第8話 心を奪われた人々

帰りの車の中、助手席の母さんが振り返った。

「真一、何をやったのか、きちんと話しなさい。それにこのサングラスはどうしたの?」

母さんは、真一がとんでもないことを やらかしたものと思っているようだった。

「まあ、ちょっと待て。車を運転していたら、ゆっくり話が聞けない。家に帰ってからにしよう」

父さんが笑いもせずに言った。

残念ながら、稔はお目当てのアイスクリームを買ってもらえなかった。


帰宅して、すぐに父さんは居間の電話機の前に向かった。

「母さん、確かめたいことがあるんだ。真一と稔のクラスの名簿を出しておくれ。話を聞くのはそれからだ」

父さんは、透明ファイルに入った名簿を見ながら、次々と電話をかけていった。

「いつもお世話になっております。お子さんと同じクラスの平田と申しますが・・・」

言葉は愛想よいのだが、父さんの顔は真剣そのものだった。

数字を押す指先は、硬く緊張している。父さんが何を確かめているのか、真一はもちろんだが、母さんも半ば気付き始めていた。


「で、どうだったの?」

一通りかけ終わった後、母さんが聞いた。父さんの顔は辛そうに歪んでいる。

「三件だけだったよ。人間らしく笑いながら話をしてくれたのは。稔のクラスは、皆だめだった」

何もわかっていないはずなのに、稔の顔が今にも泣きそうにこわばった。

「三件って?」

「ええと、木沢さんと田中さん、それにあの」

「村井さん」

真一は息せき切って言った。綾乃は隣のクラスだが、欄外に電話番号が書き足してあったのだ。

「そう。他の人たちは皆、感情のないロボットのように冷たく話をするだけだった。担任の先生も。さあ、真一、サングラスの秘密を話しておくれ」


事態は深刻さを増していた。

おそらく殆どの町の人が、隕石を見て心を奪われてしまっているに違いない。もはや、秘密とか、理解してもらえないなどと言っている場合ではなかった。

「話は動物園での事件に戻るのだけど・・」

真一は全てを話した。さすがの母さんも黙って聞いていた。


「うーむ、僕は真一の話を信じるよ。きっと、あの隕石からは機械では検出されない人の心に作用する放射能みたいなものが出ているんだ。しかしだ・・」

大きく頷いた父さんだったが、同時に腕を組んで唸った。

「隕石とライオンから聞いた話は、どう関係するのだろう。あの隕石が、邪神とかいうものと思えないしな」

「やっぱり、あれは卵なんだ。兄ちゃんのいう邪神が、あの中から生まれてくるんだ。最初に人間の心を吸い取っているんだよ」

「そんな怖ろしいこと、言ってはだめ!」

強く言った母さんが、父さんに視線を投げた。

「私、気持ちが悪い。本当に真一の話したことが起こりそう。ねえ、今夜からでもいいから、広島のお祖父ちゃんの家に行きましょう」

「むう・・」父さんは腕を組んだままだ。

「母さんの気持ちはよくわかる。しかしだ。もし邪神が出てきたら、誰がそいつと戦うんだ。白いライオンは、真一と村井さんが邪神を退治する剣士と巫女だと言っていたのだろう」

「何言ってるのよ!そんなの警察とか、自衛隊に任せておけばいいじゃない」

泣き始めた母さんに、顔をしかめながら父さんは真一を見つめた。

「僕だって、どうしていいかわからないよ」

真一は小さくつぶやいた。


その時、チャイムが鳴った。

時間は夜の十時を過ぎていた。

「誰、こんな時間に・・」

涙を拭いながら、母さんが出ていった。と、玄関から、叫びともつかない小さな声。

「二人とも絶対に来るなよ。何かあったら、南の窓から逃げるんだ」

言いながら父さんが走っていった。


「兄ちゃん、どうしよう」

稔が真一にしがみついてきた。

「落ち着け、父さんがなんとかしてくれる」

真一は、稔の手を引いて窓に向かい、雨戸のシャッターを半分引き上げた。


『いざとなったら、稔を連れて逃げなくては!』

爆発しそうな胸の鼓動を感じながら、真一は玄関に耳を傾けた。


乱闘が起こっている様子はなく、静かな声が交わされている。やがて、部屋のドアがゆっくりと開いた。

「父さん、だいじょう」

言いかけた口が止まった。

差し出された父さんの手には、ここにあるはずのない丸い物が乗っていた。そして、その顔は・・・

「稔、見ちゃだめだ!」

真一は稔の目を塞いだ。

小さな体が硬く抱きついてきた。

「兄ちゃん、隕石、見なければだめだよ」

抑揚のない冷たい声が聞こえた。

視線を下げれば、稔の顔は、前に並ぶ両親と同様に表情をなくしていた。まるで三体の蝋人形ろうにんぎょうがじっと見つめているようだ。


「やめてくれ」

稔を振り解いた真一は、捕まえようと伸びてくる三人の腕の下をかいくぐり、玄関から走り出た。雨戸を開けていたことなどは忘れてしまっていた。


外の通りには、博物館のワゴン車が止まっていた。その横を走り過ぎた時、エンジンをかける音が聞こえた。逃げようとする真一を車で追いかけてきたのだ。


真一は、家々の間の用水に蓋をした小道に入った。すぐにも急ブレーキを踏む音が聞こえた。そのまま、ひたすら走り続け、道の先に深い切れ込みが見えた所で振り返った。優に十人を越える人々が、あとを追いかけてきていた。中には父さんの姿も見える。

「くそう、父さんまでやられてしまうなんて。それに母さんと稔も」

走りながら唇を強く噛んだ。


間もなく、黒く流れる用水とぶつかった。幅は七メートル以上はある。とても飛び越えられるものではない。それに大人の背丈よりも深く、両端はコンクリートで崖のように固められている。

「どこだどこだ」

真一は、真横にある人の住んでいない家の生け垣の下をまさぐった。

「あった」

手に触れた棒切れを引き抜いた。棒には紐が結わえてある。それを引きながら用水に浸かっていた太いロープをたぐり寄せた。ロープの先は、向こう岸に生えたくすのきの高い枝に結ばれている。強く握って後ろに数歩さがり、そのまま足を持ち上げた。


ロープは振り子のように用水の上を流れ、真一は、少し高くなった向こう岸の壁に、したたか体を打ちつけた。痛いなどと言っている間もなく、ロープを登り、反対側の岸にたどりついた。

大人たちには内緒で、健太らとターザン遊びをした場所が、こんなふうに役立つとは思ってもいなかった。元の岸には、追いかけてきた人々が集まっている。


「真一、何故逃げる。皆で我らの神が生まれる準備をしよう」

父さんが冷たく呼びかけてきたが、返事をすることもなく向き直り、また走りだした。

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