盛夏と孤独とカップラーメン 3

 それからの帰り道、最近聞いていなかった文明の音を確かに玲の耳が捉えた。下腹部を揺らし、耳の中で反響するこの重苦しい音は、車だろう。

 生存者かと思った玲は懐に納めておいた包丁を、鞄に差しておいた物干し竿にテープで括りつけ、簡易的な槍として、音のした方向へと姿勢を低く歩いていく。生存者は味方ではなく基本的には敵である。敵でない場合は損得が一致した場合のみの協力者に過ぎない。

 ビルの一階部分に突っ込んでいるのはジープで、浮いた前輪がまだ虚しくくるくると回っている。玲はスキー用ゴーグルをつけ、バンダナで口を覆った後、その車にゆっくりと近づいた。

「生存者かな? 次は裏切るの? 殺すの? イヒヒヒヒ」

「うるさい……だまってろよ……」

 そして、未だ閉まっているドアを開け、中を確認する。そこにはまさに今植物へと変わっていく感染者がいた。グだか、ガだか枯れた喉を鳴らすような声を発しているが既に皮膚や筋肉の硬化が始まっているため、身動きを取ることはできない。

「今の今まで生きていたのか……」

「こいつらは生きてないんだよ。死んでるんだよ。知らないのかよ。イヒヒヒヒ」

 感染者の完全停止を確認した玲は車に乗っていた二人を下ろし、運転席に乗り込む。鍵を回してみるが、エンジンが動く素振りはない。

「ちっ。貴重な車をダメにしやがって」

 仕方なく玲はこの車を解体することにした。

「故障じゃないでしょ? 直せないの? あ、マニュアルだから運転できないのか。ださいな。イヒヒヒヒ」

 またその前に荷台を確認するとそこには宝の山が並んでいた。どこを探してもなかった弾丸がそのジープには積み込まれていたのだ。

「なんでこんなにあるんだ……。そういえば自衛隊が武器を回収していた時期があったか。人々を守るためになんて言って。でも上手くいかないで自衛隊も警察も壊滅。武器はまた散り散りに。その時のがまだあったということか」

「また独り言かよ。オレに話しかけてもいいんだぜ? イヒヒヒヒ」

「しかしラッキーだったな。これだけあれば当分武器には困らない」

「あーあ銃をちゃんと手入れしてればよかったのにな。イヒヒヒヒ」

「帰ったら銃の手入れをしないと。でも先に食料を運んでからだな」

 と、玲は木箱に詰められた弾丸を確認してから、住処へ急ぎ食料を保管しに戻る。その後、ジープの荷台からそれら弾丸を鞄に入れ、改めて住処に運ぶ作業を始める。幸いなことにジープから住処までの距離はそこまででなく、貴重な弾丸のためであれば何往復も苦ではなかった。


 そして全ての弾丸を住処へ運び終える程度で、本当に車が動かないことを確認した後に、住処から取り出したいくつかの工具で車の解体を始める。バッテリーやエンジンの細かな部品、タイヤのゴムやホイールなど使えそうなものから使えなさそうなものまで片っ端から回収していく。

 その多くはバリケードなどの適当に廃材を固めたものに使われるのだが、バッテリーや金属部品はいつか何かの役に立つかもしれないと思い集めていた。しかし加工するにも技術はなく、まさに宝の持ち腐れという状況であることも確かであった。

「鈴木英雄は車のパーツを改良して弾丸にしてたけど、お前にはその技術はないよな。イヒヒヒヒ」

「いいんだよ、弾が手に入ったんだから……」

 多くの荷物を背負い、再度分割しながら住処へと持ち帰る。その作業が終わる頃には既に日は傾き始めており、前食の時間を逃した玲は悪態をつきながら食事の準備を始めた。

 食料が少ないこの世の中で、エジソンのために一日三食も食べてやる必要はなかった。だから玲は一日の内の食事を二回にし、午前十一時程に食べる方を前食、午後十九時程に食べる方を後食とした。

 今日の後食はカップ麺だった。昨日の食事もカップ麺だった。一昨日の食事もカップ麺だった。世界にはカップ麺が溢れているのかと思われているほど玲の食事はカップ麺で染まっていた。それもお湯とカップ麺自体があれば出来てしまうので、手間がかからないのもそうだが、スーパーなどの食品店に顔を出してみても、生鮮食品などと比べ、見た目からカップ麺は食べられそうという印象が得られたためであった。

 旧世界ではお湯のみで作られる麺類がラーメンを始め、そばやうどん、パスタに焼きそば、ラーメンご飯など味の種類も考慮すれば数えきれないほどの種類があったのが唯一の救いであった。恐らく一種類しかなかった場合孤独より先に、カップ麺によって狂気に陥っていただろう。しかし粉末スープであれば良いのだが、液体スープが入っているタイプのカップ麺はスープがもうダメになってしまっているため、塩や砂糖などのダメにならない調味料を入れて味を誤魔化していた。そのような理由から粉末スープタイプのカップ麺は少し格が上であり、今日のような多く物資が手に入った日などは特別に粉末スープのタイプのカップラーメンを選んだ。

 ライターの点火機構を利用した火打石で、まずおがくずに火を付け、それを火種として新聞紙、薪へと火を移していく。その後火が付いたらその上に、雨水を一度煮沸して保管しておいた水をやかんに注ぎ、もう一度沸騰させる。

 外から気付かれないように僅かな灯りしかない住処の中でもわかるほどの湯気が立ち込め、その湯気が収まらないうちにカップ麺の容器へと注いでいく。

「カップ麺~。カップ麺~。今日も明日もカップ麺~。イヒヒヒヒ」

 この料理が出来るまで待っている時間が玲にとって、一番楽しい時間だったかもしれない。

 旧世界での玲はどちらかと言えば、男の中でもやせ型であった。それこそ食べなければ生きていけない世界、今食べなければ次いつ食べられるかわからない世界になってから、積極的に食事を摂るようになった。

 電気もつくことはつくようだが、配電盤などを弄るための知識を玲は持ち得ていないため、旧世界で少し遊んでいたゲームを使って楽しむことはできなかった。本や漫画も、銃や弓などの生きていくために必要な勉強の糧となるものや、それこそこの世界を生き抜くための予言書となったそれらの本などしか住処には置いておかず、無駄な物資の運搬は避けてきていた。

 箸で抑えていた半開きの蓋を全て取り去り、食事を始める。蓋を開けると同時に出た湯けむりは玲の顔を薄っすらと濡らし、空気に溶けて行く。溶け切っていない粉末スープを箸で溶かしながら、麺を解し、一口程つまんだ麺を思いきり啜った。静かだった住処の中に麺を啜る音が響き渡る。

 夏だ。夏にエアコンの無い場所でカップラーメン。食事中には不快な汗が流れ落ちるが、もう慣れたものだった。それよりも味わい深い醤油ベースのスープの味を玲は楽しんだ。


 生きている気がした。


 食事は自分の生を実感させるとともに、やはり力が戻っていくのを感じさせた。世界がどれだけ変わっても食事は必要で、人は生きねばならなかった。

 誰一人としていなくなった世界で玲は一人カップラーメンを啜っている。この状況がどれだけ寂しいことか理解できる者は誰一人いないだろう。かつては玲もこの孤独に慣れていく自分が怖かったが、その恐怖すらも今は消え去ってしまった。しかしそれは本当に消え去ったわけではない。玲が人としての気持ちを思い出す時間があった。

 食後、外に出ると雲一つない空は真っ赤に染まり、西に沈む日は崩れ去った建物を橙色に照らしている。黄昏時。旧世界では妖怪たちが生き辛い昼から夜に変わるこの時間、彼らが活発に活動し始める時間として恐れられていた。しかし時としてそれはもの寂しさと相まって、妖怪だけでなく先に旅立った者たちとの会える時間帯とも言えた。

「またレイがナーバスになりはじめたよ。弱虫、弱虫。イヒヒヒヒ」

 外に出て武器を片手に寝転がり、移り変わっていく空を見ている玲はイヒ郎の皮肉を無視して、暗くなる空を見守る。毎日この時間、玲は終息までの記憶を思い返す。そして涙を流した。旧世界での友との別れ、自分の利益のために殺した者たちの表情、自分が裏切った人々。一人一人の顔を鮮明に思い出し、忘れないように記憶を脳に焼き付けていく。

 あの時は生きるために仕方がなかった。そのことに関して文句を言える者はいない。だが生きるために心を殺すということは、当時齢十七歳であった玲にはいささか難儀なことであった。その当時こそは騙し騙しやってきたものの、全てが終わった今、それらは巨大な波のように玲の心に流れ込んできた。

 もしあの時自分が裏切らなかったら、今孤独ではなかったのだろうか。

 もしあの時自分が助けていたら、今共に食事をする者がいたのではないのだろうか。

 もしあの時自分が殺さなければ――。


 後悔は募るばかりだった。しかし最後こそ、空気の汚れは無くなり、澄み切った満天の星空を見て玲は言うのだ。

「まだだ、かかってこい」

 と。それが誰に向けてなのか、何に向けてなのか。自分を鼓舞するための言葉なのか、決意の表れなのか。恐らく玲にもわからないのだろう。しかし明日も玲は生きていく。強く、そして弱く生きていく。

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