冬暁と最初の殺人と最後の殺人 2

 悟との問答からどれくらい経っただろうか。辺りが明るくなり、本来ある筈のない人々の喧騒を耳が捉えたことに気付いた玲は顔を上げ、辺りを見回した。一人地面にうずくまる玲を誰もが見向きもせず、正面に見えるゲートに向かって歩いている。ここはよく見たことがある場所だった。千葉県浦安市舞浜にある世界一のテーマパーク、ディズニーシーの入り口だ。

 これは夢だ。玲はそれを自覚し、絶望する。

「またあの夢か――」

 いつもと違うことと言えばその夢を自分が夢だと認識できていることだ。明晰夢と呼ばれる現象のそれは夢を自分の好きなように作り替えることが出来るという話だが、悟との舌戦によって気力という気力を使い果たした玲はもう叶うはずのないテーマパークへの来訪に別の失意を覚えた。

 これほどまでに多くの人が笑顔を浮かべ、世界一のネズミのキャラクターを求め、歩を進めている、まさにこの夢のような状況は夢でしかない。夢がかなう場所はもう夢の中にしか存在していない。

「よりによってなんでこんな夢を――」

 夢の中だと言うのに溢れ始める涙を堪えることをせず、蹲り続ける玲を呼ぶ声があった。

「玲、顔上げて」

 ふと響いた懐かしい声に玲はゆっくりと顔を上げる。

「次はお前が出てくるのか……」

 悟の言葉に心という心を折られた玲は、会いたかったはずの彼女の姿を見て、不安と期待を掻き立てられた。

「次ってどういうこと?」

 何もわかっていないように、惚けたように何かを話す癖は未だ変わらずにその艶やかな唇から紡ぎ出された。

「何でもない……。絵里香、お前も俺を罵りに来たのか。無責任で無気力な俺を」

 もう辞めてくれという思いと、なるようになればいいという感情が介在した玲の表情は絵里香の顔を歪めるのに十分だった。そして絵里香は一つの溜息をついたのちに続ける。

「そうだよ。撃ってと頼んだものの、私を殺した奴が無責任に無気力に生きている姿が気に入らなくて文句を言いに来たの」

 語気を強めて言っているが、絵里香は怒っていないと理解できる。ポーカーフェイスが全く出来ないのが絵里香の可愛いところだった。

「何とでも言ってくれ。もうかつてのように反論したりしないよ」

 玲と話していることを喜んでいるような表情を浮かべる絵里香の姿を見ても、喜びの一つも心の底から湧いてこない玲は打ちのめされた表情で、彼女の顔を見つめる。

「じゃあ言わせてもらうから。でもさ、中に入ってからにしない? 優里待ちくたびれちゃってるよ?」

 絵里香がそう言うとゲートの前でチケットを握りしめた少年が、わくわくに満ち溢れた顔でこちらを見ている。

「いや、俺は一緒には――」

 そう言いかけて、玲はイマジナリーフレンド――自分が出てこないことに気付く。それと同時に絵里香は玲の手を取り、立ち上がらせ優里の元へ走っていく。温かく柔らかい、ずっと握っていたかった彼女の手がそこにあった。

「ほら玲の分」

 と言って、首から下げていたキャラクターのパスケースの中から取り出した紙のチケットにはミッキーマウスが書かれている。

「私のはミニーちゃん」

 嬉しそうに笑う絵里香の姿にいじらしさを感じた玲は今日くらいは夢と魔法に魅入られてもいいかと、長らく忘れていた笑顔を浮かべた。

「優里のは?」

 と絵里香が尋ねると優里はドナルドが描かれたチケットを嬉しそうに二人に見せる。

「優里はドナルドが好きだもんね!」

 絵里香がそういうと優里はまた嬉しそうに笑った。


 ゲートのQR読み取り口にチケットを照らすと、魔法にかけられたかのような音が鳴り、ゲートが開く。その先には大きな地球儀の噴水が立っており、これを見た瞬間に「来た」ことを自覚した。高らかに鳴り響く入場音はまるでカートゥーンアニメーションの様に自らの足取りを軽くする。

「やっぱりさ耳は付けたいよね!」

 玲と優里の腕を引っ張り一番手前のお土産屋に入っていった絵里香は一番の人だかりが出来ている場所に赴き、そこにずらっと並んでいるカチューシャを眺めた。

「やっぱり今はこれだよねー?」

 と、絵里香が手に取ったのは兎のような耳をした黒いカチューシャだった。

「ミッキーやミニーのじゃないのか?」

 純粋にそう尋ねる玲に対し、絵里香は玲の無知を笑う。

「今のトレンドはオズワルドだよ! オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット!」

「優里は知ってたか?」

 静かに頷く優里を見て、玲は溜息をついた。

「知らなかったのは俺だけか」

「カチューシャはやっぱりお揃いじゃないとねー」

 と、オズワルドのカチューシャを三つ取った絵里香は、そのままレジへと向かい、会計を済ませようとするところを玲が割って入る。

「ここは俺が出すよ」

 かっこつけてみたものの、財布はあるのかと思ったところで、ポケットの中に何かが現れたのを感じる。

「これが明晰夢の良いところだな」

 後ろポケットから財布を取り出した玲は、財布の中に入っていた金でカチューシャの会計を済ませる。

「ありがと。じゃ行こ!」

 レジでタグを外してもらったカチューシャを付けた三人はお土産屋を出て、パークの中へ歩を進める。するとその先には海の名を冠するディズニーシーの中心に存在するメディテレーニアンハーバーと、ディズニーシーのシンボル、プロメテウス火山が姿を現す。プロメテウス火山の中に存在するアトラクションが件の『センター・オブ・ジ・アース』だった。

「センター・オブ・ジ・アース……」

 表情に影を落としながら言う玲を気遣ってか絵里香は、より大きな笑顔を作りながら、「思ったより早く一緒にこれたね」と玲の手を引いた。

「じゃあまずはあれに乗ろうよ」

 玲がアトラクションの名前を告げたからであろう。絵里香はプロメテウス火山を指さしてセンター・オブ・ジ・アースに乗ることを提案し、歩き始める。しかしその方向が火山とは別の方向であることに気付いた玲は、絵里香にその疑問を純粋にぶつけた。

「センター・オブ・ジ・アースは並んで乗るから、その前にタワー・オブ・テラーのファストパス取りにいくの。最初に入ったらファストパス、常識でしょー?」

「そういえばそうだったな。色々ありすぎて忘れてた」

「過去の話は無し。それが玲のポリシーでしょ? 今はディズニー楽しも?」

「それもそうだな」

 玲はオズワルドの耳を少し撫でて、先に歩き始めた絵里香と優里の後を追う。


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