五年目 春分 桜始開【さくらはじめてひらく】

初春と花見と最後の戦い 

 桜が咲いた。かつては春を出会いと別れの季節なんて言っていたが玲にとってもう出会いも別れもなかった。

「だいぶ暑くなったな」

 そう愚痴りながら鹿の毛皮の上着を脱ぎ、丸めて小さくした玲は、それを鞄の横に括りつけた。かつて使っていた愛用していたバックパックは鹿角の運搬中に穴が開き、使い物にならなくなってしまったので、アジトに記念として飾ってある。今使っている鞄はあれから何頭もの鹿を獲ったが故に余った革で作った手製の鞄だった。玲とてそこまで器用な男ではないために、度々縫い直したりして何とか使っていたが、そんな不便さよりも自分が作ったと言うところで愛着が湧いており、好き好んでこの鞄を使っていた。特に鹿の骨や角を削り出して作ったフックや留め具などがアクセントとなっており、それをどこに付けるか、どこにあったら便利かなど色々と考えながら、カスタムするのを楽しんでいる。

 玲はアジトの扉を開け、部屋の真ん中あたりに置いておいたローチェアに腰を掛けた。

「疲れたな」

 呟きながら鞄に入れておいた今日の収集物を取り出していく。中からは砥石やガスボンベ、ソーラー充電器など、現状必要なものからキャンプに使われるようなものなどが詰め込まれていた。

「ショッピング、ショッピング。イヒヒヒヒ」

「もう買い物じゃないよ。金を払うべき人なんてもういなくなっただろうし」

 今までは明日を生きるために街中へ、保存食を探しに繰り出していたが、冬の期間で多くの備蓄を手に入れることが出来た玲は、生活をより良くするための物資を探すようになっていた。

 部屋の中には五つほどの鹿の頭骨トロフィーが並んでおり、獲った鹿の内特に角が立派なもののみトロフィーにしている。そのうち最初の一頭のみはトロフィーの下に木板を張り、日付を刻んである。

 これからまだまだ続くであろう長い人生の中で、大切な過去を覚えておくためにと刻んだ日付であるが、もう特に見向きもしなくなっていた。

 玲はアジトの一角へと赴き、そこに保管されている鹿肉の燻製を取り出して、部屋に戻りながら、それを口にした。保存を利かせるために強めに塩を使用していたため、少ししょっぱいと感じることもあったが、身体を多く動かす現状塩分は必要だったし、味にももう慣れたものだった。

 堅い肉を奥歯で噛み締め、ぐっと引きちぎる様に肉を噛み、ぐちゃぐちゃと口の中でゆっくりとほぐしていく。するとだんだん鋭い塩味に負けない肉の旨味がしみだしてくる。

「くちゃらーってのは嫌われるんだぞ。イヒヒヒヒ」

「お前そんなまともなこと言うなよ。もう一緒に食事を摂るような奴もいないさ」

 イヒ郎の指摘が最近的を射始めていることに驚きながらも、孤独であることを皮肉り、変わらず肉をぐちゃぐちゃと咀嚼する。

 改めてローチェアに座り、近くのローテーブルに置いてある水差しからカップに水を移して、それを口にした。

「ふー。そろそろ燻製肉にも飽きてきたな。これ水で戻したら多少食感とか戻るのかなぁ」

 茶色くこけた肉を見つめながら溜息をついた玲は、冬の間に食べることの出来た鹿肉の焼きものを思い出す。レバーやハツだけでなく、ロースやヒレなどは特に美味しく、その獣特有の匂いが強くする肉汁が溢れ出してくるものの、冬の寒さに耐えうるカロリーというと、もうあれ意外考えられなかった。

 恐らく鹿たちがこんな街まで来ていたのは山の食料が減ってきていたからであり、春になるにつれ、植物の新芽が出始めると、それに合わせ、鹿の姿は見えなくなった。だから鹿のなまに近い肉が食えなくなってだいぶ経ち、今や風通しがよくなるように改造した倉に大量に保管された燻製肉が無くなるか、玲の顎が関節症になり、飯が食えなくなるかという新たな戦いの火蓋が切って落とされそうになっている。

「トマト煮とか食いてえなぁ。トマト缶なら缶詰だし、中身生きてるやつは生きてそうだけど、もう残ってないよなぁ。鹿も新芽食いに行ってるから遠出しないと獲れないしなぁ」

 新芽という言葉を言った玲はハッと気づいたようにローチェアから立ち上がり、辺りを見回して、本棚という建前でおいていた木箱の中から植物図鑑を取り出す。

「山菜取りに行くか。山の拠点……。いやここの近辺でも生えるようになってるだろ」

 ふと山の拠点のことを思い出した玲はすぐにそれを思い出すのを辞めた。絵里香から救いの言葉を貰ったものの、結局あれは逃避を許す言葉だった。だから本質的に玲が彼らの死に向き合えたとは言い難く、いつかは彼らの遺体を埋葬しに行きたいと思うようになっていたものの、まだそれを行うほどに彼の心は現実に追いついていなかった。


 玲が拠点にしていた場所から、旧世界で歩いて二十分くらいのところに、花見の季節になると多くの来訪者が集まる公園があった。陽気が良い日にはコンビニで酒を買って、そこで多くの若者が外飲みをするようなところで、治安が良いとは言い切れない場所であったが、治安を悪くさせる人間がいなくなった以上、もうそんなことは関係ない。

 玲はいつも通りの鞄に、散弾銃を肩から背負い、その公園に何か食べることの出来る野草を探して、アジトを繰り出した。

「よし行くか」

「ピクニック、ピクニック。イヒヒヒヒ」

 冬を越え、ビル街を抜けてくる風はそこまで強くない。それこそ変わらずこの風には植物特有の青臭さが乗っているが、春ならではのすがすがしい風だった。何より明らかに暖かくなった日の光と気温が、まるで春の初々しさを物語っているようで、少し鼻の先がくすぐったくなる。

 心無しか、街を覆う植物の色も鮮やかな緑を取り戻しつつあり、春の光に照らされた鮮やかな黄緑が崩壊した街並みで揺れるのを、玲は美しいと思ってしまっている。しかし何よりも注目すべきは感染者の成れ果て――人樹ジンジュである。一番太い木の幹の枝分かれが始まっている根元に、ココナッツより遥かに大きい赤々とした木の実を付けているのだ。リンゴやぶどうなどの枝先に実を付ける果樹とは違い、まるで樹が自らの子供を守る様に、抱いている様にすら見える形で、木の実を宿している。

 長らく果物やちゃんとした野菜を口にしていない玲からすると、木の実というのは食料として大変有難いものであることは確かなのだが、元が人であると言うことと、その守られているかのような実り方に、気味の悪さを感じ手を付けることはなかった。

 ちらほらとその木の実が落ちているのも見かけていたが、大抵はそこらに蔓延はびこっているネズミやカラス、鳩、野犬など、都市を徘徊している動物に喰われており、その赤さ同様の果汁を辺りにぶちまけていた。なんだかその様子がよりその気味の悪さを冗長させ、玲はその木の実を気持ち悪いものとして認識していた。

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