厳冬と飢餓と新雪 2
それからデパートで防寒具や薪の足しになりそうな道具を回収し、拠点へと戻ってきた玲は自らの体が思いの外冷えていることに気付き、すぐに火起こしにかかる。生憎火種になるようなものは拠点の至る所にあった。鼻をかんだティッシュであったり、道具を作成する際に使用する麻ひもであったり、一瞬でも火種を炎に変えることが出来れば何でもよい。
リアカーで運んできた軽めな木製椅子や机を斧で叩き割って作った端材を炉に組み、その下に麻ひもを解いたものを置いてそこへメタルマッチで火種を落とす。その火種を消さないよう、優しくでも強く息を吹きかけると、すぐにぼぅと麻ひもに炎が灯り、家具の端材へと炎が伝搬していく。炎はやはり安心を齎してくれる。それは恐らく遥か昔から炎が、暗闇や動物から人間を守ってきたからなのだろうが、その立ち位置は既に電気などに取って代わられていた。しかし世界が滅んだこの現状、確かな安心を与えてくれるのはやはり炎だった。
何より食料として取ってきているのはレトルトや缶詰などの文明の結晶であることは確かなのだが、生産という過程が無くなった以上ほぼそれは採集と変わりない。それどころか玲は今から鹿を獲らんとしている。文明の残り香が残るこの世界で石器時代にまで退化した玲は何を思うのか。
「あったけえ」
「ぱちぱち、メラメラ、イヒヒヒヒ」
もちろん風呂に入った時の様に体の芯から温まるような感覚はないものの、火にあたっている部分はゆっくりと氷を溶かすように玲の体を温めていく。薪を入れすぎては無駄に炎を立ててしまうので、なるべく薪を消費せずに体を温められるいい塩梅を維持しながら薪をくべる。火の面倒を見るのは意外と面倒くさい。それでもこの寒さにおいては代えがたいありがたみというものが火には存在していた。
白い一筋の煙が立ち上る燃え尽きた灰が、起き抜けの玲の最初に見たものだった。眠ってしまえば炎は消え、室温は下がっていく。当たり前だがどうしようもないタイムリミットを迎えた焚き火に改めて火を付けた玲はそれだけの時間眠っていたことに気付く。今日は鹿の動向を伺いに行くのだということを思い出した玲はゆっくりと毛布を敷いたローチェアから立ち上がり、準備を始める。
昨日デパートで見つけたカップラーメンに焚き火で温めた湯を注ぎ、少しの塩を入れてその麺を啜る。鹿を獲れればこんなひもじい生活からもおさらばできると思うと胸が躍った。
玲は鞄にペンとノート、いくらかの弾丸とブランケットを入れ、長銃を手に外に出る。今日も寒い朝だった。しかし昨日と違い太陽が出ているために日向は多少動きやすいだろう。太陽によって溶かされ始めている雪を見た玲は一度、拠点に戻り替えの靴下を二、三枚鞄に押し込め、改めて外に出た。
ふぅと息をつくと、空気中で凍り付く水蒸気が太陽できらきらと照らされる。少し歩くだけで、マフラーは結露で濡れ始め、溶けた雪の水分を吸った靴下が、足の指先を冷やしているのを感じた。
しかし玲はそんなことを気にせずに歩を進める。玲の頭の中に存在しているのは足先が冷たいなどではなく、鹿一筋であり、昨日鹿の足跡を見つけた道を目指し、がむしゃらにその歩を進める。
白い雪が覆う文明の残り香の間を、水道管破裂によって形成された河が流れている。地下鉄が通っていたであろう道は崩落して、多くの建物たちもいつ崩壊してもおかしくはない。ビルが倒れる音で夜、目を覚ますような世界で、玲は軽い足取りで目的地へと向かう。
「あった。良かった。今日もあるってことはここは比較的多く通る通り道になっている筈だ。だから今日鹿が来る可能性も高い」
「来るかな? 来るかな? こなかったら餓死かな? イヒヒヒヒ」
今日も。そんな喜びを溢れさせながら玲は辺りを見回した。この道を見下せて、姿を隠せそうな場所はあるかと。鹿の動向を伺ううえで、最初に見つけることの出来たこの道を鹿がどのくらいの時間に何匹通るのかを知る必要があった。大雪が降っていた昨日の足跡とは別の位置に足跡が続いているのを見る限り、ここが鹿たちの通り道になっているのだろう。ここで張っていればいつか鹿の姿を見ることが出来る。そこで玲は崩落しかけているビルの一つのフロアに目を付けた。
外壁は崩れているものの、角以外の壁は残っているうえに、平行は維持されていて、地上から四階程度の位置にあるため、辺りも見回すことが出来る。そこで玲は見張り台として適切だと思われるそのビルの四階に一時的なキャンプを設営することにした。
崩れているビルの入り口に近づくと、かつて栄華を極めたであろうそのビルのエントランスがそこには広がっている。生憎入り口のガラス戸も、屋内ビオトープも目も当てられないほど荒れ果ててはいるが、旧世界で廃墟マニアなる趣味があることを考えるに、崩壊した後でも十分に美しいと言える景観をここは保持している。玲はその建物からどうやって外から見た四階に上ろうかと辺りを見回すと、半開きになったエレベーターの扉をエントランスの奥に見つける。
流石にエレベーターは動いていないだろうが、エレベーターのケーブルをロープ登攀の要領で登れば好きな階層に行くことが出来るだろう。高校時代平均程度の運動能力しかもっていなかった玲だったが、生憎この世界は並の運動能力で生きることを許してはくれなかった。そんな玲にとって銃含め十キロ以上の荷物を抱えたまま、四階までロープ登攀をすることなんて容易い。しかしそのエレベーターの扉から上を覗いてみたが、他の階の扉が開いているような様子はなく、諦めて他の手段で上を目指すことにした。
エントランスホールをもう少し歩いてみると非常階段らしきものを見つけ、そこへの道を塞いでいる金属の扉を開けようとするが、びくともしない。
「まあそうだよな。どこもかしこもこんなのばっかりだ」
「鍵はどこかなぁ。見つかるかなぁ。イヒヒヒヒ」
「鍵ってかまたバリケードだろうな。でもどこかに上を拠点にしてた奴らが使ってた通路とかがある筈だ」
そう独り言を続けた玲はエントランスから吹き抜けになっている二階部分へと階段で登り、二階の探索を始める。変わらず二階部分もいくらか崩落が見られ、壁に沿って細い通路を抜けることもあった。手すりも抉れている部分が多々あり、二階から一階程度の高さであれば、十分に致死に値する怪我をする可能性があるために、まさに石橋をたたいて渡るように、玲は慎重にその歩を進めた。
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