【Ⅳ】3
二日後――
ママをエンバーミングして土葬にする金は無く、火葬にして焼け残った白い骨をポッドに入れて貰った。小さくなったママを抱いてフラットまで帰る道すがら、トモはずっと暗い表情で黙り込んでいた。
ベッドルームに入り、ポッドを部屋の隅の床に置いて、エアコンのスイッチを入れながら僕はさっそく困った。
「これ、どうしよう。ずっと部屋に置いておくしかないのかな」
こんなもの邪魔だ。暗い気分になるし、ママの遺骨が目につく場所にあるのは嫌だ。
僕の真意を知ってか知らずか、トモは少し考え込んでから、「ママをダイヤモンドにしよう」と言った。スイスに遺骨をブルーダイヤに加工してくれる業者があるらしい。トモが熱心に勧めるので、その企業のウェブサイトも見てみた。アップされていたフォトは綺麗で、元が人間の骨だなんて思えなかった。「ダイヤモンドの青味には個人差があります」というアナウンスも、なんとなく素敵だと思った。申し込みをして遺骨を送れば、特殊な装置で熱と圧力をかけて人造ダイヤモンドにし、出来上がったブルーダイヤは好みのシェイプにカットして送り返してくれるということだった。
ママは宝石が好きだった。一度も高価な本物は手にしたことが無いけど、自分がブルーダイヤになれるなら、あの不機嫌なママも喜ぶような気がした。僕も部屋に陰気な遺骨ポッドがあるより、ダイヤモンドのほうが良い。
いいな、と思ったけど、費用を見て目を閉じた。土葬にかかる総費用に比べればまだしも安かったけれど――
「三千ポンドも払えない」
すかさずトモが身を乗り出す。
「僕が払う。払わせてくれ」
「三千ポンドも?」
「払いたいんだ。君の為に何も出来ないから、せめて、それくらいさせてくれ」
それでトモが楽になるなら、と僕は頷いたけど、三千ポンドもの大金を簡単に出してくれるトモに引っ掛かりも覚えていた。
トモに対する僕の気持ちは複雑だ。最初はツイッターで構ってくれるだけの変な奴だと思っていた。それから、日本人だから金持ちなんだろう、とも。次第に心を許せる唯一の友達になって、ダリルから救ってくれた恩人になって、一緒に住む家族になった。時々、やっぱりトモもツイてる奴ら(ラッキー・フェロウズ)なんだなと僻むこともある。だけど、トモの学位は僕と似たり寄ったりで、日本のハイスクールを中退した後、詳しくは知らないけれど、試験を受けてハイスクールの卒業資格は得ただけらしい。それに、わざわざ留学してきたのに勉強そっちのけでイマーム・カーディルとかいう奴にハマっている。トモは人生に失敗しているようにも見える時もある。そんな時は、ふっと気が楽になる。大切なトモの不運を喜ぶなんておかしいと思う。トモは好きだし、ずっと側にいて欲しい。
ただ、何かが複雑だ。
ママのフラットを片付ける数日の間、僕はARGENTO RECOVERY WORKERSの仕事を休ませてもらえた。僕は休まなくてもいいと言ったのだけれど、ボスのデヴィッドが「いいから休め」と不愛想に言い、ついでに有給休暇にしてくれた。
ママの所持品はすべて捨てた。残しておいても邪魔なだけだ。トモと僕の共有ベッドルームには余分な荷物を置く場所が無いし、それに、ママを思い出させる物を残しておきたくなかった。靴もドレスも下着も安物のアクセサリーも、ママが気に入っていた雑貨も、家具も、置きっぱなしにしていた僕の思い出が詰まった本も、僕が昔使っていた服や靴も、何もかも、すべて処分した。売れるものは売り、売れなかったものは分別してゴミ捨て場に運んだ。
最後に残ったママの骨を、ダイヤモンド加工会社の指示に従って箱詰めにしてスイスに送ったら、ものすごくサッパリした。
だけど、僕は落ち着いたというのに、今度はトモが落ち込んで泣き始めた。
トモは僕のママが殺されたのは自分のせいだと言った。
「僕のせいだ。僕が君を唆したから……」
相変わらず日本人は奇妙な考え方をする。
「トモのせいじゃないよ。あの時、トモが助けてくれなかったら、僕が死んでた」
そう言って慰めても、酷く落ち込んでしまったトモはなかなか立ち直らなかった。
「君に合わせる顔が無い」
そう言って一日中毛布を被ってベッドに潜り込んでいるようになってしまい、正直、閉口した。ラティファに相談したけど、彼女は肩を竦めただけだった。
「放っておくしかないわ。トモは責任を背負いたいタイプなんでしょ。変わってるわ」
そうは言っても、僕はトモを放っておきたくなかった。トモは、僕を救ってくれた唯一の人で、僕を生かしてくれている特別な人だから。
色々考えた末、僕は左腕にタトゥーを入れた。
ル・カレを気取って「OUR GAME」と――
トモが読んでいて、僕も真似して読んだ本だ。難解だったけど気に入っている。
僕とトモは二人でクズ野郎のダリルにゲームを仕掛け、二人でゲームに勝ったんだ。僕とトモ、二人で、最低最悪の敵を倒した。ママが死んだからといって、その勝利の価値は変わらない。ママがナイフで刺されて殺されたからどうだっていうんだ。ダリルが殺さなければ、あんな女、いつか僕が殺していたかもしれない。
大切なのはトモとラティファだけだ。ラティファは恋人で、トモは……家族よりも家族のような人だし、なんといっても、かけがえのない唯一の親友だ。
僕は良い気分で小説の登場人物に自分たちの姿を重ねていた。
トモがハンドラーのクランマーで、僕がエージェントのラリーだ。僕らの間にいるエマはラティファってことになるのかな。でも、彼女はトモとただの友人だし、僕達の仲を裂く原因にはなりはしない。だから、二人の友情は永遠に続くと信じていた。僕はまだ、あの物語の結末を深く考えていなかった。ラリーは虐げられているムスリムのために、親友のクランマーと祖国イギリスを裏切って遠いチェチェンに行ってしまうのだ。そして、戦って死ぬ。ラリーは親友を裏切って、友のいない場所で死ぬ。
僕はラリーのようにならない自信があった。
僕はトモを永遠に裏切らない。
だって、僕とトモが離れ離れになるなんて考えられないから。もしも、まあ、もしもだけどね、僕がラティファと結婚するようなことがあったら、トモも一緒に三人で暮らせばいい。トモも彼女が出来たら四人で、子供が出来たら五人、六人、七人……何人だっていいよ。僕達はずっと一緒だ。
「Tomo, be with me for ever.」
トモは、くるりと振り向いてぎょっとしたように目を見開いた。
「アミン、僕は……」
何かを言いかけてトモは視線を落とし黙り込んだ。
仕方ないな――
僕はトモの横に腰を下ろして彼の肩を抱いた。トモはびくっと身を竦める。
「まだ落ち込んでるの、トモらしくないよ?」
「アミン……」
日本語で何か言われたけれど、僕には意味が分からない。
「ねえ、トモ、そんなことより
左腕のタトゥーを指差すと、トモはポカンと口を開けた。
「なにこれ?」
タトゥーからペロンと垂れ下がるダサイ瘡蓋を見て、やっとトモは笑った。
彫ってから一週間ほどがたち、傷が盛り上がって黒い瘡蓋がところどころ浮いて剥がれかけていた。
「無理に剥がすとタトゥーも傷むらしいから、引っ張らないでハサミで切って」
タトゥーアーティストに注意されたことをそのまま伝えたら、トモは怖々といった様子でハサミを手に取った。
「……オーケイ」
最初はおっかなびっくり瘡蓋の端をつまんでほんの少しずつ切り取っていたけれど、次第に慣れてトモは大胆になった。
「面白いな。真っ黒な瘡蓋なんて初めて見たよ。なるほど、ニードルで傷を付けて染料を入れてるわけだから、傷が治る時には色付きの瘡蓋が出来るのか……」
大真面目な顔でトモは何度も頷いていた。
「実際に試してみないと分からないことが多いんだな」
「そうだね……うん、そうだよ……」
世の中、試してみないと分からないことだらけだよ。僕は、自分が生きている結果、こんな、ままならない事ばかりが起こるなんて子供の頃には想像もしなかった。ママのことなんてとうの昔に見捨てていたし、早く死んで欲しいとも思っていたけれど、まさか本当に殺さてしまうなんて……
もう迷惑をかけられることもなく、苦しめられることも、酷い言葉で傷付けられることもない。合理的に考えれば「問題が片付いた」ということになるのだけれども、僕は、よく分からない。居てくれないほうが良い母親だった。そう正直に言っても、誰も僕を責めないだろうか。ああ、責められたくない。責めないでくれ。
僕は、ただ、優しくされたい。
トモの肩に頭を乗っけたら、彼はなぜか溜息をついた。
「重いよ、アミン……」
トモはまた僕には分からない日本語で何か言った。
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