Sin. Decadence.

 マホガニー製のサイドテーブルの上で、鈴蘭の花を模したランプシェードに隠れた電球が、太陽が地平線の向こうから顔を見せた時のような淡い光線を放っていた。それは、あたかも花のめしべが虫を惹きつけるために放つ甘い香りが、光に姿を変えて四方八方に漂う姿にも似ていた。

 幼い身体の二人が眠るには大きすぎるベッドに設えられた天蓋から落ちる薄紫色の薄紗の向こうに、重なりあって横たわるひとつの影があった。濃紫と薄紫に染められたリネン生地のシーツに、日記をじっと読みふけりながら寝転ぶ少年の胸に、少女は頬をぴったりと寄せていた。

 閉めきられた薄紗の一部分、ランプの光に最も近い場所だけが微かに開け放たれ、全ての侵入を拒むかのような神聖なる空間へと、唯一入り込むことができるようになっていた。

「日記なんか読み返して面白いの」とゆなが言った。

「忘れてしまったことも多いからね」とゆずるが答えた。

「忘れるために日記を書くのよ。でないと、新しいものに触れることはできないわ」

 ゆなはそう言って、その細くしなやかな身体をくるりと反転させ、それまで乗っかっていた兄の胸から降りた。

 横に転がった拍子に、大蛇のように太く束ねられた深緑の髪が、胸の上でのたうち回り、首に巻かれた柔らかなシルク生地のリボンが、少女の曲げた首に沿って流れ落ちている。

「僕はゆながいたら、新しい物なんかいらないよ」

 ゆずるは自分から逃げ去った妹を追いかけるようにして、日記を手にすると反対の手を伸ばした。

「・・ずるいわお兄様」

 妹は少しためらいがちに手を伸ばした。

「そんなにいけずだったなんて」

 頬を小さく膨らませ、柳眉を微かに曇らせた、小さな反抗心から差し出した左手とは逆の手で裏返しに指を絡ませる、分かりやすく拗ねた少女の姿に、ゆずるは胸がいっぱいになるほどの愛おしさを感じずにはいられなかった。

 薄紗の向こうから入り込む光が、ふたりの宝石のような瞳を昏く照らしていた。

 ゆずるはふと、自分の腕にしなだれかかる少女をなんとしても自分だけの物にしてしまいたいという強烈な独占欲に駆られるのを覚えた。胸の中心部からまるで風船のようなものが大きく膨らむような感覚に、吐き気すら覚えるような気持ちだった。

 何もかもうち捨てて、誰も知らない地へと引っ込んで、誰の手も届かない場所へと誘うことができたらどんなに幸福だろう。

 ゆずるはひとつの硝子筺ガラスケースを夢想していた。

 そこには自分と妹のふたりだけが収められていて、両の手を繋いで(許されるなら抱き合ってもいい)、分け合った紅と碧が溶け合うほどに見つめ合い、薔薇や百合や菫の敷き詰められた典雅な花のベッドだけがあった。

 だが、それが置かれる場所はあの無慮十億の信徒や観光客の慰みとして飾られるベルニーニの彫刻や、ダ・ヴィンチの傑作の安置される豪奢な建築物ではあってはならなかった。

 この可憐で美しい少女が人々の好奇に満ち満ちた、あのどこか鼻持ちのならない鑑賞という軛の元にさらし者にするような真似は一切させたくなかった。

 そう。むしろ、人の立ち入ることのできない秘めた場所に永遠にうち捨てられる方がいい。

 ヴェスヴィオ火山の灰の下に埋もれたポンペイの街のように、かつて繁栄を見せた人々の営みも痕跡も全て消え去った廃墟がいい。

 古代ローマの残り香が漂うアポロンの産まれたとされるデロス島のように、人々の往来を拒む隔絶した場所がいい。

 砂と石に埋もれた傷だらけの硝子の向こうには燦然と輝く宝石が見えることだろう。あたかもそれは、宇宙の遙か彼方に輝く星々を思わせるに違いない。人の目に映じない眩耀たる星となることが、少年の望む姿だった。

 ゆずるはその退廃的で優美な理想郷を思い浮かべ、子どもが熱に浮かされた時のような陶然とした表情がくっきりと顔に表れているのに気付いた。

 ゆずるは自分でもはっきりと愛というものが、おそらく狂気にも似た危険なもので、そして何事にも代えがたい甘美で魅惑的なものだということを自覚せずにはいられなかった。

(もしこのままふたりで消えてしまえたら・・)

 ゆずるは愛の生み出す罪の味を、舌先で味わった気持ちだった。

 それは甘い砂糖をたっぷりとまぶしたボンボンのなかに込められた、刺さるように激しいウイスキィの滴が口腔内を転がり回るような感覚にも似ていた。

「愛してるよ」ゆずるがそう言った。

「・・知ってるわ」ゆなはそう答えた。

(だから言わなくていい・・)

「僕たちはずっと一緒だよ・・」

 ゆずるはそう言って、絡ませた指にほんの少しだけ力を加えた。

 薄紗に覆われたベッドの上で二人の姿が再び重なり合った。

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