晩秋と線路と都市伝説 7
茶色の土壁に、永遠に続くかと思われた線路とは違い、白塗りの壁に整備された道というより歩きやすさを重視させたかのような床と剥き出しの蛍光灯が光っていた。ただ漠然とした空間が広がっているのではなく、扉や向こうが見えないすりガラスのようなもので区切られた区画がいくらか見渡せ、今三人がいるところは何らかの廊下であることがわかる。
「米軍基地が昔使っていた線路を辿ったら、謎のトンネルがあって、それを何時間も進んだら研究所? すっごい冒険みたいな展開になってきたじゃん!」
「本当にそう思うか?」
玲は絵里香の表情に対し、冷静にその廊下の先を見続けていた。
「え、だって」
「米軍が、日本で何かの研究をしていた。なんで自国じゃなくて日本でするんだ? しかもこんな地下の奥深くで」
「危ない研究でもしてたのかな?」
「十中八九そうだろうな。日本政府がどれだけ知っていたのかはわからない。若しくは共同か? でも何か危険なものがあることに違いはないだろう。優里!」
二人が重い声音で話している中、その好奇心に身を任せ、二人より先へと歩いていこうとした優里を玲は大声で制止した。身体をびくっと震わせてその歩を止めた優里はゆっくりと玲の方を振り返る。
「近くに居ろ――いや戻るぞ」
当然の判断であることは確かであるのだが、冒険を感じていた絵里香と優里にとってその玲の臆病な判断は拍子抜け以外の何物でもなかった。
「なんでよ。こんなに綺麗な場所、他にはもうないかもしれない。しかも地下にあるってことは階段とかで上に出られるようなものがあるんじゃないの? どっちにしたってまた洞窟を何時間も歩いて戻るんだったら、ある程度の収穫を得てから戻るべきだと思う」
絵里香の耳元で悪魔が囁いたか普段より流暢に口数多くそう話した絵里香の目をしっかりと見据え、玲は続く。
「それは優里が危険に脅かされる可能性があるということを踏まえての判断か?」
「危険に脅かされていた状況は今迄いくらでもあった。逆にアメリカの研究所だとしたらこれからの役に立つものがあるかもしれない。しかも何より電気が生きてるんだよ? 新しいシェルターとして使ってもいいかもしれない」
すべて正しいとは言い切れないが、絵里香の言っていることは理にかなっていた。もし危険を鑑みるんだったら洞窟で引き返すどころか洞窟に入ることすらするべきでなかったし、何よりも未だ生きている電気系統というものは言ってしまえば命を危険に晒してもおつりがくるレベルの設備だ。まだ研究所だと決まったわけではないが、地下にある施設というだけで空調が完備されているのは予想できる。猛暑も厳冬もここに家を移せば安心して越すことが出来る。
「わかった少し辺りを見てみようか」
渋々ではなく、確かな意志の元、玲は二人を先導し始める。
歩き始めればコツコツと靴が鳴る音が廊下に鳴り響く。玲は手当たり次第に扉を開けていくが、そこはやはり研究所らしかった。多く並んだ機械に顕微鏡のようなものなど。研究所と言われて納得できるような機材や設備がどの部屋にも置かれており、机の上に置かれているような書類は難しい数式や化学式が描かれていて、そのほとんどは英語の中に散見された。
「米軍の研究所であることは間違いないみたいだな」
「でも何の研究所なんだろう」
「もう少し進めば何かわかるかもしれない」
そういう玲は今までいた作業スペースのような区画を区切っている両開きの扉を開けて次の区画へと移る。
次の区画はまるで水族館のように何かの生物を飼育しておくような分厚いガラスで仕切られた檻が線対照にずらっと並ぶ空間だった。
「なにこれ……」
一番手前にあった檻を見て絵里香が悲愴感漂う声音でそう言った。
その目線の先には小さな木の中に閉じ込められた実験用マウスの姿があった。ファンタジー小説やバトル漫画のように植物を操作して、対象を絡めとり、身動きをとれなくさせたような。しかし絡めとられたわけではないというのは一目でわかる。なぜならその小さな木は遠目からでもわかるように、明らかにマウスの体から生えていたからだ。
「おい、これ外の――」
玲は怒りと困惑が混ざったような震えた声で言葉を紡ぐことが――出来なかった。
ゾンビパンデミックは人の愚かな研究の行く末に起きた人災だというのか。愚かすぎる結末の序章のようなものを知った玲の中は先ほどまで湧き上がっていた怒りも困惑も消え失せ、ただ一言絶望という言葉のみが存在していた。
そんな玲は服の裾をくいくいと引っ張られる感覚に気付き、後ろを振り向くとそこには何か書類を手にした優里がいた。優里が差しだす書類を手にするとそこにはこの部屋のレイアウトが描かれている。
「この研究所の地図? いや違うな」
今玲たちが立っているのは【M-1】という檻の前だった。その書類の【M-1】の欄には赤ペンでバツ印が描かれている。隣の【M-2】も同じくバツ印で、【M-1】と同じように木に呑み込まれたマウスの死体が転がっている。
3、4、5、6と続き9までバツが続いていたが唯一チェックマークが刻まれている【M-10】には本来白い毛並みを緑がかったブロンドのような色に染めたマウスが小さな木の横に転がっていた。先程までの檻は煌々と光る灯りが灯されていたが、この【M-10】の檻の電気は消えている。電球が切れているのか意図的に消されているのかはわからないが、緑のマウスは他のマウスと違い明らかに痩せ細り衰弱で死んだようで、木に呑み込まれてはいない。
「こいつが成功例ってことか?」
すると後ろから変わらず悲し気で、でも焦るような声で絵里香が玲を呼んだ。
「玲、この子――」
その目線の先には【M-10】のマウスの様に毛並みを緑色に染めた猫がいた。そこの檻は【C-7】と銘打たれている。その猫の檻はマウスの檻とは違い、電気がついており、部屋の隅には一本の木が生えていて、壁面につけられた突起は水道に繋がっているようでそこから水を飲んでいる姿が見られた。
「三年もの間、誰の管理もなくこの猫は生き続けていたのか?」
玲は自らが猫と言ったことにはっと何か気付いたようで、改めて書類に書かれている檻の番号を見る。
「マウス、キャット。じゃあDはドッグか?」
書類を見ながら玲はその口を開けたまま絶句する。
「エイチ……」
玲が書類に見たHの檻の欄は全てバツ印が書かれており、何か嫌な予感を覚えた玲は、絵里香や優里を置いてそのHの檻へと走った。玲の予想通りその檻の先には地上で見られるような木に変わった人間が閉じ込められていた。二、三、電気が消えている檻があるものの電気がついている檻の人間は全て悲痛な顔のまま木へと変化している。
「
玲はそのガラス目がけ拳を勢いよく突き立てる。その音に驚いた絵里香と優里は、檻の先を見て開きかけた口を閉じた。
「全部全部市民には知りえない上の奴らが指示した実験の失敗の結果か?」
怒りを露わにした玲は静かにその拳を解き、息を一つ漏らす。
「帰ろう。電気は通ってるかもしれないけど、俺はここに居られない」
絵里香や優里より先に玲の目には涙が溜まり始めていた。玲の弾丸の一発目はここにいる者たちの様にウイルスだか、化学兵器だかで理性を失った友人だった。
こんな実験がなければ玲は友人を殺す必要も、友人が死ぬことも。何より世界が滅ぶことすらなかっただろう。何より質が悪いのは既に仇はいないと言うことだった。電気が通っているなら生存者がいてもおかしくないと思ったが、これだけ探索し、人の声が聞こえていると言うのに出てこないのはおかしい。何よりここの設備では食糧を得ることが出来ない。
「そ、そうだね。階段、探すの辞めて洞窟戻ろうか」
これ以上胸糞悪いものを見ないようにしたい、そんな絵里香の願望は玲と共通していて、玲は「俺もそういうつもりだった」と、この陰気な雰囲気をただ意見が一致したと言う小さな喜びで少しでも明るくしようとした時だった。
爆発ともとれる音と同時に、電気が消えていたHの檻の一つのガラスが絵里香に向かって砕け散った。
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