晩秋と線路と都市伝説 2

 そして次の週末、玲は自転車の荷台に優里を載せて、絵里香は玲たちより少し先を楽しそうに、長い長い坂道を下っていた。坂道と言っても、坂道と言われて想像するような急な勾配のものではなく、歩いていては気付きにくい、自転車に乗ってこそわかるようなそんな緩い坂道。晩秋の気候だと、そこまで速度の出ていない自転車でも結構肌寒い。自転車の前に乗っている玲は思いの外、寒いことに気付き、優里を気遣って声を掛ける。

「寒くないか?」

 こくりと頷いた優里は楽しそうに笑いつつも、前を走る絵里香の様子をちらちらと伺っている。

「追いつきたいか?」

 玲のその言葉により明るい笑顔を浮かべて、強く頷いた。

「よし」

 そう言って、玲は絵里香を目指して立ち漕ぎを始める。道には多くの瓦礫が転がっていたり、アスファルトが割れていたり、それこそ人樹が道を塞いでいたりと、旧世界のように颯爽と勢いよくスピードが出せるわけではないが、気持ち良いと思える速度は十分に出せた。

 玲も別に運動神経が悪いわけではないので、後ろに優里を乗せた状態である程度の速度を出し、絵里香に追いつき、抜かそうとする。そのすれ違いざま、絵里香の鼻歌を聞いた玲は、ふと抑えきれない懐かしさに苛まれて、強く踏みしめていた足を緩めた。

 その異変に気付いた絵里香は並走している玲を心配して、声を掛けた。

「どうかしたの?」

「なんだっけ今の」

 突然に何かを尋ねられた絵里香はなんのことやらという表情でその返答とした。

「今の鼻歌」

「あっ、聞こえてた?」

 少し恥ずかしそうに言う絵里香に、玲は「聞こえてた」と正直に答えた。

「ゆずだよ。夏色。もう秋だけど。長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せてってさ」

「そうだ、忘れてた。名曲だよね」

「名曲だねぇ」

 絵里香は何か吹っ切れたのかもう一度、鼻歌交じりにその歌詞を紡ぎ始める。

「ゆっくり、ゆっくり、下ってく」

「ゆずの夏色って変な感じしないか?」

 絵里香が歌っていた歌詞の切れ目にそんな疑問を玲は投げかけた。玲のその質問の意味がわからない絵里香は「どういうこと?」と返す。

「ゆずって秋から冬にかけて収穫される果物だろ? それで夏色って、なんか時期おかしいなって」

「えー、玲って変なこと考えるよね。そりゃサマーソングだってウィンターソングだって歌うよ」

「いやそうなんだけどさ」

「っていうかゆず、山にあるの見たよね」

「そうだったっけ?」

「あったよ。ゆず湯入りたい」

「風呂、入ってないな最近」

「お湯沸かすの大変かな?」

「大変だけど、どこかで一回やってみよう。材料集めてきて」

「そうだね、そうしよう」

 自転車に乗りながらだと、前方から吹き付ける風で互いの声が聞き取りにくくなる。だから二人は少し声を張ったような形で、そんな話を続けていた。言われてみれば風呂なんて当分どころか数か月、もしかしたら一年以上入っていないかもしれない。行水という形で体を清めるようなことはしていたが、やはり日本人としては風呂に入りたいし、心からリラックスするには行水ではなく風呂でなければならなかった。

 それから会話が途絶えたり、突然脈絡のない話が始まったりということを繰り返して一時間ほどが経った時、玲が言っていた駅に辿り着いた。基本的には長い下りだったのだが、たまに急な上り坂があったりしたので、玲も絵里香もかなり体力を消耗していた。

「まって、帰りはあの坂登っていくってこと? 信じらんない……」

 一時間以上を下り続けた坂道を自転車で登っていく。それこそ下り坂はブレーキをいっぱい握りしめることなんてなかったから、ゆっくりゆっくり下っていくことはなかったが、帰りはゆっくりゆっくり帰ることになりそうだと玲は思った。

「まあまずはこれからのこと考えようよ。俺は取り敢えず休憩したい」

 一人で乗っていた絵里香に対し、玲の後ろには優里が乗っていた。単純に二倍というわけではないけれど、重心が後ろに引っ張られている状態で、自分ではないもう一人を乗せて一時間近く自転車に乗り続けた玲の体力の消耗は著しい。

「そうだね。私も休憩したいかな。どこかあるかな?」

 絵里香が辺りを見回すと優里が二人を振り返ってから、目の前に聳えていた駅の中へと走って行ってしまった。

「優里待って!」

 優里の突然の行動に、驚き絵里香も玲も疲れを忘れ、走り出す。感染者はもう当分見ていないし、駅の中は夏に入ったデパートの様に真っ暗でないので、変化しきれていない感染者がいることもないだろう。それでも古い建物は崩壊の危険性があるので、無警戒で入ると瓦礫の下敷きになってもおかしくはない。

 しかしよくあるテレビや映画でやっていたゾンビ物のように、走り去っていってしまった優里を見失うことはなく、改札への階段を上る途中で優里を玲が捕まえた。

「おい、勝手に走っていくな。危ないだろ」

 普段とは違って重苦しい声音で、優里を律する玲を見て、絵里香はその怒りを治めた。優里は頭の良い子供だった。流石この世界を生き残ってきただけあって、愚かな行動はしない。だから優里には何か思うことがあってのことではないかと思い、玲は優しく玲に尋ねた。

「どうしたんだよ」

 先ほどより少し威勢が無くなったように見えるが、優里は静かに玲と絵里香の手を取って、駅の改札への階段を上っていく。そこから少し歩くともう誰もいなくなり、動かなくなった改札があった。切符やICカードを使わなければ自動でゲートが閉まる自動改札は既にその機能を失い、一切の金を支払っていない三人を無条件で通す。そしてホームへの階段を降りたところで、ホームのベンチに二人を座らせた。天井や床が崩れていたり、人樹が変に道を塞いでいるようなところもあったりするが、基本的にはその形を保っており、丁度三人が降りてきたホームは並列に並ぶホームの中で一番綺麗に形を残していた。

 時刻は朝の十時頃。秋晴れのはっきりとした太陽が煌々と照らすホームには今にでも電車が到着して、中から人がホームに溢れ出しそうな雰囲気がある。

 優里はこのホームのベンチを、駅の外にいるときから見つけていたのだろう。そして幼少期に旧世界で、このベンチで電車が来るのをワクワクして待っていたのを思い出し、疲れている二人にその気持ちを共有しようとしたのかもしれない。

 二人を座らせて、その答えを少しそわそわしながら待つ優里を見て、玲はベンチから立ち上がり、絵里香と座席を一つ開けて座りなおし、その間に優里を座らせた。

「ありがとう、良い景色だ……」

「そうだね。なんだか昔を思い出すかも」

 感傷に浸る二人を見て、優里は椅子からぶら下がった足をパタパタと揺らした。優里は明らかに成長が遅い。言葉で意思疎通が取れないからそう思うのかもしれないが、明らかに身長が低かった。それはこの世界の現状が影響しているのは確かで、それでも秋の初めに出会った時より二人とも肉付きは良くなってきている。

 でも、旧世界の栄養価に比べればまだまだである上に、普段の生活の質も高くない。

 この現状を何とかしなければならないと強く思う玲の想いは、確実に父性から来ており、今までは死ぬまでの長い暇つぶしのような生き方であった玲が生きる理由を見出していた。それを自らをも自覚して、静かに拳を握りしめている。

「でも」

 そう切り出したのは玲だった。

「もう二度とあんな真似をするな」

 敢えて、優里にもわかるように怒りを露わにして言った。油断した時が危ないというのももちろんわかっているが、玲自身最近はだんだんと気を抜いてしまう瞬間が多くなってきている。それは命の危険を感じるレベルのひりつく状況に陥っていないからであり、それは喜ぶべきことなのかもしれないがどうしても今までの癖が抜けない玲はそんな自分に嫌気が差してしまう。

 そんな状況で優里が自分の目の届かない所なんかに行ってしまったらと思うだけで、ゾッとする。それを伝えようと、なんとか自らの怒りを優しさで包んで優里にぶつけた。

 優里は頭が良い。だから怒鳴り散らさない玲を見て、なぜわざわざ玲が改めて怒りを露わにしているのかを理解していた。

 静かに頷く優里を見て、玲は優里の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「わかったなら良い」

 そんな兄弟のような親子のような様子を見ていた絵里香も優里に一つ「本当だよー? もう二度と、ね」と優里の顔を覗き込みながら言った。

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