寒月と焚火と火酒 2
火が消えた寒さと酷い頭痛で起きた玲は元あった量より半分近く減った酒のボトルをみてやりすぎを自覚する。
「くっそ、頭痛ぇ」
ずきずき、ガンガンと鈍い痛みを発する頭に手を添えながら、玲は手元にあったペットボトルに入っている雨を煮沸したものを口にする。酒の酔いによって、特殊な覚醒状態を得ているのか、二日酔いを馬鹿にするイヒ郎は現れない。
今日はイヒ郎が出てこないことに気付いたと同時に、胃に到達した水が酷い不快感を齎し、玲はそれをそのまま近くにあったバケツに吐き出した。しかし出てくるのは口にした水だけで、それ以外は嫌な酸味と苦味を口内に広がらせる胃液だけだった。何も吐き出す物がないと言うのに止まらない嗚咽の中で、絶望的な苦しさを堪えてもう一度水を大量に飲み干す。
すると先程と同じく胃に入った水が酷い主張の元、逆流を始める。玲はそれを何度か繰り返し、嘔吐を利用した胃の洗浄を行った。
頭の芯の痛みは残っているものの、胃にあったムカつきが薄まった玲は窓の外に映る崩壊した世界を見つめながら「でも今日は見なかったな」と呟いた。
玲はあの夜からほぼ毎日と言っていいほど、酷い悪夢を見続けていた。
かつて玲も心の底から楽しんだ旧世界のテーマパークや、レジャー施設、観光スポットなど。先を歩く二人を追いかけようとすると、自らと同じ姿を模したイマジナリーフレンドに、罪悪感と後悔を冗長させられ、二人に置いていかれるという夢。何かに追いかけられた夢の時のように、ガバっと勢いよく起きるようなことはないが、眠っていたはずの頬には雫の後が残り、二日酔いとは違う不快感が体の臓器のあらゆるところから感じるような目覚めを繰り返していた。
しかしその夢を、今日は見なかった。いつもと違うことと言えばそれは一つしかなかった。
玲は鹿と同じくして救いの手を差し伸べる神の様に、自らの隣に立つ酒のボトルを見ている。旧世界で酒を飲む人間は多かった。全世界で集計を取ればどうなるかわからないが、酒を好きな人間と言うのは一概に多いと言い切ることが出来ただろう。好きな理由は味であったり、体験であったりと様々であるだろうが、全員共通して不条理な現実から逃れることの出来る酔いという感覚に魅入られていた。
数週間続いた悪夢を止めてくれた存在。それだけで十分に玲を酒の道へ引きずり込むことが出来た。節度を持った付き合い方をすれば、それは人生を豊かに彩る存在になってくれるだろう。しかしそれが依存となると話は変わって来る。
「まあ長く待つだろうしな」
と、玲は火のつけた焚き火台と共に、その酒瓶を手に寒風の吹く三階へと降りていく。
「うぅ、やっぱり寒いな」
今日、雪は止んでいたが降り積もった雪がもたらす冷気によって、外の空気は思った以上に強烈に冷え込んでいた。元ビル街であるが故に、強い風が吹くこの地域では、その寒さも相まって肌の露出した部分が切り裂かれたような錯覚に陥る。外に出てきてまだ数分と経っていないのに耳の先がピリピリとしてきたのを感じた玲は急いで焚火に薪をくべ、その火を大きくしていく。
手元にあった酒に目をやるが、とろみが出るほどに冷え切った酒を喉に通す気分にもなれず、取り敢えず一緒に持ってきていた手鍋でお湯を沸かすことにした。
外が寒いためかどうかはわからないが、いつも以上に湯が沸くのに時間がかかった気がした玲はそのお湯をマグカップに移し、手を温めながら口にした。
じんわりと手の周りについていた氷が解けていくような感覚と同時に、熱を持った湯が喉から食道にかけて流れていくのを感じる。
「あったかいなぁ」
と呟いた玲は、改めて酒のボトルを見つめる。酒に対する知識がほとんどない玲であるが、ホットワインなるものがあることを知っていた。またロシアでは体を温めるために酒を飲むなんてことを聞いたことがあったので、そのラムを鍋にかけてみようかと思う。
しかし鍋の火にかけてはアルコールが飛んでしまうのではないかと、料理酒を思い出したことで気付いた玲は、そのお湯が入ったマグカップに少量のラムを注ぎ込んだ。すると透明であったお湯がじんわりと薄い茶褐色に染まっていくと同時に、湯気に乗ってラムの甘い香りがほのかに立ち上がってきた。
その香りからこの選択は失敗ではなかったということを薄らと察した玲はわくわくしながらそのマグカップを口にした。口当たりはストレートで飲むより全然まろやかでありながらも、ホットということでごくごくといってしまう心配はない。しかしその豊かな甘い香りの反面、お湯で割ったせいで味がぼけてしまったようだった。
そこで玲は鞄に入れていた砂糖を一つまみマグカップに入れて改めて口にする。ラムはサトウキビを原料とする酒であり、この玲の選択は奇しくも正解に近かったが、玲にそんな良い組み合わせを選ぼうとする気はなく、ただ甘味が欲しいとそう思っただけだった。
するとラムの香りに負けない味わいが現れたので、玲は「うん」と頷き、そのラムのお湯割りを飲みながら鹿が来るのを待った。
「そう、毎日来るものでもないか」
日が暮れ始めた空を見て、そう呟いた玲はすっからかんになったボトルに、溜息をつく。この溜息は獲物を捕らえなかったことに対する落胆ではなく、ビールを飲み切った後に出るアルコールを呼気として吐き出すような意味合いが強かった。
焚き火台も体を十分に温めてくれるほどの熱を帯びているものの、火は落ち着き始めているので、持ち手を皮手袋をした手に持って、居住フロアに戻ろうと、立ち上がった瞬間、玲は自分がどれだけ酔っぱらっているかを自覚した。
ぐわりと視界が歪むようなことはないが、耳元でどくどくと心臓の音が聞こえるような感覚に、急性アルコール中毒という言葉が頭に響き、鞄に入れていた水をごくごくという音を鳴らしながら飲んでいく。外気で冷え切った水は冷たく、かき氷をかき込んだ後のような頭痛が玲を襲うが、それと同時に自らの体がこれだけ水を欲していたと言うことに気付く。
昨晩と今日一日で――最初から多少減ってはいたが――四十度もあるラムのボトルを飲み干してしまったことに少しの反省を覚えた玲は、今日はもう飲むまいと誓い、居住フロアでカップラーメンを水を隣に置いた状態で啜った。
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