晩秋と線路と都市伝説 4

 それから民家に挟まれた細い線路を辿っていくと、その基地専用線は緩やかな下り坂に差し掛かった。その先には小さく口を開いたトンネルが見える。

「トンネルなんてあるんだ! ワクワクするね!」

 絵里香が嬉しそうに、真っ暗闇に包まれたトンネルを指差した。

「いや、待て」

 玲が静かにトンネルに入っていこうとする絵里香を静止する。その声音は真剣そのもので、明らかに不審なものを見つめる眼差しでそのトンネルを見据えている。

「どうしたの?」

「いやトンネルなんてこの線路にはなかったような気がするんだ」

「気がするってどういうこと? だって初めてくるんでしょ?」

 と、本当に玲の言っていることを理解していないような表情で絵里香は尋ねる。

「いや、もちろん来るのは初めてだけど、インターネットで他の人が専用線を辿って行ったブログみたいなのを読んだことがあるんだ」

「その人の写真にはトンネルの写真がなかった?」

「そうだ」

 玲は何か異様なものと相対したような恐れを込めて、言葉を返した。

「じゃあ見た写真が撮影された後にトンネルが作られたんじゃない?」

 絵里香と優里は玲の警戒を全く意に介さずそのトンネルに入っていこうとする。その二人の愚かさに怒りを覚えた玲は静かに、でも厳しく「止まれ」と命じた。

「何をそんなに怖がってるの?」

「いやおかしいと思わないか? 基地専用線はほぼ廃線になっていたけど、燃料輸送のためにたまに使われていたんだ。そんな線路をわざわざ金のかかるトンネル工事をしてまで地中に埋める理由はなんだ? 何より暗所はまだ活動を停止していない感染者がいるかもしれない」

 次は真剣に玲の話を聞いた絵里香は、玲の言葉に一応の納得を示す。

「それでも辿ってみたかったんじゃないの? この基地専用線。ここまで来て帰る?」

 絵里香の問いは玲の意見を尊重しているかのように見せかけて、帰るわけないよね? というある種の圧を掛けている。玲はその言葉に少し悩み、口を噤む。

 もちろん安全という意味では絶対に行くべきではない。ただでさえこの線路は暗所に向かっているというのに、その先にあるのは何らかの理由でわざわざトンネルを作り上げた米軍領に繋がっている。絵里香と優里に会う前の玲なら絶対にここで行くと言う選択肢を選ぶことはなかった。

 しかし二人と過ごす日常で感情を取り戻しつつあった玲の中では確かに抗いようのない好奇心が湧き上がってきていた。だから玲はここでこう判断した。

「帰らない、行こう」

 この判断がどう転ぶかわからない。でもただ安全な場所にひきこもるだけの玲はもういない。その言葉に笑みを浮かべた絵里香はそのトンネルに入っていこうとする。それをもう一度玲が止めた。

「なーにーよー」

 明らかな不愉快を込めて、そんな言葉を吐き出した絵里香の前に玲はすっと立ち、肩にかけていたショットガンを両手で握りしめ、いつでも構えられる状態にして歩き始める。

「万全を期したい。絶対に俺より前に行くな。あとこいつを」

 と言って、ベルトに挟んでいた拳銃を引き抜き、それを絵里香に手渡した。

「え、なにこれ」

「拳銃だ。ここが安全装置。やばいと思うまで絶対に外すな」

「どういうこと?」

 玲は一度大きく息を吸い込んでから話す。

「この暗さから見て、奥はかなり深い。だから俺、優里、絵里香の順番で歩く。もちろん後ろはこのトンネルの入り口だから危険はないと思う。でもいざとなったら……」

 自分の銃を他人に渡すなんてこと、一度もしなかった玲が他人に銃を渡すということはそれだけその者を信用しているということだ。そして今まで一人で生きてきた玲が、ここから始まるであろう不安感に一人では立ち向かうことが出来ないということ。

 拳銃の重み以外の重みを感じた絵里香は嬉しそうにしながらも固唾を飲む。

「これだけ長い間生き延びてきたんだ。銃くらい打ったことあるだろ?」

「えっと……うん」

「自信なさそうだな」

「相手はネズミ……」

 玲はその言葉に対して、拳銃を渡したことを一瞬後悔したがそれを表情に出すことなく、絵里香にフォローの言葉を投げかけようとするが、絵里香の方が先に口を開いた。

「エアガンで……」

「そうか、似たようなもんだ」

 玲は一度絵里香の背後に回り込み、拳銃を持った腕の肘辺りに手を添える。

「構えて」

「う……うん」

「ここを、そう」

 絵里香の姿勢を正してから、玲は言葉を続ける。

「もの凄い衝撃だから顎を引いて、エアガンとは違う」

「分かった」

 拳銃を撃つかもしれないという覚悟を絵里香に持たせたうえで、確かに真剣な表情を確認した玲は静かに頷いた。

「じゃあ行こう」


 少し歩いただけで辺りは異様なほどの暗闇に包まれた。後ろを振り返れば遠くにトンネルの入り口の光が見える。流石に暗すぎると思った玲は鞄のベルトに括りつけていたライトのスイッチを押して灯りを付ける。

 目の端でネズミのような小動物が走っていくのが見えたが、それよりもこのトンネルの壁に玲は恐怖のようなものを覚える。ただただ灰色のざらざらした壁面が続く打ちっぱなしのコンクリートは普通と言えば普通なのだろうが、どこか今時でないその風貌に奇妙な違和感があった。それだけならまだしも奥に続くのは圧倒的な暗闇だ。トンネルという環境は昨今、大抵街灯が余すことなく続いている。しかし電力設備がすべて停止した現状、大きな高速道路のトンネルですら街灯がその暗闇を照らすことはないだろう。

 しかしこのトンネルの壁面には切れた電球すらも見当たらない。恐らく、元から照明設備がなかったのだろう。その上に一本の果てしなく続く線路だ。

 このトンネル及び線路が現実に存在しているということは今現在身をもって確認しているというのに、ふとした瞬間自分が夢の中にいるかのような錯覚を覚えてしまう。何に対するでは無い。全てに対する、自分にすらも覚える違和感が夏風邪の時に見る夢のようにひたすらに続く感覚。

「玲?」

 明らかに様子が変であったことを察した絵里香からの声に大きく身体を震わせる。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃない。体が拒絶反応を起こしてるみたいだ」

 意識的に体が拒絶反応を起こしているということがわかるならば、今すぐにでも引き返すべきであると言うことは、玲だからこそわかっている筈だ。しかしそれでも引き返そうとはしない理由。それは変わらず湧き上がる好奇心だった。しかしその好奇心は一言に好奇心と片付けられない代物で、ここで逃そうものならもう二度と手に入らないような。命と好奇心であればいくら平和ボケした玲であれど命の保証を取る。それでもなお進むべきと感じるのはある種使命感に近い何か重大な事象がこの先にあるということを玲の第六感が感じているのだろう。

「じゃあ辞める?」

「いや行く」

 まるで薬の中毒者の様な虚ろな目で暗闇を見つめ歩を進める。先程までの玲とは明らかに様子が違うというのに、その「いや行く」という一言に圧倒され、絵里香すらもその危機感に抵抗することが出来ない。

 進めばならない意志というより、呼んでいる、呼ばれているような感覚。もちろんこの世の中にはゾンビによく似た感染者が蔓延ってはいたが、幽霊のようなオカルト的な事物が発生しているわけではない。でも確かに玲は全身でその吸い込まれるような空気感を感じていた。

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