第2話 おじいさんは語らない

 村人は鬼を追い払った記念に、宴会を開こうと桃太郎を誘いましたが、

「おじいさんが待っていますから」

と、島の反対側にあるおじいさんの家へ向かって、海岸に沿って歩いてゆきます。

 既に太陽は水平線の先に沈み、空の裾をわずかに赤くしているだけです。

 そこを頼りなく歩く華奢な桃太郎は、誰が見ても鬼を追い払えるようには見えませんでした。

 波の音が辺りを包んでいます。

 桃太郎は以前から、自身の出生についておじいさんに探りを入れていました。

 けれどもそれについて話してもらったことはなく、直接聞いたとしてもはぐらかされるばかりでした。

 成長速度とその強さについて、自分のことでありながら教えられることのなかった桃太郎。彼女は重い足を、それでもまっすぐおじいさんの待つ家へと向かって進めました。

 すっかり日が沈み、星々が夜空にきらめくころ、真っ白な家が豆腐くらいの大きさに見えてきました。おじいさんらしき人影がこちらに向かって走ってきます。けれどもおじいさんは砂浜に足を取られて転んでしまいました。

 桃太郎はおじいさんに駆け寄り、手を差し出します。

「おかえり、桃太郎。今日はずいぶんと遅かったじゃないか」

「心配をかけてごめんなさい。立てますか?」

「まだ足腰はしっかりしているよ」

 おじいさんは自力で立ち上がり、体についた砂を落としました。

 それから桃太郎の顔をジッと見て、

「さあ、帰ろう」

と、手をつなぎ、二人の家へと帰っていきました。


「さて、聞きたいことがあるんだろう?」

 異国のお茶を入れたおじいさんは、桃太郎の横に座ってカップを渡しました。

 桃太郎はこの酸味の利いた飲み物が、ほんの少し苦手でしたが、いつもの香りに安心して今日の出来事をおじいさんに話しました。

「そうかい、そうかい。そうだね。私は鬼たちが来る日を確かに予測していた。だがそれは……」

 おじいさんは書斎からいくつかの書類を持ち出し、桃太郎に渡しました。

「鬼がこちらに来るようになってからの、鬼が来た日と鬼が盗っていったものに関する記録だ。単純に、鬼が以前に盗っていった物の量と、次に来るまでの日数には相関関係があった。それだけだ」

 そういいながら、表を指しました。

「鬼は滅多に私たちの家の方まで来ないから、鬼が来るだろうと予測できた日に、早く帰ってくるよう言っていたんだ。万一のことがあってはならないからね」

 桃太郎は村から早く帰った日、いつもおじいさんが桟橋で落ち着きない様子だったことを思い出しました。

「ではなぜ、それを村の人には伝えなかったのですか?」

「伝えたとして、余計な誤解を生むだろう」

 おじいさんは桃太郎の頭を撫でます。

 いくら村の人々が、他人の事情に寛容だからといっても、鬼という脅威の前では別です。くわえておじいさんは、村にもなじめずここでひとり暮らしていたのですから。

「では、私はいったい何者なのでしょうか」

「桃太郎は桃太郎だよ」

 おじいさんはそう言いましたが、桃太郎が納得しないことはわかっていました。ですから、桃太郎の手にある書類から、一冊のバインダーを取り出しました。

「君の観察記録だ」

 めくると最初に、大きな桃の写真と、その大きさや重さについて書かれたページがありました。

 ページを進め、自身が桃から生まれたこと、その異様な成長速度と丈夫な身体について桃太郎は初めて知りました。

 ですがそのバインダーはページを進めるごとに、研究という名目よりは、彼女の成長記録といったアルバムへと変わっていきました。ささやかで主観の多い文章の添えられた、華やかで可愛らしい記録です。

 桃太郎は、それ以上はおじいさんに尋ねませんでした。


 翌日、桃太郎はひとり浜辺を歩いていました。

 昨日の今日ですから、村へ顔を出すのもはばかられます。

 だからといって、おじいさんといる気にもなれなかったので、白い砂浜に足跡を残すだけの時間を過ごしていました。

 鬼ヶ島の見えるところまで歩いてくるころには、すっかり日が高くなっていました。ちょうどそこに村の方から何人か、桃太郎の方へ駆けてきます。

 嫌な予感がしつつも逃げ場のない桃太郎は、黙って彼らを迎えました。

「桃太郎ちゃん、昨日はえらく助かったよ。あの後何もお礼が出来なかったのだから、できれば今日、今からでもどうだろう」

 ですが今日の桃太郎にはそんな元気もありません。

 それでも村の人々は食い下がりませんでしたから、桃太郎はいつの間にか村に連れていかれていました。たくさんの人に囲まれながら、桃太郎は昨日のことについて問われたり、鬼をいずれ対峙するように頼まれたりしていました。

「私は、鬼と戦う気はないのです」

と言えば、「私たちを見捨てるのか?」という声がどこかから聞こえてきます。

「私も私の力について知らないのです」

と言えば、「あのジジイの怪しい発明に違いない」と聞こえてきます。

 多くは桃太郎に表面的に好意的でしたが、みんなそう考えているのかもしれないと、居心地が悪くなました。

 日が沈むころにようやく解放されて、逃げるように家へ帰りました。

 村の人たちの様子をおじいさんに話すと、おじいさんは桟橋の方に目をやりました。

 立派な桟橋であるのに、たった一隻のおじいさんの小舟が泊まっているだけです。

「それならずっと遠くの国へ行こう。鬼もいなくて、君のことを詮索する人もいない場所まで行こう」

「そんなことが出来るのですか?」

「さてね。けれども、出来ないと決まったことでもない。私には世界を旅した船があるから、そんな場所にたどり着くまで進めばいい。もし君が海を嫌いでないのなら、ここよりずっと南に行こう。エメラルドグリーンの美しい浅瀬が広がる、小さな島で出来た小さな国がある。穏やかな場所だ。もし君が草木を愛するなら、ここよりずっと西に行こう。なだらかな稜線が続く、緩やかな山脈の続く大陸がある。そこではたくさんの自然が君を迎えてくれるだろう。もし君が静けさに美しさを見出すなら、ここよりずっと北へ行こう。一年のほとんどで雪のある、真っ白な場所で暮らそう。毎日私が絶えず薪をくべて、家を温かくしておくよ」

 確かにこの村は、桃太郎たちが住むには少し窮屈なのかもしれません。

「ですがそれでは、村の人たちを、鬼ヶ島の鬼たちを、そのままにしておくということになります」

「彼らの問題は彼らの問題だ。部外者が介入することでもないよ。たまたま同じ場所で生きているというだけなんだ」

「それは、そうかもしれませんが、見てしまった以上、無関係というわけでもないでしょう」

「では桃太郎。君はこの状況で、どうするれば、君は君自身を納得させられる?」

 桃太郎はしばらく考えてから、一つ深呼吸をしました。

「鬼ヶ島へ行きます。そこで、彼らの問題を、解決できるなら解決して、村を襲わなくても良いようにします」

 それを聞いたおじいさんは目を丸くしました。

「なるほど、面白い。君は私の想像以上の成長を見せる。それならさっそく準備をしよう」

 翌朝、おじいさんは桃太郎に一通りの装備と、身を守るための竹刀と、道中の栄養補給にきび団子を渡しました。

「危険だと思ったらすぐに帰ってくること。自分の命が危ないときは、相手を傷つける躊躇いを捨てること。お腹が空いたら休んで、団子をひとつ食べること。これは栄養もあるし腹持ちも良い。そして、できれば一緒に行ってくれる誰かと……」

「わかりました、おじいさん。きっと無事に帰ってきます」

「きっとではなく、絶対だ」

「……わかりました」

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