【結】目が醒める
act.36 青天
課外授業が終わって。
みんなが早々に帰宅する中。
俺は図書室で勉強していた。
六人がけのテーブルに。
座っているのは俺と紋太だけだった。
左隣に紋太がいて。
他の利用者はいなかった。
受付の図書委員は読書に夢中だった。
「聖人」
紋太は問題集をペンで指し示した。
「これ、どうやるの?」
積分の問題だった。
左辺を変数に置き換える解法だった。
俺は紋太のノートに考え方だけを書いて。
へえ、と頷く紋太の横顔を眺めた。
幼さが残った顔。
けど。
去年よりも大人びていた。
「サンキュ」
紋太はペンを走らせた。
俺は自分の問題に戻った。
静謐な空間だったけど。
けど。
この沈黙は痛くなかった。
夏休み明け。
新学期。
放課後や休日。
周りに誰もいない時。
紋太と一緒にいる時間が戻ってきた。
けど。
それ以外の時間。
俺は紋太を遠ざけた。
何となく。
まだ噂が残っているような気がした。
花火大会の時。
木ノ下と一緒にいた女子は笑っていたけど。
けど。
他のクラスメイトからの視線が気になった。
紋太は酒井と別れたらしくて。
原因が俺関連のことだったらしくて。
女子から白い目で見られるようになったから。
だから。
俺は誰とも喋らないように心がけた。
年が明けて。
いよいよセンター試験が近付いてきて。
みんなピリピリしていた。
俺は特にいつもと変わらず。
過去問と相対していた。
自由登校に入った。
推薦入学する人や。
AO入学する人や。
私立入学する人は。
既に遊び始めていた。
登校してくる人は国立狙いだった。
クラスの三分の一が空席だった。
俺は三分のニの一人だった。
紋太もそうだった。
けど。
俺は近場の国立狙いで。
紋太は隣県の国立狙いだった。
俺は私立を受けなくて。
紋太は滑り止めを受けていたから。
どうやっても。
一緒にはいられなかった。
物理室は理系の三年生でいっぱいだった。
みんな黒板に書かれる解法をノートに書き写して。
物理教師の言葉に耳を傾けて。
血眼になっていた。
けど。
それは今までに何度も授業中に聞いたことだった。
復習だった。
基本だった。
だから。
練習問題に入った時。
俺は物理室を後にした。
「聖人」
図書室で物理の問題を解いていると。
紋太がやって来た。
「何で抜け出したの?」
「あの問題、何回もやったから」
「そう」
紋太は鞄をテーブル上に置いて。
俺の左隣に座った。
紋太の定位置だった。
「紋太は?」
「ん?」
「抜け出していいの?」
「聖人に訊いたほうがわかるし」
「俺頼み?」
「そう」
「そう、って」
俺は眼鏡をくいっと持ち上げて。
紋太と目を合わせた。
「それに」
紋太は鞄から教材を取り出した。
「いや」
紋太は鞄から筆記用具を取り出した。
「何でもねえ」
「何それ」
俺はノートに向き直った。
紋太の視線をこめかみに感じた。
けど。
それ以上雑談はしなかった。
その日。
紋太が質問することはなかった。
それどころか。
今年に入って。
紋太が俺に質問することはほとんどなかった。
たぶん。
夏頃から。
紋太は俺よりもたくさん勉強していた。
二次試験が終わると。
すぐに卒業式になった。
体育館で。
クラスの代表が卒業証書を受け取った。
俺のクラスは木ノ下が代表だった。
木ノ下は学級委員だった。
けど。
あんまり学級委員の仕事をしていなかったと思う。
雑務を引き受けていたのは男のほうだった。
そんな記憶と共に。
仰げば尊しを斉唱した。
校歌を斉唱した。
吹奏楽部の演奏を聴いた。
特にこれといった感動はなく。
在学生から送り出され。
教室で担任教師から人生観を説かれ。
昇降口から外に出ると。
再び在学生から送り出され。
弓道部員から送り出され。
俺は。
校舎を仰ぎ見た。
見慣れた場所が遠く見えた。
見慣れた場所が尊く見えた。
もう。
二度とこの場所には戻ってこないんだろう。
そう思うと。
不思議と目頭が熱くなった。
涙は出なかった。
けど。
泣いている同級生の気持ちはわかった。
「聖人」
卒業証書が入った円筒を片手に。
紋太が手を振ってきた。
周りには人がたくさんいた。
俺は。
最後だからと。
紋太の傍に歩み寄った。
「卒業おめでとう」
「聖人もでしょ」
「うん」
「おめでとう」
「うん」
「合格発表いつ?」
「来週の金曜」
「あ、同じ」
紋太は携帯電話を取り出した。
「じゃあ、結果出たら電話する」
「うん」
「落ちてたらしねえかも」
紋太は笑った。
だから。
「その時は」
俺も笑った。
「俺が電話する」
そうして。
俺たちは最後の制服姿を目に焼き付けた。
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