晩秋と休暇とボウリング 2

 外に出ると鮮やかな青空が広がっていた。人がいなくなったどころか車や工場すらも止まった都会の空気はたった三年で見違えるほどに綺麗になっている。

 しかし、この清廉な空気は町から少し離れた山にも同じように広がっており、都会とは比べ物にならないほどの澄み切った空だった。越冬のための食料集めと言うまさに労働とも言える作業を続けていた玲は、この二人に出会うことがなければ、この紛うことなき美しさに気付くことはなかっただろう。

 別に絵里香は本当に心の底からただ休みたいと思っただけなのかもしれない。それでもその休みという旧世界では当たり前のなんてことの無い一日が確かに玲の心に日を差した。


 山奥の街は都会とは違って、まだ形を残しているところが多い。玲は辺りを見回してそう思った。

 戦争が起きたわけではないので、建物がミサイルとか大砲とかで破壊されたということではないが、人の管理が行き届かなくなった家々は崩壊を始めている。それに含めての生存者と感染者、生存者と生存者の戦いが勃発したから都会の多くの建造物は瓦礫に変わった。

 それに対し、田舎の家々はそう言ったごたごたに巻き込まれることはなかったために、かつての面影を残している家も多い。しかし都心から離れれば離れるほど木造の割合は多くなるために、雨などによって木材が腐り、倒壊した家も多く存在していた。

 だけどその形を保っている家は、都会と比較してやはり多い。それこそこの垣根を超えた先にある縁側には可愛いおばあちゃんが陶器の湯飲みで温かいお茶を啜っていそうな、その玄関口から元気な犬が飛び出してきそうな、そんな生活感を残した家が沢山あった。

「可愛いおうちたくさんだね」

 優里と手を繋いでいる絵里香は街並みを楽しそうに歩きながらそう言った。優里は変わらない無邪気な笑顔で笑う。


 ずっと東京で暮らしてきていた玲は田舎に縁がなかった。だから家の一つ一つの敷地がこれほどまで大きなことに驚いていたし、街と称することの出来る繁華街に辿り着くまでこれほどの時間がかかると思っていなかった。片道約二時間ほど。

 寧ろよく絵里香が文句を言わなかったなと思うくらいだが、それだけ娯楽に飢えていたのだろう。

 街に着いた時点でかなり楽しそうにする絵里香に対し、玲は見る見るうちに警戒心を高めていった。

 都会に拠点を構えていた玲が、そう思うのもおかしな話だが、繁華街と言うことはかつて人が多くいたということになる。だからそれだけ感染者との遭遇のリスクが上がる。しかし繁華街を森のように変化させてしまった人樹を見るに、大抵の感染者は活動を停止させているはずだ。

 最初こそ役所やコンビニにおいてある地図を目印に街へ降りてきたから道は間違えていないはずだった。しかし辿り着いたそこは森だった。

「色んなコミュニティを転々としていたからこんなことになってるなんて……」

 旧世界で見たことのあるチェーン店や大手百貨店、パチンコ屋など多くの店の看板や外観を木々が覆い隠していた。

 寧ろ都会は人の密度は高かったかもしれないが、それだけパンデミックにおいて危機感を持っているのも確かだった。だから最後まで都会に残った人々は意外に少なく、完全に変化した人樹の数は少ない。

 少ないと言っても、結局都会の人は多く、感染者の巣窟になっているような場所もあった。だからこそかつて大都会と謳われたような都市に人は寄り付こうとはせず、感染者がたまに徘徊しているゴーストタウンに成り果てていた。

 それに比べて、田舎は物資が駅周辺などの繁華街に集中していることが多く、物資が足りなくなった人々はこういう繁華街に集まっていく。すると芋づる式に感染者は増えていく。それがこの大森林の結果だ。

 文明の残り香はかすかに感じるが、ほとんどが木々に囲われており、その木から差し込む日差しがかつての文明を照らし出している。玲は腰に差していた鉈を抜き、木々の枝を打ちながら、前を突き進んだ。

 辺りが鬱蒼としているため、建物の扉の付近まで近づかないと、その建物が何であるかを確認できないほどだった。しかし都会の様に扉が閉め切られているようなことはなく、建物に辿り着くことが出来れば簡単にその中に入ることが出来た。


 玲が勢いよく扉を開けると、ネズミなどの小動物だろうか、目の端を黒い塊が建物の奥へ逃げていく。

「ここも酷いな」

 いくつかのテーブル席と、店のほとんどを埋めるカウンター席、そして少し奥が見えるキッチン。旧世界では至る所に存在していた牛丼チェーン店だった。

 カウンター席の椅子からは天井に向かって人樹が生えており、それが天井を突き破り店内に日の光を差し込ませている。

「牛丼なんて全然食べてないなぁ」

 ガラスの破片を気を付けながら歩く絵里香がそんなことを漏らし、玲は驚いたように見つめる。

「女子高生って牛丼食べるのか?」

「いや、一人ではさすがにいかないよ。友達とカラオケとか行った帰り? 金欠だけどお腹空いたからみたいな感じで入ったことあるかな」

 玲の突飛な質問に笑いながら、絵里香は答える。

「まあそんな何回も行ったことあるわけじゃないけど、お父さんが大好きで、良く買ってきてくれてたの」

「そうか」

 思わぬところで過去を引き出してしまった玲は申し訳なさそうに返すことしかできなかった。

「ちゃんと卒業したかったな……」

 絵里香は今年で二十歳になるらしい。それに対し玲は今年で二十一歳になる。パンデミックが起きた当時玲は十七歳、絵里香は十六歳だった。二人とも本来ならこれからもっと高校生を楽しんで、受験を頑張って、四年間の大学生活を謳歌するはずだった。

 こんなボロボロの格好で、銃を担ぎながら牛丼屋に思いを馳せるなんてことは、ありえなかった。

「言っても仕方ない」

 そう言いながら玲はキッチンの奥にある大きな寸胴鍋の蓋を取った。中身はかつて何かがあった形跡はあるものの、空だ。他の冷蔵庫だったものやストッカーなどを漁ってみるが、流石に食料は残っておらず、もし残っていたとしても腐り果てているだろう。

「他のところ見に行こう」

「うん」

 

 三人して息を切らし、汗を流しながら森の中を進んでいくと、今までの建物と違って少し大き目な入り口とエントランスを持った建造物に辿り着いた。

「なんだろうここ?」

 受付のようなカウンターの脇には奥に続いているであろう通路、壁際には22.0から30.0と書かれたロッカーのようなものが並んでいる。

「ボウリング場だな」

 玲はお土産ショップのようなところでマイボールとポップのついた十三ポンドのボウリングボールを見つけた。

「え! じゃあこの奥にレーンがあるのかな!」

 と言って、絵里香は嬉しそうにカウンターの脇にあった通路へ走って行ってしまう。

「あ、おい。ちょっと待て!」

 もし感染者が居たらという不安に駆られ、玲はぼーっと辺りを見ていた優里の手を取って、絵里香の跡を追う。

 するとそこには呆然と立ち尽くす絵里香がいた。

「ねえ、玲」

 玲もその景色に呆気に取られたようで、無謀な絵里香の行動への怒りも忘れ、その景色に目を見張る。

「凄いなこれは」

 ボウリング場なんて、老人が凄い球を投げているようなちょっと異質な空間というイメージが玲にはあった。友達と行くと楽しいけど、それは友達と同じ時間を共有していること自体が楽しいのであって、ボウリング自体とか、ボウリング場に魅力があるわけではない。

 でもこのボウリング場は、女子高生の時から時が止まっている絵里香からすればインスタ映えスポットかもしれない。


 もう電気がつかないスコアモニターには蔓が纏わりつき、ボウリング場の天井の半分は崩落している。その崩落した天井を覆うように育った人樹によって緑の明かりが、明るい茶色のボウリング場の床を照らす。

 玲は森のボウリング場というなんともセンスのない言葉しか思いつかなかったが、言いえて妙と言うか、まさにそれとしか形容しようがない景色がそこには広がっている。

 木々に侵されたボウリング場は、外の繁華街より圧倒的に、文明と自然のコントラストを鈍らせた。


「玲、優里。ボウリングしよっか」


 森のボウリング場に絵里香のそんな声が響いた。

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