【Ⅵ】6

 打ちのめされ過ぎて、以前に患ったストレス性難聴にも悩まされるようになる。完全に聞こえなくなるわけではないが、耳に幕が張ったようになり、音が割れて聞き取り難くなる。そのくせ、クリアに聞こえる日もある。どっちつかずの漠然とした世界に放り込まれる。いっそ完全に聞こえなければ、ラティファの溜息を聞かなくて済むのにと思う日もあった。


 カウンセラーに勧められて、ストレスを吐き出すために小説を書いてみた。それなりの形にはなったけれど、物語としてはどこか不完全な気がした。「何が書きたいの?」と言われても、何を書きたいのか自分でも分からない。書きたい物語なんて無い。悲鳴を上げる代わりに文章を綴っただけだ。書きたい物語があるはずもない僕が、手段として物語を利用しても、伝えたい事は結局伝わらない。


 伝えたいことは、ひとつだけだ。


「アミン、僕を許してくれ──」


 僕は優しくされたかった。ずっと、普通に生きたかった。温かい家族と、温かい友達と、温かい恋人と、生身の、血の通った毎日を生きたかった。


 他人行儀じゃない身内が欲しかったんだ。


 だから、僕の希望を叶えてくれない、僕を受け入れてくれない、僕を絶望させる、僕の嫌いな世界を──破壊しようとしていたイマーム・カーディルに縋ったのだし、頼ってくれたアミンに入れ込んだ。


「普通の親子のように、あたりまえに僕を愛して、壁を作らないで、無条件に愛して」


 そう義理の両親に言うべきだった。僕はそこから間違えたんだ。僕は、誰かと親密に繋がって自分の価値を確認したかった。生きている実感に自分の手で触れたかった。


 ただ、普通に夢を持って、目標のために努力して、普通に生きたかった。


 それはたぶん僕を育ててくれた両親のいるあの家にあったのだ。家族三人がそれぞれ逃げずに向き合っていたら、三人ともが本当の家族になる努力をしていたら、僕はありふれた子供として自分の学力に見合った学校を卒業して、ありふれた職に就いて、ありふれた人生を送れただろう。穏やかに、満ち足りて……


 孤独が人の胸に穴を開け、どうしようもなくしてしまう。


「アミン、君を孤独にしたのは僕だったのか……」


 日本で叶えられなくとも、イギリスにもチャンスはあった。それこそ、アミンと家族になれば良かった。あんなに求められていたのに、僕は鈍感で救いようのないバカだ。アミンの手を離さなければ、こんな風に、出口の見えない毎日を息も出来ずに送らずに済んだんだ。アミンを孤独にしないで済んだんだ。


 何をすれば伝わるのか分からない。


 どうすれば君に声が届く?


 今はただ帰って来て欲しい。戻って来て、笑って欲しい。


 僕はいつも独りで泣いた。


 そして、二〇一四年、冬──


 コバニ=アイン・アル・アラブで大規模な戦闘が行われるというニュースが連日派手に報道されるようになった。七月からISによるコバニの包囲は始まっていたが、本格的な戦闘には発展せず、両勢力が様子を伺いつつ決戦の時を待っている、とニュースの解説者は唱えていたが、僕には、両勢力ともに単発的な攻撃に即応的な対応をして時間を稼いでいるように見えた。


 ニュースはしきりにコバニが軍事的な要衝だと繰り返すけれど、地図を見る限りそうは思えない。トルコ南西の山岳地帯はクルド人の多い地域だ。そこを切り崩されたくないトルコに取って──これは政治的な駆け引きの範疇に入るので良いとも悪いとも断じられないのだが──コバニはISの支配下に入った方が得になる。クルド人勢力が発言力を増すことは、国家を持たない彼らが国家を創り上げる足掛かりになり得る。つまり、下手をすればトルコ南西部の一部地域が独立を宣言しかねないということだ。


 なんらかの意図を感じた。各国の政治的駆け引き、パワーポリティクスが、またここでも行われている。アメリカはクルド人勢力に肩入れして、なんらかの利益を得たいのだ。トルコは傍観という消極的な戦略でクルド人勢力に有利にならないようにしている。そもそもトルコは内政に問題を抱えていて、自治権拡大を要求するクルディスタン労働者党(PKK)と長く不和を続けている歴史がある。エルドアン大統領は国内のクルド人勢力の発言力が増すことは望んでいない。純粋に自分達の街を守ろうと武器を取ったクルド人住民は真っ当に戦いに向き合っているはずだと思う。だけど、その裏で、各国はそれぞれの思惑で戦争を長引かせようとしている。そういう情勢なのだ。


 この一連の戦いは政治ショーだ。


 今まさに、その紛争地域にいるアミンのことを考えて、激しい憤りが湧いた。


「そんな場所で死ぬんじゃない。死なないでくれ、アミン──」


 張り裂けそうな気持ちを持て余して、僕は久しぶりにツイッターにログインした。返信は期待できないと嫌というほど思い知らされていたけれど、藁にも縋る思いでアミンのアカウントにDMを送る。


 ただ、書かずにはいられなかった。


 意味は無いと分かっていながら、何度も、何度も、同じ文面を送信した。




   ・・・




 Amin, don't go to Ayn al-Arab. A battle begins immediately. It’s only left for a while, by political expectations. The Kurdish force will win the battle by all means, because each country bolsters it up. Are you in a dangerous situation?


 Please come back to London right now.


 My little silly friend, Amin, how I do love you.




(アミン、アイン・アル・アラブには行くな。すぐに戦闘が始まる。あの都市は政治的な思惑で、ほんの少しの間、放っておかれているだけだ。各国が梃入れしている。クルド人勢力は必ず勝つ。君は危険な状況に置かれているんじゃないか?


 今すぐ、ロンドンに帰って来てくれ。


 愚かで愛しいアミン、どんなに君を愛しているか……)




   ・・・




 そして──


 僕が再びアミンの姿を目にしたのはYouTubeにアップされた動画でだった。


 コバニ攻略戦での殉教者が──つまり、爆薬を抱いて敵陣に突っ込む自爆攻撃をさせられる前に──撮影した遺言ムービーの中に、アミンの動画もあったのだ。


 こんな罰を与えられるなんて……


 神様、僕はそんなに酷い罪を犯しましたか?




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