第10話 解決編(2)

     7


 室内は異様なまでの静けさと緊張とで冷えきっており、つい壁にかかっていた温度計に目をやるも、室温はまったく変化していなかった。


「――つまり、こういうことです」


 綾城さんのよく通る声が響き、霧が一瞬にして晴れるような錯覚と共に、解決編が始まった。


「聞くところによると、大城先生は自室にて仕事をおこなうようですが、しかし他人に仕事を中断されるのを許せないという性癖があったらしいですね。故にこの館において大城先生の自室を訪問する者はなく、部屋の中を見たことのある人間は存在しなかった――ただひとり、この館の使用人である駒塚さんを除いては」


 駒塚にとろは使用人だ。この館での雑事は彼女の仕事である。もちろん、部屋の清掃もその範疇に含まれる。つまりその仕事柄、彼女は大城龍太郎の部屋の中を見ているに決まっているのだ。


 では、その事実はいったい何を意味するだろう?


 先程の駒塚さんの反応がすべてだ。


「駒塚さんはこの部屋を見ていたことで何を知っていたのでしょうか。逆に、いままでこの部屋の中を見たことのなかった我々は、何を知らないのか。それは、大城先生の部屋の真の構造です。ではその構造とは?

 ……結論から言うと、大城先生の部屋は他の客室と違い入れ子構造ではなかったのです」


 それが答えである。


 僕たちに宛がわれている客室は《手前の部屋》と《奥の部屋》とで分かれ、そのことを指して入れ子構造と謳われている。しかし実のところ、館の主人である大城龍太郎の自室はその限りではなかったのだ。大城龍太郎の部屋は他の客室よりも広くとられている。というか、大城龍太郎の部屋と全く同じ構造の部屋をちょうど二等分したのが僕らの客室なのである。


 だが、事件発生後に僕らの見た部屋は、実際には入れ子構造となっていた。

 だから大城龍太郎の部屋が入れ子構造ではないと知っている駒塚さんは、あのとき大城龍太郎の部屋を《客室》だと勘違いしたのだ。


 駒塚さんの認識と、実際の部屋の構造とが相違するこの不可思議な現象は、どのように起きたのか?

 それは――


「では現在、この部屋がどうして入れ子構造になっているのか。

 ――それは、犯人が大城先生を殺害した後、部屋の中央を後付けの壁で仕切ったためです。イメージとしては、パーテーションで部屋を仕切るのに近いでしょうか。そしてそれこそがこの密室を形成したトリックだったのです」


 つまり《手前の部屋》と《奥の部屋》とを隔てるこの壁は、龍太郎殺害の後、この部屋の中央に線を引くかたちで設置されたのだ。


 壁にはもちろんドアがついていて、その錠は最初から鍵がかかっていた。


 それが綾城さんの言うところの「完璧な密室」の正体だ。


 綾城さんの説明に一同がどよめく。

 そりゃそうだ。あまりにも大がかりで大胆なトリック。正直バカミスの部類に入る代物だろう。そんなものを現実で目の当たりにしたならば、その馬鹿馬鹿しさに呆れるか当惑するかでしか反応できっこない。


 これには綾城さんも苦笑する。


「これまで数々の事件に立ち会ってきたわたしも、さすがにここまで大がかりなトリックは見たことがありません。

 密室を形成するために錠に細工をするのではなく、あとから壁ごと鍵のかかったドアを設置して部屋を密室にする。そのやり方も大胆ですが、下準備として、わざわざすべての客室に入れ子構造を持ち込み、大城先生の部屋があとから入れ子になっても不自然に思われないようカモフラージュするその段取りまでがあまりにも途方もない道のりで、スケールが大きすぎます。

 ところでこのトリックを成立させるためには、この部屋の真の構造を誰にも知られないことが前提条件となります。そうでないと事件発生前後の部屋の構造の違いを見破られ、トリックがあっさりと露見してしまいますからね。もしかしたら犯人は、この事件のなかで駒塚さんにも手をかけるつもりがあったのかもしれません」


 駒塚さんの顔が青ざめた。

 綾城さんの指摘はまったくその通りである。


「しかし昨夜は間が悪いことに、そこの七原くんが駒塚さんにうざ絡みをしていましてね。一応、わたしがその場を取りなして七原くんを帰しましたが――その後少しばかり話が盛り上がりまして、駒塚さんと一緒の時間を過ごしました。そのため、犯人は結果的に駒塚さんに手を出せなかったのでしょう。

 普通ならその時点で犯行は見送りにすべきですが、うかうかしていたら駒塚さん以外に大城先生の部屋の中を目撃する人物が現れるかもしれません。大城先生の部屋を訪問する者は基本的にいませんが、どのようなイレギュラーがあるかは分からない。だから犯人は、決行をできるだけ早める必要があった。まあ、そうして犯行を強行したことで、結局このように大事な証人を生かしてしまい、トリックが露呈する結果となってしまいましたが……」


 綾城さんは皮肉気に肩を竦めた。


「さて。ここまで来たらもう犯人の名前は指摘したようなものですね。大城先生を殺害し、このトリックによって密室を形成できる人物はひとりしかいません。それは――」


 例によって名探偵的な《溜め》が発動。

 僕らは綾城さんのとっておきに焦らされる。


 ……あの、早く犯人を指してくれません?


 そう思っていると、綾城さんの腕がまっすぐに伸び、その人差し指がある人物に向けられた。


「――この《入れ子の館》の建設に関わった大城次郎さん、あなたです!」


 わーーー! かっこいいーーーー!


 やっぱ犯人指名はこうでなくっちゃな!


 それにしても綾城さんがポンコツ化したときはどうしたもんかと思ったし、結局のところ僕の《調整》によって事件を解決したようなものだが、それでも名探偵による犯人指名シーンはどちゃくそかっこよくて、テンションがめちゃくちゃぶちあがる。


 これこそが僕の大好きな名探偵・綾城彩花だ。


 潔いことに、ここで大城次郎は反論などをしなかった。

 ここまで犯行方法が露見したならば、あとはどう言い逃れをしようと無駄だと悟ったのだろう。施工に関わった人物に裏を取れば、部屋の《真の構造》など諸々の事実は確認できる。そうなればこんな密室なんて一瞬で瓦解する。


 そんな次郎さんの無反応に、甥である龍二は愕然としたようだった。瞳が揺れ、「嘘だろ……」と呆然と呟く。きっと本人によって否定されることを望んでいたのに違いない。彼は叔父である次郎さんを尊敬していたようだから。


 綾城さんの活躍に浮かれていた僕は、その反応に襟を正される思いだった。


 人が死んでいるのだ。手を下した人間が身内にいるのだ。

 目を輝かせている場合じゃないのだ。


 ここからは告白パートだ。


「この館は、最初から大城先生を殺害する目的で設計したのですね?」


 綾城さんの質問に、大城次郎は素直に答える。


「ああ、そうだよ。以前から父は自分の部屋に誰も近づけなかったからね。それで、僕はこのトリックを思いついたんだ」


「どうしてこんなにも大がかりな仕掛けを作ってまで大城先生を殺害しなければならなかったのですか? 何があなたをそうさせたんですか?」


 綾城さんがその動機を追及する。

 大城次郎は何かを回顧する素振りを見せて、自虐的な笑みを浮かべた。ものすごく魅力的な笑みだった。《あの動機》を裏付けるには充分なほどの。


「なぜ父が自分の部屋に誰も近づけなかったと思う? 仕事の邪魔をされたくなかったから? それは違う。僕は父に性的関係を強要されていたんだ。父の部屋の中で」


 大城次郎の告白に、綾城さんは二の句が継げないようだった。綾城さんだけでなく、誰もがそう。


 原作小説において、駒塚さんの死体に強姦された形跡があったというのは、この動機に起因している。つまり大城次郎は父と性的関係にあったので、精液の採取が容易だった。それを駒塚さんの死体の偽装に使ったのである。


 以上の状況から、原作での綾城さんは大城次郎が父・大城龍太郎を殺害した動機まで推理するのだが、今回はデータがなくそこまでは至らなかった。


「父の部屋はね、呪われているんだよ。そこにどんな秘密があろうと誰も気づかないし、知ろうともしない。だから僕は、僕の人生に纒わりつくすべての忌みをあの部屋に封印することにしたんだ。父と一緒に」


 と、『マトリョーシカの最奥』におけるすべてのイベントを回収した絶妙なタイミングで警察が到着した。


 大城次郎は素直にお縄につき、事件は幕を下ろした。


 ◇◆◇◆


 七月十一日。


 僕らは苦い気持ちで『綾城彩花探偵事務所』に帰宅した。


 館を去る前、綾城さんは叔父と最悪のかたちで別れることになってしまった龍二に思うところがあったのか、とても親身にしていた。


 警察の事情聴取など、しち面倒な手続きで疲れきった身体だったが、最後に運転という大仕事が残っていた。珍しい綾城さんの絶望顔を拝むことができ、得体のしれない恍惚感が全身を駆け抜ける。な、なんだこの気持ちは……。僕はこんなの知らないぞ……。


 僕は先日同様に慎重な運転でなんとか無事に綾城さんを事務所まで送り届けることが出来た。


 駐車場に車を停めると、綾城さんもほっとしたようだった。


 すべてのエピソードでリスポーン地点となるこの事務所は、忌々しい彼岸の地から唯一帰る先、現世うつしよの象徴であるように感じられ、安堵する。僕は応接用のソファーにどっと倒れ込んで、深いため息をついた。


「とんだ一泊二日旅行になったな」


 ソファーに倒れ込みこそしないが僕と全く同じ心中であろう綾城さんは、僕のはしたない行為を咎めることなく言った。

 まったくだ、と僕は思った。


 こんなことがあと六巻分も起きるのだと考えるとあまりにも憂鬱なので、僕は思考を断ち切り、今日のところはさっさと家に帰って自宅でゆっくり休むことにした。


 自宅までは徒歩で十五分ほどの距離だし、後部座席に責任を負わなければならない命もない。僕は安心して車を運転する。


 そしてマンションまでもう少しというところでハンドル操作を誤り、歩道に乗り上げ幹の太い大きな街路樹に車を突っ込んだ。



「あ……、が、が……ぃ………………」

 幸いにも僕に大きな怪我はなかったが、ボロ車の方はお釈迦。廃車確定だ。


 ああ、車検が終わったばっかりだったのに!


 もういちど気絶したかった。

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