翌日、花川から受けとった本を持って図書室に向かう。

 とは言ってもまだ一限目も始まっていない時間なので、当然図書室は開放されていない。

 それでも図書室に来るのは時間外でも返却が出来るボックスがあるからだ。

「ん……」

 先客がいた、烏ケ辻だ。

 ボックスの中に五冊ほど本を入れている。

「……多いな」

「逢坂。おはよう」

「おはよう……それ昨日一日で?」

「そんなに厚い本でもないし」

 それでも日に五冊は多いだろう、と内心で呟く。

 早く、多くの文字を読む。

 彼女の個性だが自分はそこに至れないのは目に見えていた。

「そういえば逢坂。昨日言い忘れてたけど、借りた本の又貸しはよくないわ」

「あ、あぁ、ごめん。気をつける」

「まぁ、事情があるとは思うけど」

 気まずさから伏し目がちになりながらも逢坂が本をボックスに入れる。

「……そういえば」

 思い出した、というように烏ケ辻が言う。

「あったわ、他にも。文字が抜けてる本」

「マジ?」

「えぇ、いま返した本だけど」

「名前は?」

 烏ケ辻からタイトルを確認する。

 ボックスには南京錠がかけられているので鍵を持つ職員以外は開けられない。

(また、昼休みにでも……リノが来てるなら)

 ただ、そう思っていても現実はまた別の話で。

「なんで五限終わってから来るんだリノ」

「眠かったんだよぉ〜マコがねかせてくれなかったんだろぅ」

「変な含みのある言い方をするな。帰りたがらなかったのはリノだろ」

 お互いにお互いのせいにする。

 それもいつもの事だ。

 放課後の図書室、カウンターに図書委員もいない。

 職員は図書室の奥に引っ込んでいるらしく、二人だけがここにいた。

「で、これがその本? 古いね」

「寄贈された本なんだろ」

「古い本の匂いする。独特の匂いだよねぇ。結構すき」

 開いたページに鼻を寄せ、すんすんと花川が鼻を鳴らしている。

 あまりそういうのは理解できない逢坂である。

 ぼんやりとその様子を見ていると、目と目が合う。

 にやりと花川が笑って。

「マコの匂いも好きだよ僕は」

「何の話だ」

「こっち見てるから嫉妬してるのかと」

「……お前時々距離感とか言い回しが怪しいぞ」

「……」

「なんだよ」

「マコも大概だよ」

 ぷい、と視線を本に戻してページをめくっている。

 抜け落ちがある場所を探しているのだろう。

 具体的に何ページというのは聞いていないし、烏ケ辻だって聞かれても困るだろう。

 だから自分で探すしかない。

「……あ、シミ。紙の経年劣化かな。それともなんか零したか……」

 顔を近づけたり目を細めたりなんとも忙しい。

 そして逢坂にも確認するように肩を寄せて本を見せてくるのだ。

「シミってさぁ、紙に魚って書くよね」

「そういう虫がいるからな」

「本の虫ってこと?」

「語源だぞ」

「……あ、あった」

 抜け落ちた部分だ。

 やはり、違和感がある。

 文字が抜ける、穴が空く、あるべきものがないと分かる。

「マコが借りてた本は割と新しかったし、本の古さは関係ないのかな……ううん」

「ん?」

「どしたんマコ」

 なにか、まだ違和感がある。

「シミが多くないか?」

「……古い本だし」

「多すぎる。終わりに向かうほど多くなってるぞ」

 次から次へとページをめくる。

 結論から言って、逢坂の予想は当たっていた。

 ページにおけるシミの範囲はどんどんと増えていく。

 ぴたり、と二人の指が止まる。

 最後までめくりきったからでは無い。

 本の三分の二を過ぎたあたりで、ページから文字がなくなってしまったからだ。

 そこに残っていたのは文字ではなくシミだけだったからだ。

「な……え……? 文字が消え……」

「マコ、これ見間違いでもなんでもないよね……?」

「リ……」

 言葉が途切れる、逢坂は喉の奥から声になりかけたものがヒュと息になって吐き出されるのを感じた。

 ページを埋めるシミが泡立つ。

 立体的な質感を持ってうごめいていたのだ。

「リノ!」

 図書室であることも忘れて叫ぶ。

 シミが動いているという事実、それを感覚的に危険だと理解した。

 理解したからこそ叫んだ。

「なっ……!」

 花川が本を手放し、そのまま机の上へと落ちていく。

 する、と軽く天板を滑って本が止まる。

「な、なんだ……あれ……」

「シミが動いてた……平たいシミが……」

 お互いに状況を整理しようと言葉を吐く。

 しかし、それも直ぐに止まる。

 まるで倒れたコップから水がこぼれるように本からシミが流れ出したからだ。

 ……深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいているという言葉がある。

 この状況はそれに近い。

 認識したということは、認識されたということだ。

 超常の存在が相手の場合、こちらだけが気付いている状態というのは起こりうる可能性は非常に低い。

 それは二人とも承知している。

 だから、逢坂は行動した。

 発動した、自らの持つ異能を。

合縁切縁ワンナイト

 それは即座に発動し、現世に姿を現す。

 逢坂の視界が歪んでいく、揺らめく陽炎かげろうが彼の視界の中だけに。

 広がる陽炎があふれ出したシミに触れた瞬間だった。

 シミの動きが止まり、陽炎の中に何か腕のような形が浮き上がってきた。

「マコ……」

「問題ない……はず……」

 陽炎が形を持つ。

 鬼だ。

 半透明な陽炎が頼りなく鬼の形をとっている。

 その腰には二本の刀、大小の備え。

 まずは一本、鬼が抜きとる。

 そして躊躇なくそれをシミがあふれる本に突き刺した。

 しかし、本に傷はない。

 この刀は霊的な、人の目に見えないものを斬るものだ。

「縁切り刀」

 逢坂がもう一本の刀……脇差の方に触れて抜きとる。

 この異能は縁切りを得意とする。

 ただ縁を切るのみならば先程の一太刀によって事が済む。

 しかしこのシミを撃退しようとするのならば話は別だ。

 縁を切り、何とも繋がらなくなった所を切らねばならない。

 でなければ葉を断つのみで根を残してしまう。

 これが本の中に残ってしまう。

 故に絶ち切る。

 関係を絶って、切るのだ。

「切り捨て……御免」

 逆手に持った刀がシミの上に突き立てられると、動かなくなったシミが砕けていく。

 それはこの世ならざる生命の終わりだった。

「……マコ、ごめん」

「別にいい……」

 そう振り返って、息を飲んだ。

 花川の腕にシミが上ってきている。

「これ、人にも来るっぽい」

 まだ、終わっていない。

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