごめんなさい」
彼女はそう言って素直に外套を脱ぎました。中には見た事のない服を着ていました。大きな飾りのような襟が付いている滑らかな白いシャツと、規則正しく幾つも折ひだの付いた膝丈ほどのスカート。その服装は強いて言うなら船乗りのような服装でした。
「じゃあ、お邪魔します」
彼女は雑に丸めた外套を手に持ってそのまま歩いて来ようとします。
「ああ、待って待って、それ持ってたら同じです、ほら、やっぱり店が濡れちゃいますから」
私は駆け寄って彼女から外套を受け取りました。案の定まだびしょ濡れです。
「……ん?」
その時気が付いたのですが、外套が濡れている割に彼女は少しも濡れていないのです。
随分防水性が優れているなとそれを眺めていたのですが、彼女が踏み出した足を見て私は驚いて一瞬で興味が移ってしまいました。
「あ、あの、靴はどうしたんですか?」
裸足だったのです。
「うん、えへへ、燃えちゃった」
「燃えちゃった?」
「うん、でも、大丈夫だよ。私小学校の時、裸足教育で慣れてるから。この方が早く走れるし」
「小学校?」
「うん、あ、でも流石に中学校からは靴履いてたけどね」
訳が分かりませんでした。ですがその時には、何となく彼女が話の通じ難いタイプの人間であると、私は勘づいていました。商売人としての勘です。
「あー……、なるほど、そうなんですね」
余計なことには突っ込まず、軽く玄関先を整理し改めて彼女に暖炉の近くの席を進めました。
彼女は席に着いてもまだ店内を見回しています。
ちょうどお湯が沸けていた事もあり、私はお茶の用意をして彼女の前に差し出しました。
「どうぞ、熱いから気を付けて下さいね」
「わ、ありがとう。熱っ!」
間髪入れず行きました。
「うん、熱いですから」
直ぐに口に持って行った彼女を見て、人の話聞かねえなこいつ、と少し警戒心を抱いたのは今度は商売人の悪い癖でしょうか。
とにかく段々このお客様に対する認識が固まって来た事もあり、私は彼女の向かいの席に座って早々に本題を切り出しました。
「それで、志願表の代書をご依頼と言う事でしたっけ?」
「そうです、そうそう、しがんしょー、しが、ひがん……」
「志願表」
「ごめんなさい、舌火傷しちゃって」
「いえ、それならこちらこそ熱いお茶を出してしまって、ごめんなさい」
「あ、でも大丈夫。心配しないで、すぐ治るから」
「お水でも用意しましょうか?」
「あ、治った」
心配させまいとした彼女なりの冗談でしょうか。
「そんなに直ぐは治らないんじゃないですか」
「でもお水は下さい」
「はい」
微笑ましいと感じながら私は彼女に自家製の果実水を出しました。丁度手近な所に瓶が置いてあったのです。
「あれ、このお水……」
「分かりますか?」
その果実水は私が山に入り採水して来た貴重な湧き水と、厳選したこだわりの果実で作った自慢のものでした。
「分かります。ちょっと腐ってますよね。なんか酸っぱいです」
「はい、ええ、取り替えますね」
後悔しました。
ただの水に取り替えて私は仕切り直しました。
「えーと、それで、志願表ですよね」
「うん、何か、軍隊? に入るには必要なんだって聞いて」
「そうですね」
「私字が書けないって言ったらこのお店の事を教えてくれてそれで来たんですけど」
代書業をしておりますとそんなお客様も度々やってきます。さして珍しいことではありません。
「そうでしたか、確かにうちには志願表の代書依頼の方は良くいらっしゃいます。お急ぎなんですか?」
「え、ううん、急いでないよ。何で?」
「あ、いえ、こんな嵐の中いらっしゃるものですから。……因みにうちの事はいつ聞いたんですか?」
「さっきです」
「あ、じゃあ、もう本当直ぐ」
「うん」
「そうですか。でも何も今日……、締め切りが近い、と言う訳でも、ないですよね」
「締め切り? は分かんないけど、ほら、善は急げって言うじゃないですか」
「え、あー、まあ分からなくはないですが」
「私、道を歩いてたら、男の子が大きい車に轢かれそうになってるのを見ちゃって、それで危ないって思って、飛び出したんですよ。そうしたら気が付いたら森の中で、近くにピーちゃんが居て、ピーちゃんと一緒に旅をしてたんですけど、最近ピーちゃんが軍隊に入った方が良いって言うんです。それで軍隊に入ってみようかなって」
「うん、はい、急に、あの、全然分からないんですけど。うん、まあ、はい、分かりました。じゃあ、早速書いて行きましょうか志願表」
「凄い、本当に書けるんだ」
「ええ、そう言う商売ですからね」
私は店に常備している志願表の用紙と筆記具を用意して改めて彼女に向き合いました。
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