【Ⅴ】5
「ラシードとハシムが心配なの?」
「自爆テロをするなんて言われたら誰でも不安になるよ」
こつん、とラティファは僕の肩に頭を乗せた。そうしておいて僕の手を握る。
「大丈夫よ。テロを起こすなんて、ただの愚痴に決まってるわ。自暴自棄になって荒っぽいことを言って鬱憤を晴らしてるのよ。男の人ってそういうところがあるでしょう。いちいち取り合っていたら、アミン、あなたが擦り減ってしまうわ」
彼女は僕の額にキスして、もう思い悩むのはやめて、と甘い声で囁いた。子供を宥めるように……
「ねえ、それより気付いてる?」
「なに?」
「今日はあなたの誕生日よ。十八歳おめでとう」
「忘れてたよ……」
ラティファはバッグから小さな包みを取り出した。水色の包装紙に白いリボン。開けてみて、と言われてラッピングを解いて驚いた。クロムハーツのペアリングだった。
「ひとつはアミンに、ひとつは私に。勝手に買ってしまったけどいいでしょ?」
「これって、どういう意味?」
「さあ? ずっと愛してるって意味でいいんじゃない?」
「ありがとう。あの、なんて言っていいのか……」
「つけてくれる?」
「うん、大事にするよ」
恋人との親密さを誇示するようなペアリング。嬉しいはずなのに、これを二人でつけたところで、彼女は友人や職場の同僚や家族には僕を恋人として紹介してはくれないんだろうなと、心のどこかで白けてもいた。彼女は優しいし、色々なことをしてくれて、一緒にいると楽しい。幸せだ。
だけど、僕はラティファにも認められていない気がして、苛立っていた。
微睡むような時は過ぎて行く。
しばらくして――
七月のある暑い日、ひょっこりとラシードとハシムが帰ってきた。
どこでどんな話し合いがなされたのかはよく分からない。彼らは突然、シリアに行くと言い出した。
どうせ、イマーム・カーディルとかいう奴の尻を追いかけて行くのだろうと思ったけれど、どうも違うらしい。ラシードとハシムが独断で行動を起こしたのだと、彼らの話しぶりから察しが付いた。二人はメールでトルコのキリスとかいう町にいるイスラム過激派の同志とコンタクトを取っているらしい。アレッポ経由でシリア東北部のなんとかという都市の攻略戦に合流するとか言っていた。
本気で戦争しに行くのかよ、と呆れたけれど、ロンドンでテロを起こすという考えからは一旦離れてくれたようでホッとした。どこの誰のための戦争か知らないけど、義勇軍として参加するなら、そんなに悪い事じゃないと思う。罪も無い一般市民を犠牲にする妄想を抱いているよりマシだ。ラシードとハシムは嫌いだし、このフラットから出て行ってくれるなら清々する。気分が良かったくらいだ。
だけど、トモも一緒にシリアへ行くと聞いて、僕は叫び声を上げた。
「どうして? なんでトモが行くんだよ――!?」
三人はぎょっとした顔で一斉に僕に視線を集めた。
「どうしたんだよ、アミン?」
トモは子供を宥めるように僕の顔を覗き込んできた。無性に腹が立って、悔しくて、涙が出そうになる。そんな話、初めて聞いた。相談もしてくれなかったなんて……
「なんでトモまで危ない場所に行くんだよ? そんな必要無いだろ?」
それは……とトモは困惑したように口ごもる。トモの代わりにラシードが言った。
「イマーム・カーディルの代わりに俺達がジハードを遂行するんだ」
「うん、そういうことなんだよ」
ラシードの言葉尻に乗った卑怯なトモに僕は詰め寄る。
「そんな理由で行くつもりなのか?」
「ごめん、アミン。僕はイマーム・カーディルのためにシリアへ行く」
「どうして? なんでだよ? イマーム・カーディルのどこがそんなに良いんだよ?」
トモは言葉に詰まったのか、微笑交じりの曖昧な表情で黙り込んだ。
「痴話喧嘩か?」
「うるさい、黙ってろ!」
横からハシムに茶化されて僕は激高した。
「待てよ、まさか、本当に……?」
Shit, shut the fuck up!
僕を見下しているのは知っていたし、時々トモのことを揶揄っていたのも知っていたけれど、こんな時にまでムカつく野郎だ。
珍しくトモも声を荒げた。
「違う、そんなんじゃない。少し黙っていてくれ、ハシム」
「なんだと?」
ハシムは分かりやすく狼狽した。トモが彼を怒鳴るとは思っていなかったのだろう。だけど、ラシードに肩を叩かれると、エリートらしく状況を察して口を噤んだ。
僕は抜き差しならないところにいた。トモを許せない。トモを許せない。
ずっと、僕を騙してたんだな――
大事なことは何ひとつ話してくれなかった。優しくして、信頼させておいて、僕のことは信頼してくれなかった。対等に見てくれなかった。許せない。許せない。
「トモ、行くな。ロンドンにいろ!」
命令口調で僕は言い、トモは首を横に振る。
「アミンは僕が黙っていたから怒っているんだろう?」
そうだよね、と甘ったるい声でトモは言う。
子供扱いはやめろ――そう怒鳴って殴りたくなった。
「なんでそんなにイマーム・カーディルに肩入れするんだよ?」
頑是なく言い募った僕に、トモは少し困ったように微笑んでから、天井を見上げてしばらく考え込み、やっと答えを見つけたというように、胸に手を当て言葉を紡いだ。
「Hardly had I known his words when I fell in love with his personality.」
彼の言葉を知った途端に、彼に惚れ込んでしまった――
訊いた瞬間、打ちのめされた。
そこまで、そこまでそいつが大事なのか?
そんな熱烈な崇拝を見せつけられて、どう足掻けって言うんだ。太刀打ちできないじゃないか。だって、僕がトモと出会ったのは十三歳の時で、初めてトモが目にした僕の言葉は幼稚でつたない悲鳴で、しかも僕自身の言葉ですらなかった。
HELP! PIGLET(ME)
IT’S ME PIGLET, HELP HELP.
遭難しています。誰か助けて――そんなことしか言えなかった僕が、教養も立場もある立派な大人のイマーム・カーディルに勝てるわけがない。
ずるいよ、トモ……
「ずるいよ……」
トモは同じ言葉を、もう一度繰り返した。
「Hardly had I known his words when I fell in love with his personality.」
「ねえ、トモ、それは、僕が言って欲しかった言葉だよ……」
トモは、分からない、という顔をした。本当に何も分かっていない。何ひとつ伝わっていない。酷いじゃないか。僕はトモと対等の
トモは薄情だった。
好意は惜しみなく注ぐ。不運な子供を救いもする。
――どう振る舞ってくれてもいいよ。すべて受け入れる。許すよ。
――だけど、僕を所有しようとしないでくれ。
それがトモの本質だった。
淡い人だ。遠い人だ。冷たい人だ。愛を受け取ってくれない残酷な人だ――
とらえどころがないのも道理だ。トモには根も芯も無い。トモは底が抜けている。
正体の無い人だったのだ。
ダメだよ、トモ。そんなの狡い。気紛れに救った僕を気軽に捨てるなんて許さない。
もっと重荷を背負ってくれ。息も出来ないほど、潰れてしまうほど、僕のために悩んでくれ。苦しむ責任がトモにはある。あるんだよ。
「僕もシリアへ行く」
脊髄反射のように、その言葉が口を突いて出た。トモは大きく目を見開く。
「なにをバカなことを言ってるんだよ、アミン……」
「僕も行く」
そうだ、僕もシリアへ行く。そうしたらトモは僕から逃げられない。
「貯金なら少しある。旅費は出せると思う」
「そういう話じゃない!」
「トモ、僕も戦う。僕もジハードの戦士になるよ」
僕とトモは少しの間、じっと睨み合った。
ラシードとハシムは呆れ顔で僕達の言い争いを見ていたけれど、僕もシリアへ行くと言い出した途端、少し表情を変えた。
「本気か、アミン? 俺達とジハードを行うつもりがあるのか?」
「アラーのために戦うなら、おまえも仲間だ」
二人の声は真摯で敬意がこもっていた。一緒に暮らし始めて以来、初めて聞く調子だった。トモは慌てて二人の言葉を遮る。
「待ってくれ。アミンは違う。この子にそんな危険なことは……」
「トモ、子供扱いはやめてくれ。僕はもう十八歳になった」
あっ、とトモは声を上げた。保護者面のトモが動揺するのは愉快だ。
「アミン、よく考えないとダメだ。シリアは内戦状態になっているんだぞ。命の危険もあるかも知れない。君は連れて行けないよ」
「トモ、君こそよく考えたのか?」
「僕は……」
そら見てみろ、と僕は意地悪く唇の端を歪めた。
僕に対してだけ大人ぶって、良識ある保護者のような態度をするけれど、トモは僕より危なっかしいよ。思い付きでイギリスまで来てしまったんだろう? なんとなくでイマーム・カーディルに師事したんだろう?
そんな根の無い君が何を言ったって説得力なんて無い。
でも、そんなこと、どうでもいい。
「僕もシリアへ行くよ、トモ」
抜き差しならない場所へ、僕はトモを追い詰めずにはいられなかった。
トモを逃げられない場所まで追い詰められれば、もう、それだけで良かった。
戦争というものには実感が湧かない。銃を持ったことも無いし、作戦とか、色々言われても、戦場でどんな風に人が過ごすものか想像もつかない。
それでも、僕は意地を張った。
トモに置いて行かれたくなかった。トモと対等になりたかった――
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