晩秋と線路と都市伝説 3

「じゃあそろそろ行こうか」

 水分補給をして一息ついていた三人の中から、一人元気よくベンチから立ち上がり、振り返りながら絵里香がそう言った。

「そうだな」

 休憩を始めてから十分も経たないくらいに三人は改めて目的としていた基地専用線を目指し始める。と、言っても駅のホームから線路へ降りて、ホームへ繋がっていない奥の方にある線路がその基地専用線なので、ものの数分もかからずその目的地へと辿り着くはずだ。

 旧世界では絶対に降りることのなかった線路への跳躍は意外にもホームが地面より高いところにあり、びりびりと玲の足を痺れさせる。

「どうしたの?」

「ゆっくり降りた方が良い」

 痛む足を堪えながら、その素振りを見せないように二人が線路に降りるのを手伝った。絵里香も優里も今まで目の前にしてきたというのに一度も立ち入ったことのない線路に少し胸躍らせているようで、軽い足取りでホームを出られる道を辿っていく。

「意外と高いんだね」

 絵里香が先ほどまで立っていたホームを見上げてそう言った。優里の頭が少し出るか出ないかくらいの高さを見るに一メートル以上はあるだろう。

「本当だな」

「ホームに落ちたりして上れなくて電車に轢かれちゃうみたいなドラマ結構見たことある気がするんだけど、これだと上れないはずだよ」

「そのためにこの下の逃げる場所があるんだろ?」

 と、玲はホーム下の空間を指さした。

「あー、これってどこにでもあるのかな?」

「いやそれはわからないけど、知っていると知らないとではだいぶ変わるかもしれないな」

「そうだね」

 そんなことを話しながらも玲は自らの記憶を辿り、専用線の線路は国鉄ではなく、私鉄の線路から交差していたことを思い出した。今いる線路は国鉄の線路なので、とりあえず私鉄の線路へと移る。

 すると平行に十列近く並んでいる線路とは違う方向に大きくカーブしている一本の線路を見つけた。

「あれだ」

 この駅が山の方にある駅だとしても、至る所には壊れた車が溢れているうえに、駅前はそれなりに栄えている。何よりここは東京だった。だからこの廃れた駅もかつては多くの人間を運ぶために、それこそ都心の様に五分もしないうちに次の電車が来ると言うほどの頻度ではなかったが、電車は往来していた。

 だというのに、二つ以上の電車の往来が不可能な一本の線路。それは平行に並ぶ線路の中で明らかに異質な雰囲気を放っている。

「本当だ、この路線だけおかしな方向に向かってるね。この先が玲の言っていた米軍基地なの?」

「そう、横田基地」

「飛行場とかがあるって言ってたよね?」

「そうそう。優里、運が良かったら飛行機も見れるかもしれないぞ?」

 玲がそう言うと優里の目は一際輝く。電車が好きであった子供が、線路を歩いているということだけで、かなり興奮状態にあると言うのに、この先に飛行機があると言われたらその気分は最高潮だろう。

 玲は子供の扱いが上手かった。上手かったというより、二人と出会ってからの数か月で上手くなった。わがままな姉と口が利けない弟。寧ろ弟である優里の方が物分かりは良かったかもしれないが、それでも玲は優里の欲望を察知し、それを上手く刺激しながらコミュニケーションを取ることが癖になっていた。

 優里も優里でこの世界で生きてきたからこその大人びた側面がある。だから玲の、その指示やコミュニケーションを、自分を上手く操るための術だと言うのを多少理解しながら、子供を演じて見せた。

 それはある種の諦めから生じる円滑なコミュニケーションだった。玲は子供を大人として扱うことを、優里は自らの子供ながらの欲望をさらけだすことを諦める。寧ろ諦めずに生きている絵里香の図太さというか、心の強さは、もしかしたら一番この世界を生きるのに向いているのかもしれない。

 横に倒れた電車や、樹となった人がホームからは多く見て取れた。それに対し、今歩いている基地専用線は思いの外旧世界でのそのままの形を保っている。

 長らく使われていなかったからこそ、世界崩壊後に人が足を踏み入れる機会が少なかったからかもしれない。列車もほとんど通ることはなかったと、インターネットで見たことがある玲は、言葉通りの廃線を見て、ノスタルジーに思いを馳せる。

 と言っても、この線路はスタンドバイミーのように、見渡す限りの自然が広がっているというわけではなく、住宅街の隙間を縫っていくような線路だった。

 少し歩けば、その店の名前を冠した美味いフライドチキンをホットスナックで提供していたコンビニエンスストアが見えてくる。窓ガラスは割られ、商品がたくさん並べられていたであろう商品棚も見るも無残に倒れ、壊れている。

 世界の中では比較的モラルや常識があると言われていた日本でも震災後には窃盗などの犯罪が増加した。それが震災ではなく、ゾンビパンデミックだったこの世界では、モラルや常識なんてものを掲げた者から死んでいった。

 しかも銃社会ではない日本では、暴力の多くが棒や刃物などの近接武器で行われた。だから樹になりきらずに死んだ感染者の多くは頭部に大きな欠損が見られたりする。特にコンビニや百貨店などの多くの物資の集まるような場所にはそんな死体がごろごろと転がっていた。

 玲はなるべく優里にその光景を見せないようにと、歩を早めた。

 パンデミック発生から三年。人々が急な日常の崩壊によって、多くの命を落としたあの時期の死体はほぼ完全に白骨化していたが、それより後に死んだ人間の死体はもちろんまだ肉が残っている。

 こんな世界ではもう意味のない親心かもしれないが、玲はその光景を優里に見せたいとは思わなかった。それに気付いたのか絵里香も、何も言わずその歩調に合わせる。

 誰もいない静寂に包まれた文化的な建造物で、自分以外誰もいなくなった世界みたいだなんて表現することが度々あるけれど、生憎この世界には七十億人以上の人間が存在していた。

 七十億人以上もの人間が突然、忽然と姿を晦ますなんてことは有得なくて、いなくなったというのは死んだということであり、その遺体はそこかしこに残っている。人樹がその最たるものだろう。

 だから旧世界で思いを馳せた自分以外の人が居なくなった世界なんて幻想的なものが実現することはなく、顕現したのは死体の山だった。

 そんな世界で生きた少年はどのような大人に成長するのだろうか。それどころか大人に成長することすらできないのだろうか。

 優里の将来を考えたうえでの速足だったのだが、それにどれだけの意味があるのかはわからない。既に優里はいくつもの死体を見てきている筈だからこそ、これは玲の自己満足に過ぎなかった。

 そのコンビニから少しのところに水路を渡るための緑の橋梁が掛かっている。長さで言えば十メートルもないような長さだが、線路の基礎となっている材木の隙間から見える小川は綺麗な透明度を以て、流れていた。そこで優里は手をついて、何かいないかと探しているようだが、優里が喜びそうな生き物は見つかりそうになかった。すると少し先を行っていた絵里香が二人に声を掛ける。

「これ見て、英語の看板」

 橋梁を渡った右手側に白地に赤い文字が書かれた看板が立っていた。


――警告 在日米軍基地 立ち入り禁止区域――


「在日米軍って、本当に日本にアメリカ軍いたんだ」

 本当に知らなかったのかと、絵里香の無知さに嘆息を漏らす玲だが、その言葉に続いた。

「だからこの先にはアメリカ軍の空軍基地があって、そこに飛行機があるかもしれないって」

「なら早く見に行こうよ、飛行機!」

 意外と絵里香も飛行機に興味があるようで、軽い足取りで線路をとんとんと歩いて行った。

「絵里香行っちゃうぞ」

 まだ興味津々と小川を見つめている優里にそう声を掛けると、少し焦ったように立ち上がり、小走りで玲の元まで走ってきた。

 玲は先にいる絵里香を指さして、優里が先に行くよう促した。

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