,from me to you.

 春の陽気に誘われて冷たい土の下から愛らしい新緑の芽が息吹き始めていた。

 紅い枝葉から落ち、冬の冷たい枯れ野の下でひとり身を丸めて待っていた種から白と緑の茎を伸ばして、遠く輝く太陽を求めていく様は、ひとえに生命の力強さを感じずにはいられないと思わせるかのようだった。

 雲ひとつ無い春の抜けるように青い空が見える午後の一時。

 ゆずる=ヴィアレットは妹を隣に自室のリージェンシー様式のソファに深く腰掛けて、何でも無い古典の書物を眺めていた。

「ねぇ、お兄様」

 退屈げにぼんやりとしていた妹が口を開いた。

「お兄様の眼が欲しいわ」

 ゆずるは読んでいた本を閉じそばのサイドテーブルに丁寧に置くと、それまで閉ざしていた桜色の唇を静かに開いた。

「好きにしていいよ」

 ゆずるはゆなの方を振り向くと、まるでお菓子をねだる子どもへ言うように易く答えた。

「お兄様が困るのは嫌ね。私の眼もあげるわ。交換しましょう」

「ゆながそうしたいならいいよ」

 少女は兄の答えに顔を綻ばせると、その白磁にも似た白い手を少年の首元へと絡ませた。

「嬉しいわ」

 少女は猫が所有物に匂いをこすりつけるように少年の顔を自らの頬で撫でつけた。少女に塗られた高級なファンデーションの甘く匂いが少年へとすり込まれていく。

「どっちがいいの?」

 ゆずるは自分の身体に被さった妹の細い腰を優しく両手で抱くと、優しい微笑みを浮かべて言った。

「紅いのがいいわ」

「なら僕は蒼い目になるのだね」

 お互いの眼の色に合うようじっと見つめ合った。双の虹彩に輝く星空が光を交換し合って増幅するかのようにきらきらと美しく瞬いていた。

「いえ、紅いのはいやだわ」

「そう」

 妹の急な気紛れも、少年はなおも優しく受け止めた。

「どっちがいいの?」

「蒼いのがいいわ」

「なら僕は紅い目になるのだね」

 今度はゆなはさらにさらに深く兄の瞳をのぞき込んだ。そこには恐ろしい程に暗い深海にも似た深い穴があるかのようだった。

「いえ、蒼いのはいやだわ」

「そう」

 ゆずるはぎゅうと力を込めて、妹の身体を抱き寄せ、耳元でこう囁いた。

「何が欲しい?」

 ゆなはされるがままに脱力して、しばらくの黙考のあとにこう言った。

「どっちも欲しいわ」

「僕はゆなに両方ともあげるよ」

 少女は兄のその言葉に煩わしげに「…いらないわ」と答えた。

「ねぇ、お兄様」

 今度は兄の頭を抱きながら、ゆなが囁いた。

「ん?」

「私は海になりたいわ」

 なおも少女は胸の中にゆずるの頭を収めたまま続けた。

「何もかも受け入れて、何もかもが混ざり合う。ひとつの海になりたいわ」

「全てが混ざってしまえれば、全てを受け入れることができるわ」

「お兄様は何になりたい?」

 ゆずるは妹の胸のなかで顔を僅かによじって答えた。

「なら僕は砂になりたいな」

「波にのってどこまでも流されていくんだ」

「僕は海に浮かぶ砂粒になりたいよ」

「どこに行きたいの」

「ゆなの行きたい所に」

「あぁ、なんて月並みなんでしょうね」

 ゆなはそう言って、再び退屈げに目を閉じて黙ってしまった。

「ねぇ、お兄様」

「ん?」

「私は海になりたいわ」

「僕は砂になりたいな」

「…いいわね。それも」

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