第5話 怪我

「佐伯さん、ありがとうございます」

「大丈夫か?」

カフェは既に閉店時間を過ぎていて客は一人もいない。

田辺と松本はカウンター席に腰を下ろす。


カフェの責任者の佐伯は田辺と松本に紅茶を入れてくれた。大柄で迫力がある体形に六十過ぎでも機敏な動きと鋭い目をしていて、何度も危機を助けてもらっている。田辺が全幅の信頼を寄せるこの人物にはすべてお見通しだろう。今後のことも相談したくてカフェに寄った。あの後、松本は一旦カフェに戻ったが再びチャペルに来て戸締りなどを手伝ってくれた。


「怪我をしたのはイベント参加者でホテルの宿泊客です」

響子が救急車に乗りこむ前に田辺に名前を伝えていた。


田辺は本館のフロントへ連絡をすると、その人物は確かにイベント参加者でホテルの宿泊客だと分かった。そして、少し前から姿が見えなくて一緒に来ていた友人が探していたことも分かっている。


「スタッフが残っていたそうだが」

「その事でご相談が。チャペルのスタッフ二人をここで預かってもらえないでしょうか」

「それは構わないが、本人たちはそれでいいのか?」

「あとで聞いてみます」


田辺は腰を抜かしていた堀内を思い出す。あの様子だと、チャペルでの仕事は無理だろう。

島崎は見た目あまり衝撃を受けていないようにも見えた。田辺が不審者を追いかけている間に、必要個所に連絡をして、けが人に声をかけて意識がないのを確認すると救急隊が来るまでの間に庭園をすべて見渡せるようにライトをつけて待機していたのだ。ただ、心の内は分からない。島崎も少し休ませる必要がある。その後は、二人の希望を聞いて考えることにした。

田辺は佐伯が入れてくれたハーブティを一口飲んだ。


「イベントが終わってから、この前を通ったのは、総支配人と宇佐美君だけだったよ」

佐伯が言いたいことが理解できた。


「イベントが終わってからずっとあの場所に隠れていたのでしょうか」

田辺は片付けをしているスタッフに気がつかれずにあの場に居続けることは出来るのか疑問だった。


「三階はあの場所は控え室になっています。クローゼットもあったのでそこに隠れていた可能性があります」

隣にいた松本が言う。戸締りをするときに確認したらしい。

「逃げて行く人影を見た」

田辺が追いかけた人影だ。

「同じ様に隠れていたとしたら」

佐伯が田辺を見る。

「スタッフか宿泊客か」

田辺は呟いた。

佐伯と松本は無言だ。ただの事故ではないのは確かだ。


その日の夜遅くに響子は帰って来た。

「入院することになったわ」

「一緒に宿泊している友人には事情を説明してある」

「ありがとう」


チャペルの三階から落ちたのは大崎美緒と言って、警察には自分から誤って落ちたと証言したらしい。


「今日は帰ってほうがいい」

「そうする」

田辺は響子の疲れた表情に心配になってきた。

響子はチャペルイベントに力を入れていた。その会場であるチャペルで事故があり、イベントも中止になった。落ち込むなと言うほうが酷と言うものだ。

警察からは事故として処理すると言われている。

田辺は逃げた人影が気になっている。本当に誤って落ちたのだろうか。その夜、早速防犯カメラを確認した。


翌日、副支配人の菅田から休むと連絡が入った。実際には菅田の父親からだが。

昨日のこともあるので、菅田に話したい事があったが仕方なく響子と松本が事後処理を手伝ってくれた。

佐伯は今日も松本を貸してくれた。

菅田がいない分を松本が対応してくれたおかげでかなり助かっている。


昼過ぎ、その菅田から連絡があった。

公衆電話からの着信に誰だろと思い出ると菅田だった。


田辺は菅田の話に驚きを隠せなかった。そして、チャペルでのことを話せずにいた。

田辺は菅田からの電話を切ると、知り合いの刑事、吉村にすぐに連絡を入れた。


昨夜、菅田は襲われ腕の骨を折る怪我を負った。菅田を襲ったのは複数人で暗がりの為、顔は見ていないようだ。

逃げる際、襲った人物が言った言葉。


 『副支配人の部下たち』


それが何を意味するのかわからなかったが、吉村は念の為、菅田の部下たちに警護をつけてくれた。

従業員には出来るだけ一人で行動しないようにと伝えた。


そして夕方、閉店後のカフェに人が集まる。

田辺、佐伯、松本、響子、吉村に吉村の部下、佐竹だ。

田辺と響子は私服に着替えている。ここに人が集まっていることを探られたくなかったため、宿泊客を装ってここまで来た。


「昨日、事故があったそうですね」

吉村はチャペルでのことを言っているのだ。

「誤って落ちたと言っています」

田辺が答えた。


「何か変わった事は?」

それに対して、響子が答える。

「落ちた方は、誤ってとおしゃっていましたが、何か隠している様子がありました」

響子は大崎美緒の友人と共に病院へ行った。その時の様子がおかしいと言っていた。


「菅田さんのお知り合いではないですよね」

吉村は偶然なのかと疑っている。

「多分違うと」

響子は大崎たちから菅田の話は出ていないことを話す。


「では、別と考えたほうがいいでしょう」


吉村は今朝、田辺から話を聞いて、菅田が襲われ場所を調べていた。

菅田を襲った人物は現場の足跡から複数人だと分かった。血痕もあり、それは菅田のものだと証明された。菅田が襲われた場所には防犯カメラはあることにはあるが、襲われた現場は丁度防犯カメラの死角になっていて映っていなかった。


「菅田さんが襲われることに何か心当たりはありませんか?」

今度は佐竹が聞いてきた。

「問題を抱えていたということは聞いていませんが」

田辺が答え、佐伯を見る。

「特になにもなかったと思います」

少し離れたところにいる佐伯が答えた。


響子と松本もわからないと言った様子で首をふる。

吉村と佐竹はこれ以上、情報が出てくることはないと思ったらしく帰って行った。


残ったメンバーでチャペルのことを話しあう。

田辺はその場で昨夜見た人影のことを話した。


「三階の非常口の鍵が壊されていた」

警察が調べてわかったことだ。

「昨日朝は壊されていなかったわよ」

響子はイベントの前に確認したと言う。


「イベントの最中か、終わってからか」

「イベントの途中で抜け出すことは?」

佐伯が聞いてきた。

「食事の時以外はわからない」


皆が黙り込む。


「イベントで何かなかったか?」

田辺は一応聞く。

響子は気まずそうな顔をした。

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