冬暁と最初の殺人と最後の殺人 3
それからファストパスを取った三人はセンター・オブ・ジ・アースの
「地底旅行読み終えたか?」
そう尋ねた玲に対し、優里はゆっくりと首を降る。
「まあ少し難しい表現もあったりするからな。ゆっくり読むといいさ。それこそアトラクション自体は設定を踏襲しているだけで、ストーリーとはほとんど関係ないからな。何ならこの研究施設にいたのはリーデンブロック教授ではなく、ネモ船長って話になってる」
とQラインの空間に作られた多くのモチーフやスペースを見ながら、玲は優里と『地底旅行』の話に花を咲かせた。しかしそれを読んでいない絵里香は退屈そうに二人の後をついてきている。その姿に罪悪感を覚えた玲は絵里香に声を掛ける。
「大丈夫か?」
すると絵里香は手にしていたパンフレットを玲に見せながら言う。
「これと、これと、これ食べたい! センター・オブ・ジ・アース乗ったら食べに行こうよ!」
意外と退屈していないようで安心した玲は微笑みながら「そうだな」と告げた。
「やばい! 速過ぎ! 前髪終わったんだが!」
笑いながら階段を下る絵里香は必死に手櫛で前髪を整えようとしているが、東京ディズニーリゾート最高速のセンター・オブ・ジ・アースに巻き上げられた前髪はそう簡単に元には戻らない。
「もういいや!」
そう言ってある程度前髪を整えた絵里香はカチューシャを付けて、それなりを取り繕う。
「優里大丈夫か?」
未だ驚きと恐怖で目を丸くしている優里に声を掛けるが、玲に声を掛けるところっと表情を変え、きらきらとした目をしながら縦に大きく首を降る。
「優里は絶叫系大丈夫そうだな」
「寧ろ子供の方が強いみたいなこと言うからねー」
「そうなのか?」
「うん、何か乗り物酔いとかしにくいって聞いたことある」
絵里香から豆知識が出てきたことに驚く玲は乗り物酔いで、苦手な乗り物があったことを思い出す。
「スクリーン見ながら揺られるヤツ、あれは俺ダメだ。一日ダメになっちまうから、そういうの乗りたかったら二人で乗ってきてくれ」
「えー二人で乗ってきてなんてダメだよ。気持ち悪くても乗ってもらうから。私だってタワー・オブ・テラー怖いけど乗るんだから」
不満そうに言う絵里香に対し、玲は静かに反論する。
「いやいや怖いのと気持ち悪くなるのは話が違うだろ」
「いいの!」
ほとんど無理矢理に近い形で腕を引っ張られた玲は、転びそうになりながらもディズニーシーのお洒落な石畳の道を進む。
「あーあ、もうすっかり夜」
少し寂しそうにそう告げた絵里香は落ち着いた橙色のランプで彩られたメディテレーニアンハーバーの海を見た。
「ここからの景色最高だな」
海賊船が停泊している港を再現したであろうエリアから海を見下す形で、三人は帰り始めている人の流れを見ていた。
「ディズニーは日が落ちてからが本番みたいなところあるけどな」
「そうだね。玲の言う通りこの景色は最高。そこまで明るくない灯りとそれに浮かんでくる街の景色が本当に夢みたい」
「夢みたいって変な感じだな」
「そうだね……」
二人の間にいくらかの静寂が流れた後、絵里香は優里に何か耳打ちをして、二人の目には届かないところへ優里を促した。
「どうした?」
「大事な話をしたいからちょっと離れててもらったの」
「大事な話。そうだな」
一日ディズニーで楽しんでいたから忘れかけていたが、絵里香は玲に文句を言いに来たと言っていた。これが夢だとしても絵里香と優里から十分すぎる思い出を貰った玲はどんなことを言われてもいいという覚悟が出来ていた。
「じゃあ玲に最後のお願いするね」
呆けたように絵里香の言葉を聞いていた玲は、最後のお願いという言葉に死を連想し、期待に満ち溢れた表情で絵里香の顔を見つめ直す。
君に死ねと言ってもらえるなら、最後にこれほどまでに楽しい思い出を貰えた俺は何の未練もなくこの世界から消え去ってしまえる。そう思ったが故の期待の眼差しは、絵里香のしてみせた慈愛に満ち溢れた微笑みを捉え、玲が考えていた言葉とは正反対の言葉が絵里香から発されると察し、玲は咄嗟に耳を塞ぎ、絵里香の言葉を制止しようとする。しかしこれが夢であるからか、耳を塞いでも絵里香の声は確かに聞こえてくる。
「やめろ! それは救いでも何でもない! 呪いだ!」
「呪い……。そうだね。私は玲を呪うよ。死後の世界って意外と良いところなんだよ」
「え……?」
思いもよらない絵里香の言葉に、その耳を抑えていた手を外し、絵里香の目を見つめる。
「基本的には無に等しいんだけど、生きていた記憶を辿って、その時の感情をその時感じたとおりに体験できるの。初めて友達だけで行ったディズニーとか、高校で初めて男の子に告白されたドキドキとか、付き合った人と別れた時の哀しさとか、玲に助けられて楽しかった沢山の日々とか。しかも先に死んじゃったパパやママ、おじいちゃんや、おばあちゃん、優里にだって会える。それでもね、未来はない。過去にあった出来事しか再現できないの。だからね玲」
絵里香は一拍おいて、玲を見つめて、その瞳を少し潤ませながら言った。
「私のために――生きて。生きて、楽しいことや嬉しいこと、辛かったこと悲しいこと色々な経験をして、おじいちゃんになって私を迎えに来て。そして一緒に玲が私と別れたあとどんな冒険をしたのか教えて」
「そ、そんな」
生きてという単語を想定していた玲は、その言葉の前に添えられた「私のために」という言葉に信じられないほどの救いと、絵里香の優しさを感じる。
人を殺すと言うことも、生かすことも、鹿を撃つことも、食べることも。これからあるであろう全ての罪悪感の元になるようなことも全て死後絵里香に話すために経験する。それはそんな言い訳が出来る彼女からの言葉だった。
「絵里香……」
玲はその目に浮かべていた涙を流れさせながら、微笑みを浮かべる絵里香のことを強く抱きしめた。
「ごめん……俺が弱いから心配をかけて……」
玲のその言葉を遮るように場内にアナウンスが流れる。
『ディズニーシーでの旅のひと時お楽しみいただけましたでしょうか――』
「んーん。全然平気。でもね、もう時間みたい」
「時間?」
「もう閉園だし、玲と話すのももうこれが最後になるの。だから次は玲が私の願いをかなえてくれてからだね!」
「そんな、待ってくれ」
体が透けるわけでも、視界が白くなっていくわけでもないが、確かに時間が差し迫っているということを玲は理解した。恐らく睡眠をしている玲の肉体の覚醒が迫っているのだろう。
「待てないよ。仕方ないでしょ。子供みたいなこといわないの」
これが自分の作り出した幻想だとしても、ここで言わないと後悔する。そう思った玲は抱きしめていた絵里香を離し、目を見つめて告げる。
「絵里香好き――愛していた。いや愛している。今までもこれからもずっと」
「ありがとう。嬉しい」
絵里香も泣いていた。玲も泣いていた。でもこれが本当に最後なのだろう。確証はないが、確信できる。だから玲はそっと静かにその綺麗で可愛い唇に自らのそれを添えた。最初こそ驚き目を見開いた絵里香も、玲を受け入れ静かに目を閉じ、玲からの愛を感じた。
「玲、もう一度言うね。頑張らなくて良い。玲のペースでゆっくりでいいから、私のために生きて――」
「絵里香!」
そう叫ぶと同時にガバっと体を起こした玲はそこがあの鹿を待っていたビルの三階――居住フロアであることに気付く。火を焚き忘れたせいか体は冷え切っていたが、風が入らないことと、布や布団があったことから死ぬことはなかったようだ。
玲はまずは、と四階に置きっぱなしになっている焚き火台を三階へと降ろしてきて、火を付けて暖を取ることにした。腹は変わらずに減っている。それでも夢で見たあのセンター・オブ・ジ・アースのハラハラや食べたチュロスやポップコーンの味、そして絵里香の唇の感触まではっきりと思い出すことが出来た。まるであの瞬間だけ滅んでいない世界に移動したのではないのかと思うほどに、体の至る所にその感覚が残っている。
彼女が遺してくれた最後の喜び、楽しみ、嬉しさ。ありとあらゆる正の感情を胸に玲は銃を取った。
恐らく今日彼は鹿を獲る。
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