厳冬と飢餓と新雪 3

「手掛かりはなしか……」

 手あたり次第に壁際に積まれていた瓦礫などを避けることまでした玲は一度、目のつくところにあったベンチに座り込み、休息をとる。エレベーターの使用を主にして階層を移動すると言うビルの構造上、非常階段以外に上へ上る手段が見つけられない。そこで玲は階層移動が唯一可能であったエレベーターの元へ戻ることにした。

 半開きになっているエレベーターの扉に対し、体を密着させ、体重を乗せて扉を押すと、ゆっくりと開いていき、扉は全開する。

「上がダメなら下から攻めてみるか……」

「地下だ。玲、お前が大好きな地下だぞぉ。イヒヒヒヒ」

 かつての過ちを改めさせるようなイヒ郎の言葉を玲は無視して、ゆっくりと下方に目を配る。すると恐らく二階層下であろうところに停止したエレベーターを見つけた。一旦外に出てエレベーターの扉の上につけられた階層一覧を見ると、地下は二階までだとわかったため、下に見えるエレベーターは建物の歪みの関係で途中階層に引っ掛かっているわけではないと言うことがわかる。そこで玲は鞄に括りつけているライトの灯りをつけ、鞄の中からゴーグルとバンダナを取り出しそれを装備した。いくら街で長らく感染者を見ていないとしても、こういった日の入らない場所は油断が出来ない。玲の警戒心は一人になったからか、全盛期並みの繊細さを取り戻しており、人から見れば気にしすぎだと鬱陶しく思われるほど用意周到であった。

 二階層下となると、高さも二メートル近くあるため、下手に飛び降りるわけにもいかない。一度開けた扉から身を乗り出して足を掛けられそうなところを探す。丁度良い出っ張りを見つけた玲は、そこに足を着地させ、ゆっくりと体をおろしていく。劣化が始まっている壁や床からはぱらぱらと土埃が舞った。

 そこからエレベーター上方につけられた点検口を思い切り蹴飛ばすことで、エレベーター内部への入り口を作り、中へ降りる。

 着地と同時にエレベーター内外含め、鈍い金属音のようなものが響き渡るが、それと同時に玲の足元を暴力的な冷たさの水が濡らした。街の外であれだけの数の下水管が破裂し、河川の様を作り出していると言うのに、なぜ地下に水があることに気付けなかったのだろうか。玲は冷たすぎる水を数秒見つめた後、溜息をつきゆっくりとエレベーターの扉の先、地下二階へと歩を進めた。

 冬の水は冷たい。そんなことは言わずもがな誰もが知っている事実であるのだが、わざわざ体験してみるとその鮮烈さというものをまざまざと痛感させられる。水に足をつけていると言うより、目に見えない小さな虫に指先を噛まれているようなそんな痛みが続く。足も取られる上に、服も濡れるために、体の体温がどんどんと奪われていく。だからこそ玲は早く次の階層への階段を冷静に探した。生憎体は冷えている。

 地下二階はオフィスではなくこのビルの電気系統が集約した階層らしく、素人の玲にはわからないような機械が縦横無尽に鎮座している。寧ろこの階を見て、玲は何も考えずこの水の中に飛び込んだ自らの愚かさを呪った。もしこのビルの電気系統が生きていたとしたら、この水の中に飛び込んだ瞬間、玲の体にこのビルを支えられるほどの電流が流し込まれ、一生を終えるところであっただろう。

「お前は悉く死ぬタイミングを逃すな。イヒヒヒヒ」

 ふといつもと違って流暢に話したイヒ郎に驚き、後ろを振り返るが、玲にイヒ郎の姿は見えなかった。イヒ郎は意識するとその姿を現さない。いざという時に視界を邪魔しないためなのかわからない。横目に、ふと誰かがいるように錯覚して、そちらを向いてみても誰もいない時のような、そんな位置でふわふわと浮いている。

「死ぬときは死ぬよ」

 そう呟いた玲の言葉にイヒ郎が言葉を返すことはない。激烈な生存競争を生存者や感染者と繰り広げていた時はもっと多くの種類のイマジナリーフレンドがいたのだが、その多くは最近姿を現していなかった。玲の感情によって姿を変えるという性質上、ここ最近の玲の感情が落胆であったり、自棄であったりと冷静でありながらマイナスな感情であることが多いために、その自らを客観的になじるイヒ郎が現れる。逆にイヒ郎が出てきているときは冷静であると言えた。

 だからこそこの灯り一つとして存在しない地下二階も冷静にその脇に携えた長銃を構えることで、突然の襲撃に備え、その歩を進んでいく。

 長い間一人で様々な場所を探索してきた玲にとって、この程度の暗闇で不安を掻き立てられるようなことはほとんどない。それどころか今まで見てきた建物の構造を思い出し、その中から上階に上がるための階段がどこにあるか、それを予想し歩を進めることが出来た。

 その勘は見事的中し、玲は地上階へ向かうことの出来る非常階段の入り口を見つけ、その扉に手をかける。ここは開いてくれと、念を込めてその扉を押すと、拍子抜けするほど簡単に軽く扉は開かれ、非常階段へゆっくりと水が流れ込んでいった。

 玲は喜びに手を硬く握りしめてから、その階段を上り始め、水が浸からない所まで登り、一度腰を下ろした。靴を脱ぎ、靴の中から水を吐き出させ、びしょびしょになった靴下も脱ぐ。靴下を絞った後に、鞄から新たな靴下を取り出し、それを履き直してから靴を履く。恐らくすぐに水は浸みてくるだろうが、全部ずぶ濡れになっているよりかはましだろう。そしてもう一度階段を上り始める。地下一階の扉も簡単に開くようではあったが、今回の目的は物資収集ではないため、一旦スルーして、目的の四階を目指して登っていく。

 一階は予想通りがちがちのバリケードが扉の裏に作られており、これを人一人の力で突破するのは無理だろうと玲は思った。それから二階はあの吹き抜けのフロアであるために、扉はなく、次にあった扉は三階への扉であった。その扉は一階の扉と打って変わって、開け放されていて、その奥には外壁がほとんど崩れていないフロアが広がっているのが見えた。恐らくここがメインの居住スペースになっていたのだろう。人の気配はしないものの、仄かに人の生活感のようなものを感じる。だが生憎今回は物資収集が目的ではないため、地下一階と同じくこの階層をスルーして、四階を目指した。

 四階からは階段の様相も大きく変化していた。まるで戦争があったのではと思われるほどの崩落具合に玲は驚きを隠せない。四階のフロアまでの階段はしっかりとその形は保っているものの五階より上の階層の階段が瓦礫として降ってきているようで、足元は悪い。その原因は一目でわかった。

 内壁、外壁関係なくその根を張る巨大な感染者の成れの果て――人樹――がそのビルには巣食っていた。その根がコンクリートを割り、その本来の堅牢さを鈍らせているのだろう。しかし逆にその根が強く張っているような場所はその根のおかげもあってか、かつて以上の堅牢さを誇ってもいる。玲は少し天井の崩落を気にしながら、目的の四階へと躍り出た。

「すげぇ」

 四階に辿り着いた玲はふとそんな声を漏らした。

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