【Ⅰ】5
トモは簡潔に言った。
「そいつ、排除しよう(exclude him)」
「でも、どうにもできないよ。証拠がなきゃ白を切られるだけだと思う。下手なことをしたら、また殴られる」
「証拠があれば良いんだろ?」
「レコーダーが無い」
トモからの返信が少し途切れたけれど、何か考えてくれているのだと僕は思った。信じていた、トモを。その気持ちにトモは応えてくれた。
「僕が買う」
なんだって、と僕は思わず声に出していた。地球の裏側にいるトモがレコーダーを買って送ってくれるって言うのか。でも、そんなこと――
躊躇する僕に、トモは立て続けにDMを叩き付けた。
「アマゾンって分かる? 通販サイトなんだけど、分かるよね。そこに登録して、ウィッシュリストに会話を録音できるレコーダーを入れろ。リストを公開設定にしてから、君のアマゾンIDを教えて。これが一番早く、面倒も無く、君にレコーダーを送れる」
「出来るの? そんなこと」
「出来るよ。お金を払ってプレゼントするだけなら簡単だよ。悔しいけど、僕にはそれしか協力できない。でも、君は自力でやり遂げられるはずだ。レコーダーがあれば証拠の会話を録音できる。頭を使って、ちゃんと証拠になるように誘導するんだ。それからレコーダーを持って警察に行って被害を訴えるんだよ。イギリスの事情は分からないけど、そっちの警官もポイント稼ぎくらいはしてるだろ? 手柄になるんだから、少年を強姦しようとしたクズは逮捕されるに決まってる」
どう返事をしていいのか分からなかった。十分ほど僕はディスプレイを見詰めたまま身動きひとつ出来ずにいた。そうしたら、開いたままだったDMのウィンドウに、ポン、と新しいメッセージが表示された。
「勇気を出して。豚野郎をやっつけるんだ」
短いメッセージだった。だけど、力強いメッセージだ。
僕は決断した。
「やるよ。あいつをハメてやる」
結果だけを言えば、大成功だった。トモが買ってくれたレコーダーは三日後には僕の手元に届き、胸糞悪いけど、あいつと二人きりになった時に狭いリビングに居続けたら、面白いように引っ掛かってくれたのだ。
あの日は、何度も通り雨が降り、七月だというのに昼間から少し肌寒い一日だった。夜になってからは薄手のセーターが欲しいくらい冷え込んだ。
僕は、トモがプレゼントしてくれた、真新しい、掌にすっぽり収まるサイズの黒いレコーダーを胸に抱いて、必死で自分を奮い立たせた。
七月の最後の週からサマーホリデーが始まる。九月の最初の月曜日、新しい学年の授業が始まるその日まで、六週間もの長い休暇になるんだ。金の無い僕に行き場はないし、部屋に入れてくれる友達もいない。敵の排除を
ナイトクラブが店を開ける時間が近づき、シャワーを浴びたママは、濃いメイクをして、ボディラインの出るセクシーなドレスを身に付けた。カールの決まらなかった髪を不機嫌そうに弄りながら赤いハイヒールを履く。
「くそったれのお仕事に行って来るわ。アミン、良い子でお留守番しててね」
「いってらっしゃい、ママ」
ママが軽く手を上げて横を通り抜けた時、ジャスミンの強い香りが僕に絡み付いた。
ダリルはママを見送りもせず、いつものようにソファにふんぞり返って、テレビでフットボールの試合を見ていた。ジンとステラビールの瓶がローテーブルの上に並べられていて、冷凍食品のチキンとコテージ・パイは半分以上残っていた。部屋はいつものように散らかって汚れていて、煙草の煙が充満している。
しばらく、僕とダリルは無言でお互いの出方を伺っていた。僕が出て行かないと確認すると、あいつは甘ったるくて気色悪い声で僕を呼んだ。
「アミン」
僕は黙って顔を上げる。
ダリルは、麻薬中毒者特有の夢見るようなとろんとした表情をしていた。黄色く濁った白目が薄く充血している。ジンとビールだけでなく、葉っぱ(ウィード)もキメてる。
「こっちに来いよ。隣に座らないか?」
猛烈な嫌悪感で鳥肌が立ったけど、僕はダリルの隣に座った。
会話を録音しなきゃいけない。
目立たないようにカーゴパンツのポケットに手を滑らせ、忍ばせておいたレコーダーのRECスイッチを入れた。大丈夫なはずだ。スイッチをちゃんと入れられるように、昼間、何度も練習した。最初のうちはミスすることもあったけど、最後のほうは失敗せずにスイッチを入れられるようになった。うん、大丈夫。
「アミン、大きくなったな」とダリルは言った。それから僕の膝に手を滑らせる。
「初めて会った頃は鶏ガラみたいなチビだったけど、もう立派な大人だ。髭は生えたか?」
「まだだよ」
見ればわかるだろ、と内心で毒づく。
「なあ、アミン。大人の付き合いを教えて貰いたくないか?」
赤ら顔のダリルがにじり寄って来て、アルコールと豚の糞が混じったような臭い息が顔にかかる。ソファのスプリングが軋んで耳障りな音を立てた。
ダリルに自分の言葉で語らせなきゃいけない。うまく誘導するんだ。
「大人の付き合いって何……?」
「言わなくても分かるだろう?」
「フェラチオしろってこと?」
「キスして欲しいだけだよ」
「イエスかノーで答えて」
「オーケイ、分かったよ。フェラチオしてくれ」
よし、これで良い。でも、もう少しダメ押しが欲しい。
僕は立ち上がり、ダリルを正面から睨み付けてきっぱりと言った。
「嫌だ、断る」
騙されたと気付いた時のダリルのマヌケ面は今でもよく覚えている。一瞬、何が起こったのか理解できなかったようで、ぽかんと口を開けてから、ヤニのこびり付いた汚い歯を剥いて、みるみる怒りと屈辱で顔を真っ赤にしながら立ち上がった。それでもまだ揶揄われただけだと思っていたようで、僕が証拠を録音しているとも知らずに、更に迂闊な一言をダリルは吐き出した。
「ふざけるな、クソガキ。ぶっ殺してやる」
やった。暴行の証拠もゲットだ。
僕はわざと殴られ、勢いに逆らわず倒れ込んだ。ダイニングチェアにぶつかって派手な音が響く。きっと良いシーンが録音できているはずだ。僕は痛みと笑いを堪えて声を張り上げた。状況が分かりやすいように言葉を選んで。
「ふざけてるのはそっちだろ。いつもいつも好き勝手に僕をぶん殴りやがって。挙句にレイプしようってのかよ」
ダリルは酔いを払おうと頭を振った。少し朦朧としているのかもしれない。
「なんて口利きやがる。躾が必要だ。そうだ、躾が必要だ」
じりじりと距離を詰められ、部屋の隅に追い詰められそうになって、僕はダリルと睨み合い身を躱しながら壁際をずるずると移動した。
もっと決定的なワードをダリルに言わせようと必死になっていた。クレバーに引っ掛けてやるつもりだったのに、作戦も糞も無い。ただバカみたいに同じ言葉を連呼するしか出来なかった。
「僕をレイプするのか。レイプするんだな。レイプするつもりなんだろう。くそったれのレイピストの豚野郎。レイプするって言ってみろ」
ダリルは相当、頭に血が昇って興奮しているみたいだった。ブチ切れた猪みたいに歯を剥き出しにして、憎悪でどす黒く歪んだ醜い顔で叫ぶ。
「ああ、そうだ。レイプしてやる!」
やった――
僕はフロントドアから転げるように外に飛び出した。レコーダーを握りしめ、走って、走って、走り続ける。ダリルが追い掛けて来ないか何度も振り向きながらA12号線の向こう側まで全力で疾走して、それからTESCOの外にある赤い電話ボックスに駆け込み警察に電話した。殴られて唇が切れていたけど、それはラッキーだった。
ダリルは、まず傷害罪で逮捕された。
それから未成年者に対する強姦未遂罪も加わり、禁固刑は確実になった。しかも被害者は僕一人じゃなかった。ダリルが逮捕されたことが知れると、それまで黙っていた近所の
一人の少年に対する強姦と、僕に対する強姦未遂と傷害、他にもドラッグの所持と使用、密売の罪に、窃盗などの罪もいくつか付与されたらしく、ダリルは懲役三年を言い渡された。よくもそれだけ、と呆れるような盛られ具合だった。
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