第95話 誓いの日

 ゲームが終わり、桂木・武藤・鳴海の3名にはそれぞれ100枚のチップが支払われた。

 このゲームの勝利によって3人は、念願だった魔界脱出の条件を満たした。


「手続きを行います、桂木様。どうぞこちらへ」


 ショートヘアの女が桂木の控室に現れた。

 桂木をここに連れてきたときと同じ案内役、タテハだった。


 廊下に降りていた鉄格子が上がり、見覚えのあるホールへと通された。零ゲームの行われた会場だった。


「チップの確認を行います。所有されているチップの全てを、こちらへ」


 言われて、桂木はチップをテーブルに置いた。タテハは素早く数えると「確かに100枚を超えております」そう言って、チップをケースにまとめた。


「それではチップをお返しします。お疲れ様でした」


「質問だ。タテハ」


「何でしょう」タテハが返す。


「チップの辞退は可能か? 俺は100年を超える寿命など必要ない」


「チップ100枚という条件が満たされた後に、返却を希望することは可能です。

 ですが良いのですか? 人間界に戻ってからでは二度と得られるものではありませんよ」


「構わない。

 ……ただ自分の残りの寿命を知って生きるのは気持ちが悪いな」

 

「では元の55枚以上、100枚以下の数でこちらが調整させていただくというのでどうでしょう」


「それで頼む」

 

 かしこまりました。そう言ってタテハは桂木に見えないように数枚のチップを抜くと、ケースの蓋を閉じた。


 ——やけに手際がいいな。

 他にもそういう提案をした人間がいたのか? 提案されたらチップを何枚残すかも決めていた? 


 タテハの手つきをみてそんな想像のよぎった桂木だが、まあ、単に寿命の過多に関心がないだけだろうと自分の中で結論づけた。


「もう一つ聞きたい」


「何でしょう」


「このゲームが始まった背景について。

 ゲームが終わって俺が生き延びることができたなら、全てを話す。そういう約束だったな」


「このゲームは」


 タテハが答えるのに、間はなかった。

 聞かれる準備も、話す準備もできていたようだった。


「孤独な少女を慰めるために、従者が企てた暇つぶしの戯れなのです」


 タテハは端的な言葉で真実を語った。


 アリスがずっと孤独であったこと。

 ミューがそれを憐み、ゲームを始めたこと。

 クラリッサが全てのゲームを考案したこと。

 サクラミやミシロら、複数の悪魔が人間を拉致したこと。

 タテハを含む悪魔たちが、案内役などそれぞれの協力をしたこと。

 

 自分の知る限りの情報を、すべて偽ることなく、隠すこともなく話した。


 語りが終わったときには、30分ほどの時間が経過をしていた。

 タテハの話が終わったとき、桂木は「それで、このゲームは今後どうなる」そう尋ねた。


「それは私にはわかりません」


 それもまた、タテハは正直に答えた。


「続くかもしれないし、続かないかもしれない。

 全ては主催者であるミューの……いえ、お嬢様の一存となるでしょう」


 タテハの言葉に「そうか」とだけ返すと、桂木は席を立った。

 「どちらへ」タテハが訊くと「さっきの会場へ戻る」桂木は答えた。


「アリスも此処条も、まだそこにいるか」


「おそらくは」


「じゃあ、頼む」


「——ご案内いたします」


 タテハは応じた。廊下を塞ぐ鉄格子が再び上がった。




 ステンドグラスから差し込む光を浴びて、少女は立っていた。顔を上げ、硝子の向こうに広がる空を見ていた。


 ホールの扉が、キィと音を立てた。少女と、傍に控える従者は同時に音の鳴った方に視線を向けた。


「……。カツラギチトセ」


 現れた人間の名前を、アリスが口にした。


「桂木様……何か御用ですか?」


「ああ。お前たち2人に会いに来た」


 含むような言い方に、ミューはアリスの顔を窺った。アリスが小さく頷いたのを見て、「聞くのです」とミューは短く応じた。


「ゲームが始まった経緯を聞いたよ。

 アリスにミュー。お前たちの境遇も」


 その言葉に、ミューは不快な表情を見せた。おそらくは桂木に対してではない。アリスの事情を話した何者かに対しての感情だろう。背景を知った桂木にはそれがわかった。


「同情をしに来たのです?」


 吐き捨てる様な言い方のミューに「まさか」と桂木は返した。


「同情なんかする気はない。

 そしてゲームが終わって、無事に帰れることが決まった今、お前たちに恨み言を言うつもりもない」


「だったら、何なのです?」


「くだらないゲームを終わりにしろ。それだけ言いにきた」


 桂木は口にした。

 タテハの話を聞いて抱いた、純粋な感想をそのまま伝えた。


「ミュー。お前の仕える、アリスの望みはなんだ」


「それは……」


 渋る様な仕草を、ミューは見せた。しかしアリスが視線で許したのを見ると、返答に応じた。


「外の世界へ触れる事。外の世界のものに触れる事」


「わかっているんじゃないか。

 じゃあやっぱり、お前は間違えてるよ。戦う相手を」


 桂木はタテハの話を反芻しながら続けた。


「アリスが外の世界に興味を持ったことは聞いた。そしてそれを禁じられていることも聞いた。


 だからお前が人間をここにつれてきて、戦っていたことを聞いた。

 それが間違ってんだ」


「だから何が言いたのです!?」


「外に出たい。


 そのシンプルな望みをかなえるための戦いに、どうしてお前たちは挑まなかった」


 核心を突く言葉を、桂木はついに口にした。


「お前たちが本当に望む事を叶えたいなら、やるべきことはこんなゲームを開くことなんかじゃない。本当に戦いを挑まなきゃならなかったのは、アリスをここに閉じ込めている相手に、境遇に対してだろうが」


 その言葉に、揺らぐ瞳があった。

 アリスの青い瞳だった。


 それはアリスが心のどこかでわかっていたことで。

 そして胸の奥に、ずっと一人でしまいこんでいたことだった。


「アリスを閉じ込める“王”とやらがどれだけ力を持っているかなんて知らないし、知る気もない。


 けどアリス。お前がもし望むなら、それでも付いてきてくれる味方は、ずっとそばにいたんじゃないのか」


 桂木の言葉に、ミューはアリスを見た。アリスは表情こそなかったが、桂木の言葉に、何かをこらえているようだった。


「『外に連れて行って』そう口にしたら、境遇は変わっていたんじゃないのか」


「——そんなの、言えなかった」


 アリスはうつむいたまま、呟くように声を漏らした。


「言えるわけなかった」


「何故」


「だって、ミューを困らせる」


「それで?」


「そしたら、ミューが離れてしまう。……また、私はひとりになる」


「……! そんなことはないのです!」


 空を裂くような叫びが、ホールにこだました。


「私は、ミューはアリスお嬢様の従者。

 主が望むのなら、どんな困難を前にしたって退くことはないのですっ!」


 その言葉は、ミューは今までずっと口にしてきたこととなんら変わるものではなかった。


 王に挑む。その決意が、アリスにとってどれほどのものか、同じ悪魔であるミューにわからなかったはずはない。


 それでも、ミューはミューのままだった。アリスの従者であった。

 

「聞いたか。アリス。

 あとはお前が、勇気を出すだけだ」


 そして、2人に背を向けた。


「もしも……こんなゲームを終わらせて、お前が新しい戦いを初めて、もしもいつかその望みがかなう日が来たなら。

 ……。

 

 その時は、外の世界でまた会おう。俺が遊んでやる」


 桂木の言い方は、ただの子供に対するそれと同じだった。あくまで彼なりに、だが。


 表情を見せず言葉だけを残し、桂木はホールを去った。


 その背中を見送る。扉が閉まる。


 アリスとミューの、2人きりになる。


「ミュー。聞いてほしいことが、あるの」


「何なりと」


 用意されていたかの返事に、アリスもまた心に決めた言葉を口にした。


鳥籠ケージを破って、外の世界へ行きたい。


 一緒に来てほしいの。

 ずっと私の傍にいてくれた、ほかならぬあなたに」


「心得ましたのです。アリスお嬢様」


 新しい誓いが、そこに交わされた。


 アリスとミュー。彼女らが同じ場所を見て踏み出した、最初の一歩だった。

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