晩秋と線路と都市伝説 5
空気に吸い込まれるように歩き始めて、既に何時間経っただろうか。疲労も気にせず躍起になって歩き続けていた玲は、後ろから聞こえた絵里香の声でやっとその足を止めた。
「玲、もう優里が」
後ろを振り返ると地面に座り込んでしまった優里とそれを支えようとする絵里香が十メートルくらい後ろにいた。
「気付かなかった。もうそんなに歩いていたか?」
「それ本気で言ってるの?」
懐中電灯の明かりで照らされた絵里香の顔も、青白く染まっており、かなりの疲労に侵されているのがわかる。
「多分だけど五時間以上はノンストップで歩いていた」
語気の荒さから絵里香が苛立ちを見せていることに気付いた玲も不満そうに、「それならなんで休憩しようって言わなかった?」と尋ねた。それに対し、絵里香は明らかな怒りを見せて、「何度も言ったけど取り合ってくれなかったじゃない!」と返す。
玲はその言葉に一瞬トンネルに入ってからを思い返していた。しかし恐怖に煽られながらただその歩を進めていた記憶しかない。未知の魔力と言おうか、歩行という意識以外全てを阻害されていた事実に驚愕する。でも言われてみれば何回か声を掛けられていた気がする。
「ごめん、夢中になってたみたいだ。何にもなかったみたいだし、そろそろ帰るとするか」
「えー!? 何言ってんの。今から戻ったらまた五時間以上かかるじゃない! しかもそこから自転車よ?」
「ああそうか」
「ちょっと玲、大丈夫?」
怒りよりも先に心配が大きかったようで、覗き込むように玲の顔を見つめる。
「大丈夫、俺も気付かないうちにかなり疲れてたみたいだ」
「そうだよね。でもここで寝る?」
不安そうな面持ちで辺りを見回す絵里香の視線の先には、剥き出しの地面と、冷え切った鉄骨が伸びているだけだった。
玲は普段より大きな鞄の中からぱんぱんに膨らんだ袋を一つ取り出し、その中から寝袋を取り出す。「夏用で少し肌寒いかもしれないから」と、続けざまに毛布を取り出し絵里香に手渡した。
「底冷えするから寝袋を広げて、その上に寝て、上に毛布を掛けたらいい」
「玲は?」
「俺は寒さに強いから大丈夫だ、今から火も焚くし」
と、鞄の外に括りつけていた厚手の袋からいくらか薪を取り出し、そこに火をつける。今まで白い電灯の光で照らし出されていたトンネルの節々で通風孔のようなものが度々みられていたので空気については問題はないだろうと思い、火を付けるとトンネルは暖かな火の明かりに包まれ始めた。本来人の命を脅かしかねない火だが、こういう暗闇で焚くとその温度と共に溶けるような安心感を覚えるのはなぜだろうか。この状況であれば絶対に見張りを付けるはずの玲も、その疲労からゆっくりと眠りに誘われていった。
次に目が覚めた時、トンネルの中は真っ暗で咄嗟に電灯をつけながら飛び起きた玲だったが、そこには白い煙を一筋吐く焚き火の跡以外、眠る前と変わらない光景が広がっていた。
まだ眠っている二人を見ると、寒そうに縮こまっており、玲は改めて薪を足し、火を付ける。暖かな灯りと共に火が立ち上がり、薪の空気が破裂する音があたりに響き始める。ぐぅと腹が音を鳴らしたことで空腹に気付いた玲は、鞄に入れていたドングリを干して保存食にしたものを袋ごと取り出し、おもむろにその袋に手を突っ込み、それを食べ始める。
強烈な灰汁を取るために何度も煮たからかはわからないが、ぱさぱさで全く美味しい物とは言えないが、その食感などから腹に溜まっていくのはわかった。そうして朝食かもわからない食事を済ませた玲は、自らの無警戒さに反省しながら、ショットガンを手に持ち、焚き火を見守ることにする。
少しすると絵里香より先に優里が起きて、ぺこりと一つ玲にお辞儀をした。話さない優里はいつもこうやって挨拶をする。どこか余所余所しい感じがいじらしく可愛い。
「おはよう、飯はどうする? 絵里香が起きてからにするか?」
尋ねられた優里は先ほどと同じように一つ頷く。
「わかった」
すると、優里は鞄に入れていた本を取り出して、読み始める。優里は読書家だった。普段の仕事を終えて、暇になると一人本の世界に潜っていく。十歳くらいの少年が読むには少し早いんじゃないかと思うような本を読んでいることもあるが、今日読んでいるのは玲も読んだことがある本だった。
SFの父、ジュール・ヴェルヌ著の『地底旅行』。まるで今の状況に似た本を読んでいる優里の姿を見てなんだかおかしくなった玲は笑いを零した。その様子に疑問を持った優里は笑った玲を不思議そうに見つめる。
「あーごめん。別に優里を笑ったわけじゃないよ。地底旅行ってあれだろ? 火山の火口を下りていくと地球の中心に辿り着くっていう」
地底旅行をもう半分以上読み進めている優里は、玲がこの本の読者であることに喜びを覚えたようで、笑顔を見せながら強く頷いた。
「ジュール・ヴェルヌは俺も好きだ。と言っても三、四作品くらいしか読んだことないけど、全部面白かった」
優里は本を読む手を止め、玲の話を聞き始める。
「昔父親に勧められてみて、滅茶苦茶ハマった映画にバック・トゥ・ザ・フューチャーって映画があってさ、タイムトラベルをテーマにしたSFコメディなんだけど。そのタイムトラベルに使うタイムマシンを作った博士がジュール・ヴェルヌの愛読家なんだよ。それで俺も興味を持って」
恐らくというか絶対、優里の歳ではバック・トゥ・ザ・フューチャーを見たことないだろうと思った玲は少し考えてから続ける。
「多分ここら辺の街を探せばデッキとバッテリーくらいあると思うんだ。でどこかのレンタルビデオ屋からバック・トゥ・ザ・フューチャー持ってきて、一緒に見よう。1985年の映画だけどさ98年生まれの俺も楽しめたんだ。多分優里も面白いと思うよ」
そんな話をしていると、甘えた声を漏らしながら絵里香が目を覚ます。
「ん……おはよう。なんの話?」
「おはよう。バック・トゥ・ザ・フューチャー。優里がジュール・ヴェルヌ好きみたいだからさ、見てみたらって話をしてたんだ」
「映画の話……だよね? 少し知ってるよ。でもその前に何か食べたいかも」
そういう絵里香を横目に玲は絵里香の隣に置いてある鞄を指差した。
「そうだ、今日は自分で持ってきてるんだった」
そう言って絵里香は街で手に入れたカップ麺を取り出し、鞄にかけていた手鍋でお湯を沸かし始める。それに合わせて優里も鞄からカップ麺を取り出した。
「カップ麺ばかりだと肌の調子がなぁ」
とぼやく絵里香に、「カップ麺だけを食う生活になる前から肌なんて気にしている暇なかっただろ」と玲はツッコミを入れそうになったが、それはゆっくりと呑み込んだ。この絵里香の発想は良い兆候であることに間違いはない。玲の好奇心と同じように殺伐とした生きることだけが目的であった世界から三人はしっかりと、幸せに生きるための道を歩み始めている。
休日を楽しんだり、気になることを探求したり、映画を見る約束をしたり、肌を気にしたり。かつては当たり前であったそれらを感じられるようになった。それに気付いた玲は自分の手をじっと見つめる。
「手、怪我した?」
「いや、大丈夫だ」
もう血の残像は見えなくなっていた。それにもうイヒ郎などのイマジナリーフレンドも最近見なくなっていたことに気付く。いなくなられると少し寂しい気もするが、これが正常であると考えれば、その寂しいと言う気持ちにも前向きになれた。
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