Walk Down Memory

 白い漆喰の壁に囲まれた部屋に設えられた、摂政様式のシェーズロング(寝椅子)に双子の人形があった。命を持つ双子のうちの兄の方は、寝椅子の頭のクッションに肘をつき、20世紀に書かれたフランスの小説に没頭して座っていた。そして、彼の並べ揃えられた細い脚を枕にして、双子の妹が夢うつつにぼんやりと目の前にある暖炉の炎を見つめていた。

 ガラス窓の備え付けられた暖炉では、積まれた薪を燃料として、暖かな熱を感じさせる炎がめらめらと燃えさかっていた。燃料となる薪のパチパチと弾ける音を聴くことはできないが、ゆらゆらと揺れ動く炎をじっと見ていると、心が沸き立つような気もするし、遙か遠くの記憶を呼び起こすような懐かしい気持ちもしてくる。少女は枕にした兄のバミューダショーツから感じる、仄かな温かみを感じながら、溶けた蜜蝋が壜の底へと流れるような重たくて甘い安心感に包まれていた。

 部屋は双子の隠れ家ともいえる場所だった。

 クリーム色に近い白漆喰の壁には、大小様々な額縁に収められた古今東西の艶麗繊巧な絵画が飾られていた。床はヴィアレットの盾の紋章が刻まれた抽象模様の寄木造りに、印度更紗を思わせるオリエント模様の赤紫の絨毯が敷かれ、天井から降り注ぐ橙色の柔らかな光線に鈍く照らされている。双子の座る寝椅子の傍にはウォールナット材のネストテーブルが三台乱雑に並べられ、やや広めの一台には珈琲のポットと飲み残されたカップが置かれていた。他の二台には、少女と少年が持ち込んだ本が数冊平積みにされていて、ハードカバーの凝った装丁もまた、部屋の情緒を豊かにする一助となっていた。双子の居座る広めの寝椅子の他には、チッペンデール様式の透かし彫りの背板が見事な椅子が数脚と、双子の向かいにまた一脚寝椅子が鎮座するのみだった。少女の万巻の書が眠る人工楽園に負けず劣らず、美しい芸術品とアンティークの家具や調度品によって彩られた双子の隠れ家は、双子の悠久の時と豪奢な富によって、いずれ訪れる熟した文化が崩れ落ちていくような退廃的な雰囲気を醸し出していた。

 少女はふと、暖炉の炎から目をそらした。

 目線は黒壇のマントルピースから蔦の木彫細工へと移っていき、星の群れの如く瞬く匠の芸術のなかに佇む、一枚の絵画へと止まった。それは湾曲した丸みのある金縁と、上下に薔薇の彫刻がされた額縁に収まった一人の少女を描いた肖像画だった。

 背中に広がる青空と草原は、古代ローマの家々の壁画に描かれたフレスコ画を彷彿とさせるような淡い色合いで塗られ、カメラの焦点が少女へと向けられてくっきりと映し出されている。

「ねぇ、お兄様。彼女は誰だと思う?」

 もう2時間近くも、一言も発せずにいたゆながようやく口を開いた。

 ゆするはかけられた言葉に読みかけのページに指を挟んだまま顔を上げると、妹が先の絵画に向かって指さした方向を見た。

「さぁ、誰かなぁ」

 ゆずるは本に栞を挟むと、傍のネストテーブルに置いて、答えた。

 ゆなに比べると、書画詩文にはいささか疎いが、それでもある程度目の肥えた少年にも、作風といい時代といい、見た試しがなかった。

 絵画のなかの少女は不思議な雰囲気を纏っていた。年齢も性別も判然としない、何者でもないように見えた。

 髪も長く、服装も、僅かに膨らんだ胸もどれもが妙齢の少女を表しているが、その表情は大人びた艶やかさも併せ持っており、そしてどこか少女らしい幼さも残っている。その桜色の薄い唇と、柳の色にも似た青蛾は瑞々しさを感じさせる。

 パープルサファイアにも似た深紫の虹彩の先には、何が映るのだろうか。

 山間のなかに佇む深緑の森林を思い起こさせるような、昏い緑がかった髪が、絵の向こうでは風になびいている。

 華美な装飾も取り払った、簡素でゆったりとしたワンピースはどこか修道女のトゥニカを思い起こさせる。

 そのそらした視線と表情は何を考えているいるのだろうか。

 ひょっとすると鑑賞をする人にその想いは委ねられるだろう。

 寂寞を感じる人には、悲哀を帯びた姿に。

 愉快に生きる人には、幸福を纏った姿に。

「ねぇ、彼女は何を考えているのかしら」

 絵画の向こうの彼女はどのような面持ちで絵画のモデルとなったのか、これを描いた人物は彼女の何をキャンバスへと写し取りたかったのか。

「何を考えているのだろうね。楽しげに見えるけど、明日になったら違う気分かもしれないね」

 ゆずるは膝に迎えたゆなの艶やかな髪を優しげに撫でながら答えた。

「あら、お兄様。あまり絵画に興味は無いかと思ったけど、言い得て妙よ。その答えは」

 ゆなはそう言って、兄の膝を枕にしたまま仰向けになると、だらんとさせた細腕を持ち上げて、ゆずるの首へと回した。

 妹が腕に少し力をくわえると、ゆずるの身体は前のめりに傾いていった。膝の上にある妹の顔が段々と近づいていく。

 ほんの一瞬。唇が無機質に触れあった。

「あの子は僕たちだよ」

 一寸ほどの距離を隔てて、ゆずるはぽつりと呟いた。

「さぁ、どうかしらね」

 ゆなは目を閉じて、無表情に答えた。ゆずるはその顔が笑っているように思えた。

 再び、双子の距離はゼロとなった。


※9月の誕生石はサファイアである。

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