異能たる子ら
鈴元
読み切り 本の虫、紙と文字の海の魚
上
物事に因果があるならそれを知るべきなのかと少年は思った。
少年は
彼がそんなことを思ったのは彼の友人の好奇心からだった。
「落丁乱丁とか誤字脱字ってさぁ……出版社に言えば図書カードとかくれるかな」
保健室のベッドに座り、文庫本を読んでいる少年。
逢坂の友人、
癖のある長い黒髪を下ろし、足をぶらぶらと振りながら自身の座るベッドの隣に椅子を置いて座っている逢坂に話しかけているのだ。
学校指定の学ランを着崩して耳にはピアスがのぞいている。
そして、時折見える舌にもピアスが。
逢坂にとって数少ない友人が花川であり、花川にとって学内における数少ない関わりのある人間が逢坂である。
それは普段花川が学校に来ないという背景や二人に共通する秘密などがあるのだが、ここでは割愛する。
「初版なら返金してくれるんじゃないか。二刷りが出たら買い直すようにとか」
「経験ある?」
「僕はないぞ」
「俺もない……あ、コーラとって」
「……学校にコーラ」
「ダメじゃないでしょ。欲しいなら分けるよ」
「……もらう」
花川が口をつけたペットボトルが手元に回ってきて、一拍待ってから逢坂がそれに口をつける。
時折、花川は疑問を逢坂に投げかけてくる。
それは突拍子がなかったり何となく心に浮かんでいたことだったりする。
そして大抵それは逢坂には答えが分からないことだった。
「……なんかあった?」
「これ。ほら、文字が抜けてる」
そう言って花川が手に持った本を渡す。
開かれていたページ、三行目二十五文字目。
詰められた文字の列の中でぽっかりと穴があいている。
ピースの足りないパズルのような違和感がある。
「ん?」
「おかしいでしょ? ここだけ、ぽっかり。脱字って一文字分空いたりするわけじゃないし、こういうのって出版社に言うべきだよね、マコ?」
「いや、その前に言うべきところがあるが……」
「?」
「それ、図書室の本だから言うならまずそっちだと……思、う……」
「途中で自信なくなってんじゃん」
途切れ途切れになる言葉に微笑みつつ、花川は立ち上がる。
学ランのボタンを一番上まで閉め、ペットボトルはそのまま入れていた袋へ。
「図書委員に言いに行こうマコ」
「いや、僕が行くよ。リノは待っててくれたらいい」
「マコ。大丈夫だからさぁ」
ね、と顔を覗き込まれる。
彼の焦げ茶色の目と逢坂の暗い色の目がかち合う。
……ここで言い合いをする気分ではない。
「マコがいるしね」
「……さっさと行く、下校時間近い」
「あぁ〜照れてる〜」
そう絡まれて少し逢坂はうっとうしそうな顔をする。
……人間、図星をつかれると痛いものだ。
「行くぞ。早く」
「……ふふふふふ」
図書室には図書委員がいた。
当然のことのように思えるが、そうではない。
図書委員は図書室における貸し出し業務などを行うが、それはフルタイムではない。
当番制でそれを回し合う。
そのリミットも下校時刻までではない。
だがその日は図書室がカウンターに座っていて、本を読んでいた。
すとんと落ちる黒髪の少女の指が文庫本のページをめくっている。
「烏ケ
「知り合い?」
「クラスメイトだよ」
「仲良い?」
「たまに話すぐらいだが?」
「……へぇ」
つかつかと花川がカウンターに歩いていって、手にしていた本をトンと置く。
そして、彼の指がノックするようにカウンターを叩いた。
「どうも」
「……貸し出しですか?」
「ううん。言いたいことがあって」
そう言ったあたりで烏ケ辻の目が花川の後ろから来る逢坂を見た。
「逢坂……あぁこの本、逢坂が借りた本だったよね」
「……この子把握してるの?」
「……ここに一冊しかない本だし」
耳打ちするように囁かれる逢坂。
話しながらも花川の指は止まらず、問題のページを開いて止まった。
「ここ、文字が抜けてる」
「……本当ですね。先生に報告を」
「あ、待って待って。今日はまだ借りてていい? 帰る時には返すからさ」
逢坂は嫌な予感がした。
花川は何かをしようとしている。
その何かが問題を呼び込むような気がしているのだ。
「リノ」
「……リノ?」
「花川毬乃だからね」
「あ、貴方がリノくん? 逢坂がよく話してる?」
「……リノ、用が済んだなら」
「それすごく気になるなぁ。マコは僕の何を話してるのかな?」
烏ケ辻から聞き出そうとする花川の学ランの襟を掴んで逢坂が図書室の奥へと引っ張りこんでいく。
読書スペースの椅子に腰かけるとその横に花川が座る。
……手にはいつの間にかピアッサーを握っていた。
カシュカシュと手の中でそれをいじっている。
まるで威嚇されているようだった。
「……なに」
「気に食わないなぁ。マコ」
「……変な絡み方するなよ」
「それは君に? それともあの子に?」
「……両方」
「いま変な間があった! マコ、君なぁ」
不満げに文句を言う花川の手がペシペシと逢坂を叩き、彼はそれを受け入れた。
「リノ」
「む……う……なんだよその目……分かったよ。全く……」
「で、どうする?」
「ひとまず、こいつに聞くか」
本の表紙に花川の手が置かれ、逢坂は目元に手をやった。
嫌な予感が当たった。
「『出雲の魂百まで≪アニミズム・オブ・ツクモ≫』」
彼らには共通する秘密がある。
それはすでにお伝えした通りだが、その内容についてはまだ説明がなされていないだろう。
彼らは人ならざる力を持っている。
超常の、霊的な、そんな異能を持っている。
それは知らぬうちに身につけているもので、天から与えられた二物といって差し違えない。
ゆっくりと花川の手が表紙の上をすべると、そこには一枚の紙が現れる。
切符のような形をしたそれをつまみ上げた。
それにピアッサーを当てる。
「切符、切った」
パチン、と軽い音がしてピアッサーがばらばらに崩れていく。
しかし切符のような物体にピアスの針が刺さっているということもなく、するりと針が落ちる。
これはこの世のものからは干渉できない。
切符が泡立つかのように膨らんだかと思えば、ゆっくりと変形する
それは蛇のような姿をしていた。
うろこの代わりに文字のような細かい何かが描かれている。
質感はニスを塗った白い木のようだ。
それが花川の持つ異能によって生まれるもの。
付喪神、長い間使われた道具に魂が宿る。
花川の異能はその期間という条件を省略する。
対象を起点として生み出した切符を切ることによって霊的な力をあるいは
それが彼の異能。
「……リノ」
「人前ではやるなって? 見えないよ、マコ以外には」
蛇が花川の腕に巻き付く。
これは付喪神、この本の付喪神なのだ。
『丁寧に読んでくれてありがとうよ』
蛇が囁く。
「いやぁ、普通だよ」
『その普通が難しいんだよ。分かるかい?』
「……ところで、聞いていい?」
『なんだ』
「あの脱字、なに?」
蛇はこの本に霊魂を宿したものだ。
故にその本の記憶を持つ。
破れたページや本の汚れ、その理由を知っているのだ。
「……」
逢坂は一人と
花川の言うように蛇は見えない。
しかしそれは一般人相手ならばという話だ。
異能を持つものは霊的な力に対する感度が高い。
故に、他人の異能を感知出来る……が、逢坂の悩みは烏ケ辻のことだ。
烏ケ辻が自分たちと同類なら、どうしようか。
どう説明をしてどう場を収めるのか。
烏ケ辻のためでは無い、花川のためだ。
『……なんのことだ?』
「ん?」
「え?」
思わず逢坂も反応してしまう。
本の記憶は絶対だ。
ひとつの抜けだってないはずだ。
「……ここだよ、ほら」
花川がページをめくる。
件のページを開き、文字が落ちたそこに指を指す。
『……? 元からだろ』
「そんなわけ……っ!」
『おい、俺があんたの質問に答えるのはあくまで俺の好意の話なんだぜ』
花川の喉に蛇が口を添える。
この異能は完璧じゃあない。
霊的な力を流し込み、付喪神を生み出す。
しかしそれは使役することとイコールではないのだ。
『がぎ回るくらいなら読め。まだ、読み切ってねぇだろうが』
「マ、マコ……大丈夫だから……おっけぇ、おっけぇだよ。うん、本は読むものだよね」
その言葉をきっかけに蛇の形が崩れていく。
砂の山が崩れるように霧散していく。
「……肝が冷えた」
「ごめん。ちょっと急ぎすぎた」
「あの」
「どぅわぁ!」
背後から声をかけられ、逢坂が声を上げる。
その反応がおかしかったのかくすくすと花川は口に手を当てた。
「もう下校時間だけど」
声をかけたのは烏ケ辻だった。
カバンを肩にかけ、手には本を持っている。
先程とは違う本だ。
「あ、あぁ、ごめん。烏ケ辻。リノ、どうする? その本返す?」
「……いや、悪いけど明日には読み切るから、マコが返しといてくれる?」
付喪神とそう約束したからだ。
「あぁ、分かった。じゃあ明日も学校来いよ」
そう言って立ち上がり、二人の荷物のある保健室に向かおうと足を動かす。
その間、片手で本を開き烏ケ辻は読書を続けた。
「ねぇ、逢坂」
「ん?」
別れ際、烏ケ辻が聞いて。
花川の事を聞かれるか、それとも先程のことを見られたのか、思わず身構えた。
「仲いいんだね」
「あ、あぁ……また明日」
言葉をかわし、図書室を出て、やっと安心できた。
「絶対おかしい」
「まぁまぁ……」
夜、電話をする。
それは二人にとって習慣のようなもので、お互いにそうしないとすわりが悪い。
そういう関係で、そういうものだった。
「物の持つ記憶は絶対だ」
「うん」
「記憶の取捨選択をしないから、その物品に起きたことを際限なく記憶してる」
「うん、そうだな」
「……マコ、適当」
「そんなつもりは無いが」
電話越しに子供がぐずるような声が聞こえる。
花川毬乃という少年の幼さを逢坂走っている。
逆もまた然りなのだが、今日は彼の方が幼く見える日だった。
「……マコ」
「リノ。大丈夫だよ。リノの能力のことは俺も知ってる。記憶が抜け落ちてるならなにか理由があるんだ」
「それが文字が抜けてるのに関係してる、でしょ? 分かってるけど……ねぇ」
「……家には来るなよ」
そうは言うものの本気で拒んでいる訳では無い。
花川は逢坂の家族に気付かれずに彼の部屋に入り込むことが出来るのは知っている。
あまり甘えさせるのは良くないと思ったからだ。
「……本、返すだけだから」
「そう……明日、烏ケ辻に渡しとく」
「ありがとう。あの子、ずっと本読んでそうな子だね」
突然そう言われて少しばかり面食らう。
花川毬乃が他人に興味を示していることが意外だった。
「あぁ、本の虫ってやつだよ。本当に字があれば電車の中吊り広告だって読み物だと思ってる」
活字中毒。
本当にそう言って差し支えない。
「それは……すごい人だ……」
「なんか手伝ってもらうか?」
「……場合によっては、考えよう。あ、マコ。着いたよ」
「窓の鍵開いてるから入ってこい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます