鹿と銃と雪明り 3

 目が覚めた玲は昨日より体力、気力共に調子が良いことに気付く。と、言っても布団から跳ね起きて、「今日もやるぞ!」と意気込むほどには戻っておらず、体の節々に気怠さは残っている。

 しかし体調が良くなっているのは確かで、それは絵里香と鹿のおかげであることは明白だった。

 昨日食べきることの出来なかった肝臓と心臓の残りは、外の雪だまりに埋めてあるので今日も食べることが出来るだろう。しかし今回の主な目的は未だ残っている鹿の大部分、胴体部分の解体及び精肉だ。

 まず玲は起き抜けの身体をしっかりと覚醒させるために、小さな容器に水を貯め、それで顔を洗った。冬の洗顔は痛い。外の川の水もそうであったが、冬の水は総じて冷たい――冷たすぎる。しかし目覚ましという目的においては最高とも言える温度で、顔を洗う前と後では、背筋の伸び方も違う気がした。

「意外と脂が凄かったのと、昨日の終わりがけでだいぶ刃がダメになってたからな」

 玲は愛用しているナイフの刃を見て、そこまで目減りしているわけではないということを確認したが、昨日の解体でだいぶ切れ味が落ちていたことを感じたので、まずナイフを研ぐことから始めることにした。

「シャッシャッ。イヒヒヒヒ」

 イヒ郎の声を聴きながら、その声に合わせ、砥石にナイフの刃を当て、研いでいく。丁度朝日が差し込む位置に砥石を運んだため、身体は太陽に照らされ温かい。しかし研ぐと言う過程でどうしても水を使わなければならない以上、指先は冷たかった。

 両方の刃を研いで、刃を見て、均等であることが確認出来たら仕上げ用の砥石でより切れ味を増していく。モンスターハンターのように二、三度研いで切れ味が最大になればいいのにと思いながらも、この黙々とした作業の時間も嫌いではなかった。

 そして最後には研ぐ前より輝いているように見えるナイフで、近くにあった紙を切り裂き、切れ味を確認し、一人「良し」と呟いた。

「砥石もだいぶ減ってきたから新しいの探しに行かないとな。中砥石と仕上げ砥石両方都合良くあればいいけど」

「ショッピング。ショッピング。イヒヒヒヒ」

「今日は解体だよ」

「解体。ぐちゃぐちゃ。イヒヒヒヒ」

 昨日の解体の過程で新たに必要だと思った道具をいくつか鞄に詰め、焚き火台と共に鹿肉が埋めてある場所まで歩いていく。昨日作業していたブルーシートは風で巻き上げられたであろう雪が少し被っていたが、ほとんどそのままであったため、めくれあがっている部分だけを直し、その上に道具を、少し離れたところに焚き火台を置いて、火を付けた。

「さあ始めるか」

「よーい、ドン。イヒヒヒヒ」

 ブルーシートの上に持ってきた鹿肉は内臓と頭部が取り除かれただけの状態であるため、まだまだ肉というには鹿の様相を残し過ぎている。毛皮を衣服などに利用したいと思っていた玲はまず鹿の毛皮を剥ぐことから始めようと思ったが、生憎雪に埋めてしまっていたが故に、鹿は凍ってしまっているようだった。

 日に当てて氷を溶かすということも考えたが、それでは肉が温まって悪くなってしまうのではないかと思った玲は、肉を一度川に浸けることで流水解凍の要領で氷を溶かすことにした。

 じゃばじゃばと鹿の身体の向きを変えたりしながら筋肉のコリをほぐすように解凍を行った玲の足元は既にびしょびしょになってしまっており、一旦鹿をロープで括り、川に流されないように固定してから、居住フロアに着替えをしに戻る。

 そして一新した服装で新たに解体を始める。まず皮を剥ぐのにあたって、切っ掛けを作るために蹄から少し上の部分にナイフをいれ、足首の毛皮に一周切れ込みを入れた。その後、内モモの辺りの毛皮を胴体方面まで一直線に切り裂いていく。すると内臓を出す時に作った穴と繋がるので、それを四本足全てで行う。これで切っ掛けが出来たので、後は肉から皮を剥いでいくだけなのだが、これが難しい。

 皮を材として取り扱う以上、なるべく穴を開けたりしたくはないのだが、冬の寒さによる手のかじかみと体の大きさが故の取り回しの悪さで綺麗に剥いていくのが難しい。またずっと屈んで作業を行うため足首と腰を痛めそうになった。

「ぺりぺり。むきむき。イヒヒヒヒ」

「シールを剥がすみたいに簡単にいけばいいけどな」

 と、イヒ郎の声に反論をする玲だがその顔には笑顔が浮かんでいた。惰性で生きていた彼が目的を持って、鹿を解体している。漠然とした生きるという目的ではなく、命をくれた鹿の全てを無駄にしないようにするために、工夫を凝らし、どう自分の生活に役立てようかと試行錯誤する。全て絵里香に伝えるために。

 生きることは楽しいことだ。絵里香と鹿から貰った命でこれだけ俺は楽しんだと胸を張るために。


「大変だった。本当に……」

 皮を剥き始めてから数時間。やっと全てを切り離すことが出来た玲は、鹿の形を残しながらも丸裸にされた肉を見て、その見た目の気味の悪さなどを全てほうって、その達成感に酔いしれていた。

「でも目的は肉だろ? これからが本番じゃないか。イヒヒヒヒ」

「皮も目的の一つだったんだからいいんだよ」

 皮を加工品である革にするには鞣しという作業が必要なのであるが、それについてはまだ準備が出来ていないので、皮鞣しについては後回しにし、まずは丸裸になった鹿の肉をブロックごとに分けていくことにする。

 枝肉として四つ足を切ろうとすると、筋肉と言うのは構造として良く出来ていると言うことが理解できた。全て似たような色で、くっついて見えるが、ナイフを入れてみるとちゃんと筋肉ごとに独立しており、そこまで肉を切ると言う行為をせずとも簡単に部位ごとに切り分けることが出来る。

 背骨を挟むようについている肉は背ロースと言い、旧世界では高級部位だとされていたということを聞いたことがあった玲は、その背ロースを大事そうにチャック付きのビニール袋に詰めたところで、腹がぐぅと鳴る。

「そろそろ飯食べるか」

 火が弱くなっていた焚き火台に薪を足し、火を熾したところで網を置いて、雪の中に埋めておいた肝臓や心臓を網に乗せていく。

 昨晩は久しぶりの食事であったと言うことから気付かなかったようだが、鹿の内臓は意外と匂いがする。それは肉を網において、少しその肉に火が通り始めたくらいの頃に気付いた。旧世界で玲は特に好き嫌いがあったわけではなく、ホルモンやマトンなど人によっては獣臭くて食べられないという肉も難なく食べることが出来た。しかしそんな玲でも下処理をしていない野生動物の内臓の臭みというのは、多少なりとも眉間にしわが寄るようだった。

「まぁこれも逆にこいつらが元気に生きていた証拠ってことだよな」

 と、今日は塩や胡椒を付けずに、焼けたレバーやハツを口に放り込んでいく。

「くぅ。やっぱり美味いな」

 そんな調子で食事を進めていった玲は、どういうことか特別匂いのする部分を口にして、「にんにく使いてぇな」と呟いた。

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