第7話
目の前に生き人形がある。
いつもの彼女ではない。もちろん妹でもない。
それはついさっきまで僕が親友と呼べていたものだった。
転がるティーカップがテーブルから落ちて僕の罪過をこの身に切り刻んだ。
僕のせいじゃない。
震える歯にそんな言い訳が引っかかる。だが僕にそれは意味がない。僕はそれが全て僕のせいだということを知っている。全ては僕の矮小で醜悪なこの魂の罪なのだ。
原罪にさえ並び立つほどのおぞましき所業だ。
僕はまた過ちを犯した。
彼女なら理解してくれると思ったのだ。
僕が手にしてしまった恐るべき力を打ち明けて、僕がしでかしてしまったおぞましい所業を聞いても、彼女ならきっと僕を諭し説教をくれると思ったのだ。そんな甘い妄想が僕の口を滑らせた。
彼女は僕をさげすんだ。あほとか、タコとか、彼女の語彙力の限りで僕を罵倒した。僕が彼女の目に涙を見るのはこれが初めてのことだった。鬼畜外道の僕に見せてはいけない美しい涙だった。彼女の信頼の全てを、彼女の親愛の全てを僕は裏切ったのだ。
そして彼女は僕からスマホを奪い取ろうとしてきた。
それが僕にはあまりにも恐ろしかった。
始めはこんな力失ってしまいたいと願っていたのに、実際に手から離れようとするのを僕は恐れた。僕にはこれしか手段がなかったのだ。天上に住まう彼女と一方的にでも繋がる手段が、これしか。
気が付けば僕は彼女を人形に堕としていた。
物言わぬ彼女の手が重力に引かれて机に落下し、ティーカップを倒した音で正気に戻った。
それをもう僕は親友と呼ぶことができなかった。
親友というのはふたりを繋ぐ関係性のことでもあり、実際の呼称でもあった。親友というものは僕にとっては唯一無二で、それは彼女を示す固有名詞だったからだ。そう呼ぶことで、彼女との関係性を少しだけ特別とそう思うことができた。この催眠アプリを手にする前でさえ下らない人間であった僕にも特別があるのだと、そう誇ることができた。
だがもうそれもお終いだ。僕は彼女を失ったのだ。
その上僕は罪を重ねようとしている。僕が催眠アプリなどという代物を手にしているという記憶を、僕は彼女から奪い取ろうとしていた。彼女に罵倒されたくない、嫌われたくない、そんなひどく自己中心的な欲求が、彼女の記憶を弄ぶのだ。
彼女の瞳が光を持った。
ぱちくりと瞬いた彼女はカップが落ちて割れていることに驚愕し、慌てて僕に命じて掃除させた。その間混乱し続けている様子だったが、催眠により本当に記憶は失われているようだった。おぞましい力だった。
僕は彼女の名を呼んだ。姓で呼ぶような仲まで遠ざかりたくないという薄汚い欲望故にだ。
そのとたん潜在意識に刻まれた怒りからか真っ赤になって言葉を失う彼女に、僕は目を伏せ祈った。
せめてこの胸中で、親友とそう呼び続けることは許してくれ。
そうでなければ僕は、本当に君を失ってしまったら僕は、これからどうやって生きればいいのだ。
そんな祈りが彼女の耳に届かないことをいいことに、僕は許可もないままにそれを実施するのだろう。
ああ、こんなアプリなどなくとも、僕は最低の邪悪なのだ。
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