act 35 二人

 花火が上がった頃。

 木ノ下と会った。

 この前。

 木ノ下を犯人扱いしたり。

 怒鳴ったりしたから。

 謝らないといけない、と思ったけど。

 けど。

 気まずくて。

 後ろめたくて。

 気付いていないフリをしたけど。

 けど。

「牛島じゃん」

 木ノ下はいつもどおりだった。

 クラスメイトの女子二人と一緒に。

 笑顔で手を振ってきた。

「おっす」

「おっす」

 オウム返し。

 木ノ下はニヤリとした。

 隣の女子二人は綿飴の屋台へ向かった。

「向こうに福井いたよ」

「聖人?」

 指差したのは、かき氷の屋台の方だった。

「会ってくれば?」

「何で?」

「謝ってきなよ」

「何を?」

「あのこと」

 あのこと。

 何を言っているか、おれにはわかった。

 聖人の知られたくないこと。

「彼女がやったんでしょ?」

「真波とは」

「別れたんでしょ?」

 待っていた、とばかりに。

 木ノ下は実に嬉しそうに笑った。

「だったらチャンスじゃん」

「何が?」

「付き合っちゃえよ」

「は?」

「福井と」

「何言ってんの?」

 おれはギリギリで怒りを鎮めて。

「ふざけんなよ」

 低い声で言い放った。

 けど。

 木ノ下は目を細めて笑った。

「えー」

 そして。

「仲超いいじゃん」

「そういう問題じゃねえし」

「じゃあ」

 不意に。

 木ノ下は真顔になった。

「どういう問題なの?」

「え?」

「真波とは別れたのに」

 その言葉が痛くて。

「福井とは、なあなあなの?」

 耳を塞ぎたくなった。

 けど。

「何が違うの?」

 おれは身体が動かなくて。

「付き合えないならそう言えよ」

 木ノ下の声は喧騒の中でも耳を貫いて。

「好きじゃないならそう言えよ」

 おれの心に突き刺さった。

「そういう問題じゃねえんだよ」

 何とか絞り出した言葉は。

 自分でも情けないと思うくらい。

 説得力がなくて。

 だから。

「友達だから、って?」

「え?」

 木ノ下は。

 止まらなかった。

 おれを殺す気だった。

「なら、そう言えよ」

 女子二人が綿飴と共に戻ってきて。

 木ノ下は口元に笑みを浮かべた。

「どうせ言ってないんでしょ?」

「何の話?」

 女子の一人が口を挟んだ。

「別にー。こっちのこと」

「えー、何それ? もしかして、できてんの?」

「ないない。だって牛島だよ?」

「きゃはは、だってよ牛島。言われてんぞ?」

 木ノ下は二人と共に手を振った。

 けど。

 木ノ下の目は。

 笑ってなかった。

 おれは舌打ちを零した。

 これは。

 誰に対するものなんだろう。


 携帯電話が震えた。

 メールが届いた。

 波瀬からだった。

 去年の四月。

 同じクラスになって以来。

 初めて届いたメールだった。

 花火大会、聖人、今一人。

 それだけだった。

 それだけで十分だった。

 どうして。

 思うところはあった。

 けど。

 おれは返信の時間すら惜しんで。

 聖人を探し回った。


 かき氷の屋台周辺に聖人はいなかった。

 河川の近くを探し回った。

 たぶん。

 聖人は物静かな場所を選ぶから。

 人気のない場所へ向かった。

 去年一緒にいた場所。

 木に囲まれた花火を見るには最悪の場所。

 そこに。

 聖人はいた。

 膝に顔を埋めていた。

 怖くなって。

 足が震えて。

 けど。

 おれは。

「聖人」

 逃げ道を自ら封じた。

 聖人は振り返った。

「紋太」

 目が潤んでいるように見えた。

 だから。

 おれは震えがなくなって。

 心が決まって。

 聖人の左隣に胡座をかいた。

 聖人は花火を見上げた。

 釣られておれも顔を上げた。

 木に阻まれてあまり見えなかった。

 おれは聖人の横顔を眺めた。

 端正な顔立ちだった。

 聖人はずっと花火を見上げていた。

 無言の時間が続いた。

 おれは。

 黒縁眼鏡のつるに手を掛けた。

「何?」

 驚いた様子もなく。

 聖人はこちらを見た。

 おれは眼鏡を取り上げて。

 聖人の顔をよく観察した。

 昔は。

 眼鏡をかけていなかった頃は。

 よく笑っていた。

 聖人の笑顔が好きだった。

「おれ、見える?」

「あんまり」

「近いのわかる?」

「何となく」

「おれのこと、好き?」

 聖人は黙り込んで。

 唇を震わせて。

 けど。

「好き」

「そう」

 改めて言われて。

 正面から言われて。

 けど。

 不思議と焦りはなかった。

 よくよく考えたら。

 言葉にされるのは初めてだった。

「おれも好きだよ」

「え?」

「だけど、付き合えない」

「そう」

「ごめん」

「何で?」

「え?」

「何で謝るの?」

「それは」

 聖人を気遣ったからではなくて。

 聖人に同情したからでもなくて。

「返事が遅れたから」

 ずっと。

 聖人から逃げていたから。

 おれは。

 それが耐えられなかった。

「そう」

 聖人は表情一つ変えなかった。

「ごめん」

「何で?」

「紋太、嫌だったでしょ?」

「何が?」

「俺のこと」

 嫌なんて思ったことはなかった。

 けど。

「正直」

 昔のことを思い出した。

 楽しかった日々を思い出した。

「友達だから一緒にいてくれてると思ってた」

 それが全部。

 下心が根底にあるように思えて。

 そう思ってしまって。

「だから、聖人のこと知った時」

 友情とか絆とか。

 衝動的なものじゃなくて。

 信頼関係によって成り立っているものが。

 崩れていく音がして。

「ショックだった」

 聖人は言い訳をしなかった。

「ごめん」

「だけど」

「いいよ」

 穏やかな表情を浮かべた。

 けど。

「俺も」

 聖人はどこか苦しそうな顔をしていた。

「友達だから、一緒にいたいと思ってた」

 その理由がわからなくて。

 でも。

 わかりたい、と思って。

「けど、違った」

 おれは聖人の言葉を待った。

 本当の気持ちを求めた。

「友達だったから、言えなかった」

 聖人も苦しんでいた。

 当たり前のことだった。

 おれは本当の意味で。

 聖人の気持ちを理解することはできないんだろうけど。

 けど。

 でも。

 だからこそ。

「ごめん」

 その言葉は耐えられなかった。

 花火の音が静寂を掻き消してくれたけど。

 おれはもう。

 言い訳したくなかった。

「今度さ」

 本当の気持ちを教えてくれた聖人に。

 本当の気持ちを教えたかった。

「勉強教えて」

 気持ちの整理がつくように。

 気持ちの整理をつけられるように。

「志望校決まったから」

 聖人と一緒に。

 もう一度笑えるように。

 また。

 一緒に花火を見られるように。

「聖人とは違うけど」

 聖人には。

 いつまでも笑っていてもらいたいから。

 だから。

「頑張る」

「そう」

 おれから眼鏡を取り返して。

 そっと眼鏡をかけ直して。

「いいよ」

 聖人は照れ臭そうに笑った。

 おれは。

 聖人と同じ顔をした。

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