エピローグ
町を襲った事件については、真一と綾乃、動物園の園長の他は、誰も覚えていなかった。皆、あの白いライオンが現れてからの記憶をなくしていたのだ。
不思議なことに、新聞や週刊誌の記事からも、ライオンに関することは消えていた。
ぽっかりと隙間を開けた記事、空の記憶ディスク、それに加えて、世界中で観測された空から降り落ちる謎の白い結晶、聖なる場所にある獅子の石像の振動・・
そういったことが山ほどに報告され、日本を中心に、地球的規模で起こった怪事件として世界を騒がせた。
【それは、自然界の秩序の乱れと、均衡を戻そうとする力によって起こったこと。人智を超えた力が、何らかの作用を及ぼしたのです。
我ら人間は、自然界の秩序を構成する歯車の一つであることを自覚しなければなりません。さもなければ、取り返しのつかない災いを招くことになるでしょう】
遥か西の
だが、あまりにも漠然とした内容に、気づきを得る人はほとんどいなかった。
事件の現場だった町の人はというと、呑気なもので、神社の狛犬が壊れ、たくさんの窓ガラスが割れていたことに驚いたが、
「どこかの罰当たりの連中がやったのだ。警察にもっと厳しい目を光らせてもらわないと困る」など、
自分たちが関係していたとは考えもせず、架空の悪者を想像して納得していた。
動物園の園長は、邪神の呼び声から人々を救った動物たちを自慢したくて、多くの人に事件の真相を話した。もちろん誰も信じなかったが、それでも、面白い話をしてくれる園長がいるということで、入園者は増えていった。
真一と綾乃は、誰にも話さなかった。
きっと信じてもらえないだろうし、取りあえずは、その必要もなくなったように思えたからだ。
はっきりと、何かが変わったわけではないのだが、町の人の顔には、 ゆったりとした笑顔が増えていた。
気持ちのゆとりの現れか、身近な所では、日曜日ともなると、誰が言うというのでなく、壊れた狛犬を直したり、河原に落ちているゴミなどを拾ったりした。
町内やその周辺で行われていた様々な開発工事については、本当に必要なのか、再度、検討しようという意見が強まっていった。
ニュースでは、自然との共存を訴える団体が世界各国で生まれ、支援者が増加していると報道されていた。
果たして、今後どのようになっていくのかは予想はできないが・・・
真一の竹刀を振る形は、以前のように軽やかさが戻っていた。体育館の片隅で、綾乃が歌を口ずさみながら見つめても、何も起こらなかった。
ただ、その一振り一振りに、以前にも増して勢いが加わり、相手に立った者は、竹刀の先に火花のような輝きを見たような気がした。
綾乃の歌声は変わらずに美しかった。公園などで歌うと、人はもちろんだが、今や、犬や猫、鳥たちもが集まるようになり、天使の歌声を持つ少女と噂されるようになった。
・・ ・・ ・・
さて、校庭に残された二体の狛犬の像はどうなったことだろう。
「ふう、やたらに重い。俺たちで山の上の神社に戻すなんて。真一、なんでそんなことを生徒会に提案したんだよ!」
太いロープを引きながら、力自慢の健太が唸っている。
「僕たちの命を助けてくれたんだ。当然だろう」
真一は、斜めに体をよじりながら笑った。
「ちいっ、わけがわからん」
「もうちょっとだよ、健太君。頂上に着いたら、冷たいジュースが待っているってさ」
正が苦しそうにあえいだ。手を伸ばしているだけでも辛そうである。
今、津田川中学校の生徒たちは、力を合わせてロープを引いているところだった。厚板に乗せられた二体の狛犬が、じりじりと荒れ山の坂を登っていく。
列の後方から真一を見上げる綾乃が、顔をひきつらせながらも微笑んだ。
『見て、狛犬の顔、笑っているみたい』
そう声に聞こえるようだ。
真一は頷いた。
『うん。嬉しくてたまらないみたいだ。待ってろ、守護獅子と剣獅子。今度、その体に宿った時にびっくりするように、ぴかぴかに磨いてやるから』
八月の終わりの太陽が、さやさやと揺れる木の葉の間でまぶしく煌めいていた。
終わり
白い結晶の降った日 @tnozu
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