第3話 煽り

「うわぁ……これはえっぐいですなァ……」


 天野は裏アカウントの書き込みを眺めながら、無精髭にまみれた顎を撫で回す。頬の緩みが止まらなかった。


 アカウント名は「樽沢たるさわヘム子」。意味はよくわからない。本名は「千里川せんりがわひとみ」で、芸名と同じであるようだった。


 千里川瞳。押しも押されぬ国民的アイドルグループ『ソラリス』の人気メンバーの一人。凛々しい表情と、それに違わぬクールな言動により熱狂的なファンを獲得している。


 天野は、彼女のつぶやき一覧を見て、思わず現実世界でも「うわぁ」と呟いてしまった。アカウント開設はつい最近だが、随分と密度高く投稿され、そのいずれもが男関連の投稿だった。アカウントの自己紹介文でも「某アイドルの裏アカウント」などと嘯いており、どうせバレないとたかを括っているようだ。


「芸能界で活躍していながら、プライベートでもこれほど派手に活動してるんだなァ……」


 天野はしばらくの間、無心で彼女の投稿を遡る。明らかに関係している男が一人ではない。本人らしき画像はないが、相手の男達については上半身が裸の画像もいくつかある。親密な関係性であるのは明白だった。薄らと目元が見えている写真もあるが、おそらくかなりのイケメンだ。


 自分に飛んできたリプライとは違い、普段の書き込みはかなり砕けた口調であり、全体としてアイドル・千里川瞳とのギャップは恐ろしいほどだった。


 これを知っているのは、おそらく世界に自分一人だ。

 その事実がもたらす可能性の広がりを、天野は想像せずにはいられなかった。


 しかし喧嘩を売られた以上、リプライを返さないわけにはいかない。この程度の相手であれば、返す内容に悩むことさえない。これまで培ってきた戦闘経験バトルレコードにより構築された戦術理論タクティクスが、相手にとって最大のダメージを与えるであろう言葉を選び出す。

 すると、数秒ののちに返信が帰ってきた。


『私の発言内容には一切反応せずに人格攻撃だけを行うのですね。つまり論理的に言い返す知能がないと。煽るくせにまともに言い返せないとか、迷惑かけるためだけに生きているんですか?』


『さぞかし自分の意見に自信がおありのようですが、反論がこないのは相手をブロックしているからですよ。そんなこともわからないくらいの記憶力でよく恥ずかしげもなく他人に意見したりできますね。黙っていた方が地球のためになりますよ』


『あなたの発言ですが、半年前のあなたのこちらの発言では逆のことを言っていますね。自分自身に論破されていたらどうしようもないですね。よくアカウントを消さずにいられますね。私なら恥ずかしくてとてもとても』


「……あ?」


 頭に血が上るのが手に取るようにわかる。小難しそうな言い回しをしていてよくわからないが、自分をおちょくっていることだけはびしびしと伝わってきていた。


「なんだこいつ。なんだよ。偉そうに。意味わかんね」

 天野は足を揺すりながら特に意味もなくマウスカーソルをうろうろさせ、画面を上下にスクロールさせる。頭をばりばりと掻いてみたかと思えば、落ち着きなく飲み物を飲む。


 千里川は調子に乗っている。こちらの手にどんな強いカードがあるのかもわからずに。

 そう思うと、少しだけ頭に上った血が下りてきた。ついでに、これまで慎重に避けてきた、より直接的な「わからせる」方法に思い至る。


「俺にはお前の素性どころか、住所だってわかってるんだよなァ……」


 ついでにちょっとした金も手に入るかもしれない。もしかしたらそれをネタにして、もっと良いコトができるかもしれない。

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