第9話 入れ子の密室
目が覚めると綾城さんの顔があった。周囲を観察すると、僕の寝泊まりする《客室》だった。
最高のシチュエーションだが、喜ぶ暇はなかった。どうしてこうなったのか分からないからだ。しかし、混乱から少しずつ過去を取り戻す。ちょうど《七原》が《僕》として目を覚ましたように。
そうだ、僕は襲われたのだ。
思い出すのと同時に、綾城さんと目が合った。
「目が覚めたのかい」
「あの! おおし――あがひゃっ!?」
大城龍太郎と駒塚さんの件を思い出して飛び起きると、後頭部がずきりと痛んだ。事件について訊こうと口を開いたところだったが、おかげで言い淀んでしまう。しかしいまの時点で僕が事件について質問するのは不自然なので、これは却って良かったのかもしれない。
「安静にしたまえ。君は襲われたんだよ。この館に潜む何者かにね」
「何者かって……それに、襲われたってどういうことですか?」
僕は何も知らない演技をして適当に話を合わせる。
「憶えていないのかい? まあ無理もないか。いまから三十分ほど前、君が廊下で倒れているのが発見されたんだ。後頭部に大きなたんこぶを拵えた状態でね」
「ああ……そうなんですね。道理で……いてて」
「良かった、目を覚ましてくれて。犯人は君の命までは欲しくなかったようだ」
「《君の命までは》、というのは……」
含みのある言い方に、一抹の不安がよぎる。
綾城さんでも言いにくいのか、ためらいを見せつつ、少々暗いトーンで切り出した。
「大城先生が亡くなられたのだ。自室で、首を吊って」
「えっ! それって……」
やっぱりか……。
苦い気持ちが胸に広がる。そして先程までの興奮ぶりが思い起こされ、僕を責め立てた。
なにが助けるだ。なにが守るだ。偽善もまともに熟せないじゃないか、僕は。
「現場が密室だったこともあり、自殺と考えるのが自然なんだが……君が襲われたことを鑑みれば殺人の線もなくはない。君が伸びていたのは大城先生の自室付近だったから、おそらく犯人にとって被害者周辺を
「他の方は無事なんでしょうか」
「ああ、いまはみな広間に集まって警察の到着を待っているよ。あと二十分程はかかるだろうがね」
どうやら、駒塚さんのほうは無事だったようだ。良かった。本来ならこの時点で駒塚にとろの殺害が行われているはずだが、歴史は変わったようである。しかしまだ油断はできない。犯人にとって、駒塚さんは生かしておいてはならない人物なのだ。よって早急な事件の解決が必須である。
「というわけで、事態は殺人にまで発展しているわけだ。……犯人は見ていないんだろうね?」
「すいません、見ていないです……」
本当に不意を衝かれたのだ。
わけも分からぬまま、いま目覚めてすべてを知る有り様。
綾城さんは僕の無能をまったく責めなかった。むしろ、僕を安心させんと笑いかけてくれさえする。
「それならそれでいいさ。なに、犯人はもう分かっている」
「えっ! もう分かったんですか!?」
なんだこの名探偵。頼もしすぎないか? 原作小説ではもっと解決に時間がかかっていたはずだが、歴史が変わったことで綾城さんの推理に必要なデータが早く揃ったのだろうか? もしかして駒塚さんが現場となった部屋を見たとか?
「ああ」
と綾城さんは断言する。格好良すぎる。
僕は期待のこもった眼差しを綾城さんに注ぎ、次のセリフを待った。『犯人は大城次郎だ』という声が聞こえてきたが、脳内の幻聴だった。
しかし綾城さんの発したセリフは、僕の想像を超えるものだった。
「――犯人は白間鋭利だよ」
…………はい?
いま白間鋭利って言った?
世界が揺らぐ。
大地が割れる。
空が落ちて、海が消えゆく。
あのー……、犯人は大城次郎なんですが。
6
回想終了。
なぜか綾城さんがポンコツ化してしまった。
あの絶対的な名探偵であるところの綾城さんが……なぜだ? どうしてしまったんだ?
僕はとりあえず、白間鋭利を犯人とする根拠を訊く。
「なぜ、白間鋭利なんですか?」
「簡単なことだよ。首吊りに見せかけて人を殺害するのは、相当骨が折れるだろう。どんなに器用な人間だって、実行の際には必ずもたついてしまうはずだ。そうしているうちに被害者が起きてしまえば、抵抗に遭って自殺の偽装ができなくなる。確実性を求めるなら、事前に被害者に睡眠薬を飲ませるのが無難だろう。そして被害者の食事に睡眠薬を仕込むことが可能なのは――それを用意した白間鋭利に他ならない。故に白間鋭利が犯人だ」
簡単というか雑だった。
めまいがする。
「ええっと……首を吊る前に殺害したのでは?」
「それでは自殺の偽装にならないだろう。死因が特定されたら、他殺だとバレてしまうじゃないか。わざわざ現場を密室にするのだって、つまるところ自殺に見せかけるためなんだからな」
「なるほど! さすが綾城さん!」
……あれ、雑な推理に反論したつもりが、普通に
「もっとも、大城先生の死を他殺とするわたしの推理は、そもそもが君が襲われたという事実に起因している。しかしその前提が間違っていたなら――つまり大城先生と君の件がまったく関係のない事件だったなら、大城先生の死が自殺だという可能性は大いにあり得る。というか、そのほうが
犯人が出入りしているのなら、完璧な密室などありえない。
しかしそれは犯行が殺人だと確定している場合にのみ言えることであって、今回の場合はその命題が逆転することによって自殺の可能性が示唆されている。
だが僕はこの事件が殺人だということを知っている。だから、綾城さんの言う「完璧な密室」が間違いだということも知っている。
「本当に完璧な密室だったんでしょうか?」
僕はそう問いかけてみる。
「ああ、完璧な密室だよ。《奥の部屋》へと通ずるドアは内側にしか錠がなく、外側には鍵穴すらない。錠は単純なサムターン錠だが、つまみは重くロックにはそれなりの力を要する。そして錠はピカピカの新品じゃないかと疑うほど綺麗で傷は一切なかった。つまり、《針と糸》のトリックで施錠した可能性はないということだ」
「しかし錠をなんとかする以外にも、密室トリックにはバリエーションがあるでしょう?」
「無論、心理トリックだのは無しだ。《奥の部屋》に通ずるドアを破ったのは他ならないわたしだからな。ドアが開かない演技で密室を強調したあと錠を壊して
遠まわしに訴えても密室トリックの答えにはたどり着けなさそうだ。
僕は諦める。
「まあ、そういうわけで大城先生が自殺したという可能性は大いにあり得る。君が襲われた件と無理やりに結びつけるなら、例えば君を襲った犯人が大城先生で、そのことに罪悪感があったとか犯罪者としての今後を憂いたとかで自殺したとか言ったあたりが無理のない解釈だろうか?」
僕を襲った犯人は大城龍太郎で、それを理由に自殺する。
これに近い仮説は原作小説にもあった。正確には、駒塚にとろの殺害が大城龍太郎の手によるもので、良心の呵責に耐えられなくなった龍太郎が自殺したというものである。
大城龍太郎の自室(《手前の部屋》)に強姦され殺された駒塚にとろの死体があり、続く《奥の部屋》で大城龍太郎が死んでいたため、そういう推理が飛び出したのだ。
もちろんそれは、犯人である大城次郎が事件を自殺として偽装するために、そう解釈できるよう仕向けた結果である。しかし駒塚にとろの死が回避されたことで、仮説に用いられる人間が僕と駒塚さんとで入れ替わってしまったようだ。
さて、このままでは真相は闇の中。
綾城さんは犯人を間違えるし、そもそも事件が殺人かどうかも現状では怪しいと来ている(原作では綾城さんの華麗な推理によって事件が殺人ということを暴くのだが、この綾城さんには期待できない)。
差し出がましい真似かもしれないが、もう……こうするしかないよな。
「あーーっ!」と僕は声を上げる。
「なんだい、突然大きな声を上げて」
「あの、犯人は大城次郎です!」
叫び声にはさほど驚かなかったが、さしもの綾城さんも突然の犯人指名には面食らったようだ。
「え、何を根拠に言っているんだい」
「襲撃に遭った瞬間のことを思い出しました! あのとき、大城次郎の顔をバッチリ見たんです!」
実際には見てないが、まあ犯人はやつで合っているのだし、そういうことにしても問題はないだろう。
◇◆◇◆
僕の指摘によって事件は解決し物語は幕を下ろす――なんてことはなく、普通に大城次郎から反論をされてしまう。
僕は一同の会する広間へ向かった。龍二は僕を見るなりこちらに駆けつけて、しきりに声をかけてきた。かなり心配させてしまったらしい。ひとまず全員を安心させたところで、僕は襲撃犯の件を言い出した。しかし、次郎さんからの反論を受けてしまう。
「まず、僕が襲撃犯だという証拠はどこにもない。例えば、そこの七原さんが父を殺害し、疑いを逸らすために襲われたという狂言をしているだけかもしれないじゃないか。僕をスケープゴートにしてね」
その反論には綾城さんが受けて立った。
「自分で自分の後頭部を殴りつけた、と?」
「例えばの話さ。それに、もしも父が殺害されたのなら、実行の段でなんらかのトリックを使ったってことだろう? 《奥の部屋》は密室だったんだから。なら自分の頭を殴るのだってなんらかのトリックを用いて実行したのかもしれない」
「大城先生の死を自殺に偽装しようとしているのに、わざわざ襲われたふりをして殺人の可能性を示唆する意味が分かりませんね」
「だから、例えばと言っているだろう? つまり僕が言いたいのはね、七原さんの証言が真実とは限らないってことさ。嘘でなくとも勘違いの可能性はある。第一、父の部屋の近くをうろうろしていて襲われたなんて、いかにも胡散臭いとは思わんかね。七原さんは、なぜあの場所にいたんだい?」
「それは――なんとなくで――べつに大した理由は――」
「だってさ」
と次郎さんが肩を竦める。容姿の良い次郎さんがやると、ドラマみたいに様になっていた。
綾城さんもやれやれとでも言うように頭に手を置いた。
次郎さんは、更に追い打ちをかけてくる。
「そもそも現場は密室だったんだ。それなのに、僕がどうやって犯行に及んだって言うんだい? 僕が犯人だと糾弾するなら、まずは犯行方法を明らかにしたうえで、僕が殺したっていう証拠を持ってきてもらわないと、ここにいる誰も納得しないんじゃないかな。名探偵さん」
最後の煽りに僕は顔を真っ赤にするが、次郎さんの言うことも、まあ一理ある。彼が犯人であると確信している僕だから納得いかないだけで……。
というわけで、僕らは密室の謎を解かなくてはならなくなる。まあそれは原作と条件が同じだからいい。しかし、この綾城さんに密室トリックの謎が解けるだろうか?
もちろん無理だろう。
だから、僕がなんとかするしかない。
名探偵のサポートをするのも助手の務めだ。
僕と綾城さんは現場に赴いた。
大城龍太郎の部屋は僕たちの宿泊する《客室》と同様、中央を壁で仕切られ《手前の部屋》と《奥の部屋》とで分かれている。違いは、《手前の部屋》にそれらしい家具が全然ないことだろうか。あまりにも殺風景。僕は《七原》の部屋を思い出す。しかし異質と言うなら、それは《七原》のほうなのだ。この部屋は館の主人がひとりで使う部屋なので、家具は一式で充分。
《奥の部屋》へと通じるドアは開け放たれていて、その向こうには一式分の家具と、大城龍太郎の首吊り死体が。首のロープはベッドの脚に伸びていた。
正直、一分一秒でも長くこの部屋にいたくない。
よって僕は推理をなるだけショートカットする。
最短距離で真相まで。
「なんだか両極端ですね。《手前の部屋》はこんなにも殺風景なのに、《奥の部屋》には家具が揃っていて、おまけに死体まで……」
「ユーモアのセンスが上がったじゃないか、七原くん」
「いや、ユーモアとかではなく。この部屋は狭すぎです」
「確かにな。とても同じ広さに等分されたとは思えない違いだ」
「そうだ、綾城さん。死体が発見されたとき、現場にいた人間って誰ですか?」
「そうだな……わたし、大城龍一、大城次郎、比嘉小太郎の四人だ」
「それ以外の方で現場に立ち寄った人はいます?」
「いや、誰も好き好んで死体を見たくはないだろう? それに現場の保全もある。更に犯人が意図的に手掛かりを隠ぺいする可能性もあるから、容疑者はできる限り現場に入れない方が良いと判断した」
ちょっと苦しいか?と悩みつつ、僕は大胆な提案を試みる。
「なるほど……ところでこれはなんとなく思いついただけでつまりは閃きなんですけど、いちど容疑者全員を現場に連れて反応を見るのもありなんじゃないかと思うんです」
綾城さんが眉をひそめる。僕はまずった!と思うが、言った言葉は取り消せない。
「容疑者全員と言ったって、君が疑っているのは大城次郎だけだろう? 彼を現場に……ってことかい? さっきも言ったが、大城次郎ならいちど現場を見ているよ」
「いや、この館の全員を、です」
まあ本来なら駒塚にとろのひとりで充分だが、そこまで限定したら余計に不審がられるのは目に見えている。館の全員というのは方便だ。
綾城さんは口もとに手を当てて考え込んだ。
う……、さすがに不自然に思われたか?
本当は出過ぎた真似はしたくないのだ。かるたの件もあるしな……。
ドギマギしていると、綾城さんは、
「……ああ、なるほど。君の言うことも一理あるね」
意外にもすんなり納得してくれた。
え? こんなに簡単でいいのか……?
二言三言あるかと思っていたので、下手な言い訳をせずに済んだことに胸をなでおろす。
あー良かった。
これで事件は解決だ。
広間の全員に綾城さんが告げる。
「いちど皆さんに事件現場に来て欲しいんです」
セリフの途中で大城次郎の反応を窺うと、明らかに動揺した様子で駒塚にとろに視線を投げていた。そして綾城さんになにか言おうと口を開きかけるも、諦めたように項垂れる。それっきり表情は窺えなかった。
代わりに異を唱えたのは比嘉美津子だった。
「あたしたちの気持ちは無視かしら。警察でもないのに、遺族に身内の遺体を見せて反応を窺おうなんて、あまりにも無神経極まりないわ」
「申し訳ありませんが、事件解決のためです」
「でもなあ。改めて現場に集まったって、それでなにがわかるんだ?」
龍一さんがぼやく。
「率直に言えば、その時点で事件は解決へ向かうでしょう」
これには広間がざわついた。小次郎くんなど、浮足立った様子で、現場をいまかいまかと待ち望んでいる。小次郎くんは先程からこの調子で、どうやら死体に興味があるらしかった。
事件が解決するとなると、誰も綾城さんのお願いを強く拒めなかった。
一同で大城龍太郎の自室へと向かう。
さて、ここから先は見ものだぞ。原作小説にはなかったエンディング、新たな解決編。
決定的な終止符を打つのは――散々ほのめかしてきた通り、駒塚にとろだ。
部屋の中に入ったとき、駒塚さんが声を上げた。
「嘘……そんな……」
その声は酷く動揺していて、全員の視線が駒塚さんに集まる。
「あ、あの、部屋を間違えていませんか? ここ、客室ですよ」
「いいえ、ここが大城先生の部屋で間違いありません」
「でも、だって……この部屋、《入れ子》になっているじゃあありませんか!」
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