極道と剣闘士

「殺せっ!!」「殺せっ!!」「殺せっ!!」


今日も、闘技場から、声が聞こえて来る。


それは、大歓声ではあるが、決して心地が良いものではない。


人々の狂気が、熱量をまとった声となり、発せられる言葉。


その言葉が、いつか、自分に向けられる日が来ることに、この闘技場コロッセオにいるすべての闘士達が、怯えながら、日々を過ごしている。



「……もうっ……もうっ、ダメだっ……」

「やっ、やだぁぁぁぁぁっ!!」

「俺は、まだ死にたくないんだぁっ!!」


負ければ、死ぬ。


あまりにシンプルで、極めて残酷な、その事実の前に、耐えられなくなった者達が、声を上げて叫び出す。


それもまた、ここでの日常。

毎日のように、繰り返される、単なる風景。

いつものことだ。


-


  ――今日も、何とか、生き延びることが出来たかっ……


試合に勝利した、人間の若者、剣闘士・マリョウは、控室へとつながる通路を歩く。


皮の鎧は、返り血を浴びて、赤く、剣を何度も受けて表面がボコボコになった盾、同じく、相手の盾を何度も打ったために、刃がボロボロになった剣を手にしている。


控室で、皮の鎧を脱いだマリョウは、水で濡らした布で体を拭く。体を拭くことが許されているのは、試合に勝った後だけだ。



マリョウは、子供の頃、奴隷商人にさらわれて、この闘技場のマネージャーに売られた。父親が、名の通った剣士であったため、その息子として、期待されていたのかもしれない。だが、その親の顔も、いまではすっかり思い出せない。


それからは、鬼のようなではなく、鬼そのもの、鬼族のトレーナーに、徹底的に厳しく鍛えられた。


『負けたら死ぬ』『敗れれば死ぬ』


その言葉を、徹底的に、頭と体に刻み込まれる。それは、洗脳に近いようなものだった。まさにスパルタで、殴られ、蹴られ、鞭を打たれ続け、いつも体中はあざだらけ。


その鬼族のトレーナーも、アロガ王の種族差別政策がはじまってからは、剣闘士の対戦相手をさせられて、死んでいったが。



デビュー戦は、十二歳の頃で、対戦相手はまだ野生の獣だった。前座の前座というところだ。


次第に対戦相手が強くなり、やがて人間となって行く。もうこれまでに、何人の対戦相手を殺して来たことか。


観客達は、例え、相手が途中で戦闘不能になろうとも、とどめを刺すまでは決して納得しない。その意思表示が、あの「殺せっ!!」コールになるのだ。


常に、体を鍛え続け、剣や盾の手入れをし、与えられた飯を食べて、寝る。もう二十年近く、毎日、そんな生活をただひたすらに繰り返して来ている。


  ――準備を怠った者から、死んで行く……


それも嫌という程、よく知っている。一緒に売られて来た子供達は、もうすでにみんな死んで、生き残っているのは自分ただ一人だ。


  ――昔は、こんなところで死にたくない、早くここから出たい、自由になりたい、そう思い続けて、必死になって戦い、生き残って来たが……


  いくら勝ち続けても、一向に自由になれる気配すらなかった……


  もう最近では、ここで生き残り続けて、自由になった人は、これまでに本当にいるんだろうか? そんなことすら、考えるようになって来た……


-


  ――なっ、なんで、こんな奴が、こんなところに居るんだっ


次の試合開始前、マリョウの前には、化物が居た。


  ――ふざけた奇妙な覆面を被っているが、筋肉隆々の体、すざましい圧


  今まで見た、どの剣闘士よりも間違いなく強いだろう


  こんなのに、勝てる訳がないっ


これまでに、幾度となく死線を彷徨って来たマリョウには、はっきりと相手との実力差が分かる。どうあがいても勝てない相手だ。


しかし、負けは死を意味する。


「武器は使わねえぜっ、素手喧嘩ステゴロだっ」

「まぁっ、せめてもの、ハンディだなっ」


例え、素手でも、勝てるものではないと、マリョウには分かっていた。


しかし、この場から逃げようとすれば、闘技場の警備兵達に捕らえられ、処刑されるしかない。どちらにしても、生き残ることは出来ないのだ。



ゴオォォォォォッン


試合開始の合図である銅鑼どらの音が鳴り、会場のボルテージはクライマックスに達する。


剣と盾を手にした相手に、さすがに闇雲に突っ込んでは来ないだろうと思っていたマリョウだったが、予想は見事に外された。


猛突進して真っ正面から突っ込んで来る相手に、剣を振り下ろすマリョウだったが、これは見事にかわされる。


相手が放って来る右拳、その圧に押されたマリョウは、思わず、盾の背後に身を隠し、踏ん張って身構えた。


ガンッ!!


鈍い音と共に、鉄が凹み、押し潰され、マリョウは盾ごとぶっ飛ばされる。


  ――無理だろっ!! さすがにこんなのっ!!


宙を舞いながら、マリョウは、そう思わずにはいられない。


積み重ねて来たものを、一瞬で叩き伏せる、圧倒的な暴力を前に、マリョウはあまりに無力だった。



それから、素手で剣を折られ、やぶれかぶれとなったマリョウは、自らも素手で、目の前の敵と殴り合う。


自らが繰り出す打撃は、一向に効いている様子はなく、相手は微動だにしない。


対して、自分は殴られる度に、宙を舞う。


だが、それにも、痛みや苦しみを通り越して、高揚感すら感じはじめているマリョウ。ランナーズハイのようなものだろうか。


マリョウが倒れている間、敵は決して攻撃をして来ず、再び立ち上がるのを、待ち続けている。



最後は、敵の右ストレートで、マリョウが宙を舞って、終わった。


  ――負けたっ……完敗だっ……


  このまま死ぬのか? 俺は……


  そうだとしても、

  そんなに、悪い気はしないな


マリョウの体は、宙を二転、三転して、地面に激突。


そこで倒れたまま、マリョウは起き上がっては来なかった。


-


出場選手と入れ替わるためにしていた覆面を、その場で脱ぐ石動。


喧嘩好きな石動は、とりあえず満足気な顔をしている。


「まぁ、あんちゃん、いいファイトだったぜっ」

「筋力五倍のチートがなきゃっ、もっといい勝負になったかもしれねえなっ」


しかし、対戦相手にトドメを刺さない石動に対して、観衆達は、怒りをあらわにする。


「殺せっ!!」「殺せっ!!」「殺せっ!!」


闘技場に響き渡る、観客達の「殺せっ!!」コール。


狂気に沸く闘技場、熱烈に残酷な観衆達。


そこで石動の機嫌は、一気に悪くなる。


自分達だけは、安全な場所に居て、声高こわだかに「殺せっ!!」などと叫ぶ連中を、石動が気に入るはずがないのだ。


「まぁ、よくわめくもんだなっ」


こうなると、天邪鬼あまのじゃくの石動は、決して彼を殺しはしないだろう。


パァン


例の如く、空砲が鳴り響く。


その音に、一瞬で静まる返る、闘技場の観客達。


「やっぱりっ、これが一番、手っ取り早いなっ」


観客達に向かって、石動は啖呵たんかを切る。


「お前等、『殺せ』とか、簡単に言うがなっ」


「いつ、『殺せ』と言われる立場に、自分がなるかは分からねえっ」


「そのことは、ちゃんと理解して、言ってんだよなあっ? 」


-


剣闘士の若者が、再び意識を取り戻すと、そこには、静寂だけがあった。


  ――おっ、俺は、死んだのかっ?


倒れたまま、上を向いているマリョウの目には、逆光の中に立つ、大きな男の姿が見える。


「おうっ、あんちゃん、目が覚めたのかっ」


まだ朦朧もうろうとする意識の中で、その男が、先程までの対戦相手だったことを思い出した。


「お前等は、もう自由だっ」


マリョウが身を起こして、周囲を見渡すと、いつもの観客席は、三百六十度、血塗ちぬられて、もう動かなくなった無数のしかばねが座っていた。


闘技場のバトルフィールドでは、いつも自分達に手錠をはめていたはずの警備兵達が、血まみれで倒れており、マリョウの後ろには、この闘技場から解放されたばかりの剣闘士達が、多数、立ち尽くしている姿がある。


『殺し合いを観て、喜んでいるような連中は、死んだところで大したことはない』、石動理論が発動したのだ。


「もう、お前等を、縛り付ける奴は、誰もいねえ」


唐突な出来事に、混乱しているマリョウ。


「どこへでも、好きなところに行きなっ」


そう言って、背を向けて、歩き出す石動。



だが、マリョウは、その背に手を伸ばして、思わず呼び止めた。


「まっ、待ってくれっ」


それは、訳も分からず、すがっている、そんな風でもあった。


「わっ、分からないんだっ」


何故だか、目の前の男とここで別れたら、この先、自分は生きていけないのではないか、マリョウにはそう思えてならなかった。


「いきなり、自由だとか言われても、

どこへでも、好きところに行けと言われても」


「これから、どうすればいいのか、

どうやって生きて行ったらいいのか、

そんなことすらも、分からないんだっ」


少年の頃に、ここに連れて来られて以来、外の社会から完全に隔離され、軟禁生活を送っていたマリョウ。


ここ以外の、外の世界がこわかったのかもしれないし、突然、降って湧いて来た自由に、おびえていたのかもしれない。


死にたくない、ここを出て行きたいと、いつも思いつながらも、一方で、この変わらない日常と環境に、完全に依存して生きていたのだろう。


「なんだっ、随分と、面倒くせえ野郎だなっ」


「まぁ、こんなクソみたいな世界だからなっ」


「どこがで食べ物を盗むなり、金持ちから金を盗むなり、女を抱くなり、好きにすりゃあいいさっ」


「まぁ、お前等ぐらい強けりゃ、町に居る憲兵なんざっ、訳ねえだろうしっ」


「この会場の側に、貴族どもが乗って来た馬車がある筈だ」

「そこで、馬をかっぱらって、どこへでも、好きなところに行っちっまいなっ」


石動にしては、相当に親切な対応だと言わざるを得ない。


再び、背を向けて、歩き出す石動。



「まっ、待ってくれっ」


「なんだよっ、しつけえ野郎だなっ」


「……俺を、俺をあんたと一緒に連れて行ってくれっ」


「はぁっ?」


石動は、そこでようやく理解する。


「あぁっ、お前等、あれかっ……」

「奴隷根性が、染みついちまってんのかっ」


これまでの人生を、奴隷としてしか生きて来なかった者に、奴隷以外の生き方は分からない。


「まぁ、仕方ねえっ、お前等の好きにしなっ」

「それもまた、お前等の自由だからなっ」


背を向けて、歩き出す石動。

その背中について行くマリョウ。


彼だけではなく、その場に居た剣闘士達がみな、前を行く石動の背中を追いかけた。

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