下
「リノ!」
このシミは紙魚と同じだ、自分の意思を持っている。
分からないのはどういう意図で花川を攻撃するのかだが。
いや、これが攻撃なのかどうかもふたりにはまだ分からない。
腕から肩、首から顔へと移動していく。
本に刺した刀を抜き、鬼が振りかぶる。
「マコ……!」
「……リ、リノ……悪い!」
花川の鎖骨の辺りを狙い、刀が突き下ろされた。
問題なくそれが命中し、紙魚は動きを止める。
関係は、繋がりは断った。
ならば後は……切るのみ。
問題なく逢坂は紙魚を切り捨てた。
「……」
「気付けなくてごめん……えっと、あの紙魚が文字に干渉してるっぽいな……」
「……?」
「……なんでそこで不思議そうな顔になる」
言っていることの意味が分からないという雰囲気だった。
その意味はすぐにわかった。
「えっと……僕ら何してた?」
「……ん?」
記憶の欠如、抜け落ち。
まるで文字が抜け落ちるかのように。
その時、何かが逢坂の中で成立する。
まるでパズルのピースがはまるかのように。
「……紙魚は文字じゃあなくて、情報を食ってるのか……?」
文字とは人に何かを伝える情報だ。
それがフィクションであろうと、その世界にあるものを伝えようとしている。
そして、いま花川の体に紙魚は到達した。
人の持つ情報とは何か、その解釈は様々だが記憶はその人間が持つ膨大なまでの情報だろう。
人ではないが本の付喪神は文字を失うことで彼の持つ記憶を失った。
情報や記憶をこの紙魚は食らう。
本の虫が穴が空くほどに本を読み、物語を食らうように、あるいは紙魚が食害をするようにだ。
「……」
「マコ……?」
「烏ケ辻」
そう、ぽつりと呟いた。
烏ケ辻はあの本に文字の抜け落ちがあると伝えてくれた。
しかし、あの紙魚にまみれたページについては触れなかった。
紙魚の活動が彼女読んでる時にはそこまで活発でなかっただとかそういう理由はあるかもしれない。
だが、逢坂の頭には違う理由があった。
もしも彼女の記憶が食べられたとして、あの紙魚のページについての記憶を失っているのだとしたら。
「まずいぞ……これは……!」
人ひとりの記憶が食い尽くされる可能性がある。
それにはどれほど時間がかかるのだろうか。
あまり楽観視はできない……だが、烏ケ辻が今どこにいるのかは分からない。
「マコ」
「リノ、いま……」
「僕は何をすればいい」
真っ直ぐに黒い瞳が見つめていた。
「僕は、何が出来る」
逢坂は一人ではない。
花川がいる限りは少なくとも。
「烏ケ辻を探す。あいつが危ないかもしれない」
「……OK。適当に本を持ってきて」
疑問を挟むことも無く、逢坂が本を持ってくる。
手近な本棚から十冊抜きだしてきた。
「『出雲の魂百まで』」
逢坂の抜き出した十冊、それから先程の紙魚をこぼした一冊を含んで十一冊。
それらから切符を取り出してまとめて切る。
「彼女が本の虫なら、この本たちから作られた付喪神は必ず見つけだす」
本は読まれるためにある。
それを完遂する彼女はきっと、本に感謝されているはずだ。
「本とあの子の縁を信じる」
回路が走る、切符たちは蝶の形に変わり図書室から羽ばたいていった。
「リノ、ありがとう」
「……マコの友達のためだからね。じゃあ、僕らも探そう」
家に帰ってないといいのだが、と思った。
結論から言うと、烏ケ辻は教室内で本を読んでいるのが発見された。
花川の蝶が発見したのだ。
そして、慌てて教室内に飛び込んだ。
「烏ケ辻!」
「……」
目を開いている、本を開いている、椅子に座っている。
だが、反応はない。
おそらく意識も。
彼女の体を侵食するように紙魚が蠢いている。
「リノ」
「『合縁切縁』」
また、視界の中に陽炎が揺らぐ。
現れる鬼の一太刀が彼女の体に。
しかし問題はその後にやってきた。
「刀を上ってきてる!」
紙魚が刀を覆う。
彼女との縁を絶たれ、今度はこちらを狙ってきているのだ。
「『出雲の魂百まで』!」
花川のピアスから切符が取り出される。
慌てず、確実に。
ピアッサーが切符を打ち抜く、切符が泡立ち形が変わる。
花川が選んだのは狼だった。
紙魚が到達するより先に動く。
鬼から奪うように刀を口にくわえ、それを逢坂に向かって放った。
逢坂の手には既にもうひとつの刀が。
自分たちが狙われていることに気付いているのだろう、紙魚の塊が逢坂に向かって飛びかかる。
茶化けた何かが視界を覆うように近付いてくる。
逢坂の背に冷えた汗が浮かんできた。
しくじれば自分もタダでは済まない。
だが、それでも。
「……マコ」
「切り捨て御免」
今ここで断ち切る。
ずるり、と刀が塊に突き刺さると霧のように紙魚が散っていく。
「……はぁ」
緊張の糸が切れたように逢坂が座り込むと、合わせるように花川も座り込んだ。
「お疲れ様」
「……ほんとに、疲れた」
「烏ケ辻さん、無事でよかったねマコ」
「あぁ……」
紙魚が情報を食べるというのは当たっていたらしく、彼女は彼女の持つ情報……記憶をいくつか失った。
とはいえ、生活に必要な知識の類は無事らしくよくよく聞いてみればここ最近読んだ本の記憶が抜け落ちているらしい。
彼女の持つ記憶が膨大だったために重要な部分にまで届かなかったのかもしれない。
「なんか、微妙な返事。嬉しくないの?」
「嬉しいけど」
「あ、もしかして僕に気をつかってるとか? あぁ、気にしないでいいよ。お友達くらい許すって僕は」
「……うるさい 」
保健室内。
ベッドの上で横になっている。
……なぜか二人で。
「結局あの後図書室の本全部調べたの?」
「あれは相手を認識しないと使えない……だから、全部の本のページを俺が読まないといけない」
「……無理だね」
「無理じゃないが、骨が折れる」
これで図書室内にもう紙魚がいないとなればかなりの骨折り損だ。
一応、花川が文字が抜けていると指摘した本はまた借り直して紙魚を取り除いたが、全ての本を調べるのはかなりの時間を費やすことになる。
紙魚による問題が起こるのを待った方が対処しやすい、そんな風に思っているところは否定できない。
「じゃあしばらくは何も無いってことでいい?」
「……問題が起きないならいつでも相手するよ」
そう言い合って二人もまた日常に戻っていく。
少しの奇妙があとを引きながら。
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