第2話 《綾城彩花》シリーズ
前世において、《綾城彩花》シリーズの名はそこそこ有名なものだった。
累計発行部数九〇万部の人気シリーズで、実写ドラマ化もされている。
僕はその読者だった。
すでに完結している原作をすべて買い揃え、通読し、何度も何度も繰り返し余すところなく読み尽くした。
端的に言うと大ファンなのだ。
だから当然、僕は知っている。
この《緑家晩餐会》で起きた事の顛末を。
《緑家晩餐会》とはミステリ読者を中心とした読書会だ。根っからのミステリ狂である
現実の名探偵として《緑家晩餐会》のメインゲストに招待され、その際事件に巻き込まれる――この状況はシリーズの短編『緑家晩餐会の顛末』と完全に一致している。
『緑家晩餐会の顛末』において謎の中心とされるのは、《生前には眼鏡をかけていなかった被害者が、死後、なぜ眼鏡をかけているのか》《被害者の両目はなぜくりぬかれているのか》の二点。
もちろん、その謎の答えも僕は知っている。
……さて。
僕はこの《綾城彩花》シリーズの世界で、どう立ち振る舞うべきだろうか?
既にすべての謎が解けているこの世界で、僕はなにを演じるべきだろうか?
そして、《綾城彩花》シリーズ作品全体を通して描かれるあの事件についてだが……いまは置いておこう。
気がかりは二つ。
しかしその前に――
「綾城さん」
「なんだい七原くん。さっきのダジャレについてなら、大いに推理の参考になったから安心するといい」
「いえ、そうではなく。……綾城さんって、かるたは強いですよね?」
――とっとと事件を終わらせてしまおうか。
実は緑家晩餐会メンバーと綾城さんの努力により、容疑者は絞り込まれている。
被害者の死亡推定時刻である午前四時半から五時までの間にアリバイのある人物はほぼほぼいなかったが、被害者の打撲痕の位置と角度から、犯人は身長が推定160cm以下の人物であることがわかっている。
その条件に当てはまっているのが、《緑家晩餐会》の女性陣――町井涼子、
被害者の三島
この容疑者四人のうちでもっとも怪しいとされているのは、被害者の隣室で、かつ被害者にかけられていた眼鏡の持ち主でもある町井涼子だ。
「そう緊張しないでください。皆さんに集まってもらったのは、ただゲームをするためです」
綾城さんが、外向きの探偵スマイルを見せながら言った。
遊戯室に集められた四人の容疑者は、それぞれ緊張の面持ちでいる。
「こんなときに、なぜゲームなんでしょうか」と恐る恐る言うのは鏡水脈。
「わたしは皆さんとの間にある溝を少しでも埋めたいのです。そのために、このような時間を設けさせていただきました」
「なにそれ。キレイゴト言ってるけど結局さ、このゲームのなかで容疑者のプロファイリングでもしたいんでしょ」と挑発的な口調で天久瑞葉。
「だとしても、犯人でなければ問題はないですよね?」
「それで、ゲームっていったいなにをするんですか?」と話をさっさと進めたそうな菖蒲谷雪菜。
「かるたです」
「え、じゃあ……あたし目が悪くて、すごく不利だと思うんですけど……」と焦る町井涼子。
町井さんは現在、眼鏡をかけていない。
死体にかけられた眼鏡が生理的に受け付けず、裸眼で過ごしているのだ。多少の不便を強いられることにはなるが、正常な反応と言えるだろう。
「その点については大丈夫ですよ。さあ、これをどうぞ」
綾城さんが差し出したのは、町井さんの眼鏡。
「えっと、これ、かけられないんですけど」
「かけられないなんてことはないんじゃないですかね?」
「あたしがっ、かけたくっ、ないんですけどっ」
「さあ、始めましょうか」
「あの、聞いてます!?」
そしてゲームは始まった。
結局、町井さんは裸眼のままでかるたをするようだ。テーブルにギリギリまで顔を近づけて、かるたの一枚いちまいに目を凝らしている。
ところで、どうしてここで綾城さんがかるたをすることになっているのか。
それはもちろん、かるたをすることで犯人が分かるからだ。
だがそのことを知っているのは僕しかいない。容疑者とかるたをするように勧めたのは僕だ。その名目は、表面上は天久瑞葉が言っていた通りの内容である。
しかしかるたを強引に推す僕に綾城さんは疑念を抱いたようで、しぶしぶ引き受けつつも「ちゃんと話は聞かせてもらうからな」との言葉を受ける。
こうなるだろうと読めてはいたが――頭が痛くなる。
これは上手い言い訳を用意しておかなければいけないな。
どうせ名探偵によって解決される事件なのに、どうして綾城さんに痛い腹を探られるかもしれないとわかっていながらわざわざ事件解決を早めようとするのか――もちろん理由はある。
そう、そもそも『緑家晩餐会の顛末』とは、連続殺人を取り扱った短編なのだ。
現時点で殺されているのは三島叶ただひとりだが、実際にはあとひとり――放っておけばまた死人が出る。
人が殺されるかもしれない状況下で、それを阻止する手段を有しているにもかかわらずのほほんと堅実な推理などしていられない。
ゆえにそんなものはすっ飛ばしてさっさと解決編に移らないといけないのだ。
かるたを読み上げるのは助手である僕だ。
「《まずはこれ、探偵と言えばホームズだ》」
パシンと音が上がり、綾城さんがかるたを取った。
次に読み上げたものも、綾城さんが取ってしまう。
そう、綾城さんはすべてのかるたの位置をすでに記憶しているため、およそこのゲームにおいて無敵の強さを有しているのだ。
「《名探偵、みんなを集めて、サテと言い》」
だが、かるたの強さを見せつけることに意味はない。むしろ、度が過ぎれば人間観察においては邪魔にしかならない。
ある程度の手加減を見せつつ、他のメンバーたちにもかるたを取らせていく。
この調子ならば大丈夫だろう。綾城さんならそのうち違和感に気づくはずだ。
そうやってゲームが進んでいき、まずは綾城さんがなにかに気づいたようにほんの少し眉を持ち上げたが、僕以外には分からない程度の変化だ。
あのことに気づいたのなら、事件の謎も解けただろう。
「《無人島、なにも起きない、はずはない》」
さらに進んで、ゲーム終盤。容疑者たちもことのおかしさに気づき始め、どよめきが生まれる。ここまでゲームが進めば、どうしても目に見えて《差》が生まれてしまう。
「《犯人を、指さす言葉は、ひとつだけ》――」
すべてのかるたが取り上げられ、ゲームが終わるころには、一同の視線はとある人物にのみ注がれていた。
「犯人はあなたですね」
と、綾城さんが言う。
その言葉は、ゲームの序列最下位――かるたをただの一枚も取れていない、菖蒲谷雪菜を指していた。
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