第22話 偶然の出会い 前編
いい加減にしてほしい。
堀川沙由里は目の前に座り、話し続ける男に目もくれず三杯目の水を飲み干した。
この喫茶店に入ってオーダーしたコーヒーはとっくに飲み干していて、仕方なく水の入ったコップに手を伸ばした。
下手に相槌を打てば気に入らないと起こり出すだろう。沙由里は黙って男の話を聞いているふりをした。
時々、コップに手を伸ばし、口を潤すが別に喉が乾いているわけでもない。ただ単にすることがないだけだ。
沙由里はこの喫茶店にきてコーヒーを頼んだ時から一度も言葉を発していない。
男の話はとてもではないが楽しいものではなかった。第一、沙由里は今日、ここにくるつもりなどなかったのだから。
取り寄せていた海外の人気ハンドクリームが入荷したと連絡が入り、受け取りに行こうと家を出たところ目の前の男、大崎昌紀に捕まりここまで連れてこられた。
ここは沙由里が住む県から二つ離れたところで、昌紀の運転する車で約三時間かけここまで来た。
店員が四杯目の水を注ぎに来た。すでにこの店に来てから二時間は経っている。昌紀の話は終わりそうにない。居たたまれなくて沙由里は二杯目のコーヒーを注文した。
「だから、親父は嵌められたんだよ。親父に限ってあんなことするはずないだろう」
昌紀は自分の父親の裁判を傍聴した帰り、沙由里と共に近くの喫茶店に入った。
それから今までずっと、騙されただの、裏切られただの言っている。
呆れてものが言えない。
前回は詐欺、今回は詐欺と殺人容疑。
騙して人からお金をとっていたのは事実だろうと突っ込みたくなる。
以前、結婚前提で付き合っていた沙由里は、昌紀が取引先の令嬢と婚約した事であっさり捨てられた。しかし、父親が捕まり婚約者の両親から婚約破棄を伝えられると悪びれもせず沙由里の元へやってきた。
沙由里は昌紀の父が捕まったと聞いて、好奇心から裁判を見ていた。
昌紀がどう思ったのか知りたいとは思わないが、昌紀が夢見た逆玉を無残に打ち砕いた父親の犯罪を冷めた目で見ていた。
昌紀の父、瀬田和馬はこの時の裁判で言われた人物像に当てはまると沙由里は感じていた。
何処か横柄な態度だが、口調は穏やかなので騙されやすい。
昌紀と付き合い出した頃はまだ、個人で会計事務所を経営していた。確かに一般家庭よりは裕福な暮らしぶりだったが、その時から何人か愛人がいたのを沙由里は知っている。
昌紀の家に何度かお邪魔した時に、昌紀の父はよく愛人に電話していた。沙由里はそれを何度か聞いてしまった。
その後、昌紀の父は知り合いの会社の役員に就任したと聞いた。その頃から昌紀の父の生活はどんどん派手になり、愛人も増えていった。何より驚いたのはその愛人たちにマンションや高級外車を買い与えていた事だ。
会社の役員ともなると収入も桁違いに良くなるのだとなんとなく思っていたが違っていた。
昌紀の父は知り合いたちに未公開株の話を持ちかけ金を集めていた。
それは全く嘘で、集められた金は昌紀の父やその愛人たちの娯楽に注ぎ込まれていて捕まった時に十億の金はほとんど残っていなかったそうだ。
今日の裁判で沙由里が驚いたのは、罪状に殺人容疑があった事だ。
以前の生活やステイタスが捨てきれなかったのだろう。人殺しまでしてホテルを乗っ取ろうとしていたようだ。
もう一つ驚いたのは、以前の裁判で昌紀の父を擁護していた女が、いつの間にか昌紀の父と結婚していて今回の事件の共犯になっていた。
松川明美と言っていたあの女は当時、別の男性と婚姻関係にあったはずだ。よく分からないと沙由里は思う。自分に関係のない事だ。
それに昌紀が言うように、騙されたとか裏切られてと言う言葉は今日の裁判を見ていて、信用することはできない。
あくまで自分の欲望のまま動いて、邪魔になったから殺したと言う方が適切ではないかと沙由里は感じていた。
昌紀の家で感じた昌紀の父はそんな人物だ。前の事件も、今回も同じだろう。
それでも、身内贔屓なのか昌紀は自分の父はそんなことする人ではないと言い張る。
どこまで能天気なのか、前回の裁判では有罪判決まででて服役していた。今回は出所して半年もたたないうちに罪を犯している。
今日出てきた数々の証拠や証言だけでも十分昌紀の言葉を否定するだけの根拠があるのにまだ言っている。
多分、この男は目の前で父親が人を殺しても、無実だと言い張るのではないかと思った。
店員がコーヒーを運んできた。
その時、昌紀はスマートフォンを見て立ち上がる。
「急用が出来たから帰る。お前も適当に帰れ」
そう言うと店を出ていった。茫然とする沙由里とコーヒーを持ってきた店員は気まずくなった。
「ありがとう」
沙由里は取り敢えず店員にお礼を言うと店員はテーブルにコーヒーカップを置いた。
昌紀は自分の飲んだコーヒー代も払わず、沙由里はここまで昌紀の車で来ているのに置き去りで帰っていく。
外に止まっている赤い車に乗り込む昌紀が見える。沙由里に目を合わせることもなく車を発進させていってしまった。
小さくなる車の後姿を見てため息をついた。
いつもこうだ。昌紀の勝手に振り回されて終わる。
来たくてここにいるわけでもない、呆れて何も言えない。
沙由里はコーヒーを一口飲むとスマートフォンで最寄りの駅を検索する。
どうやって帰ればいいだろう。確か特急があったと思うが。
なんだか悲しくなってくる。目には涙が溢れてきた。
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