第93話 桂木千歳の刃
ざわめきは起きなかった。静寂の中、プレーヤーたちはそれぞれの感情を抱き、固唾を呑み、モニターの表示を見つめていた。
生者:1 死者:3 悪魔:2
予想しえない現状。不可解。ミューの心中は、えも言えぬ心地悪さに満たされた。
どうなっている? 何が起きたのです?
特に意識したわけではない。が、ミューの視線は反射的に桂木へと向けられていた。桂木は反応を見せることもなくモニターを見つめていた。
こうなることを事前に了解していたかのように。
桂木が何かをした。それだけは確信することができた。
でも。
何をした? それが、ミューにはわからなかった。想像もできなかった。その狙いも。
(プレーヤーは5名。発表されたステータスの合計は、6。
誰かが2枚のカードを投じた、ということ? でも何のために……?
だって2枚のカードが投じられたら失格。そんなことをするメリットなんて)
ぐる、ぐる、ぐる。思考が高熱を帯びて、ミューの脳内を巡った。けれど解には至らない。
誰かがカードを2枚投じた。そしてそれを桂木は知っていた。
わかるのはそれだけだ。……ともかく。
ディーラーの発表を待とう。失格者がいるのなら、ピリオドの最初に発表されるはずだ。考えても仕方がない。ミューは目を閉じ、軽く息を吸った。切り替えの仕草だった。
直後、対戦ルームの扉が開いた。
現れたのはクラリッサ。ルール説明の時以来、対戦ルームの外に姿を見せたのはこれが初めてだった。
「皆様に重要な発表があります。第4ピリオドの投票において、反則が認められました」
野暮ったい前置きをすることなく、クラリッサはミューの求めている答えを口にした。
しかしその内容は、ミューにとって、耳を疑うものだった。
「反則の内容は、カードの重複投票。
これにより、プレーヤー“アリス”様は失格となりましたことを、皆様にお伝え致します」
「どういうことなのです? クラリッサ」
言葉の続きを待つことも、思考の整理をすることもなく、ミューは静かに食って掛かった。
「お嬢様が失格だなんて、間違いにしても笑えないのです。冗談のつもりなら尚更。返答次第では」
「
あなたも失格にしますよ?」
断ち切るようにクラリッサは言った。
「ディーラーに対する口の利き方に気を付けましょぉね?」
鬼をも殺す剣幕の前にも、クラリッサは緩やかに笑った。
「特別な説明はありません。言葉の通り、1ピリオドのうちにアリス様のカードが複数、投票された事実が認められました。
ルールに則り、アリス様は失格。残りのゲームはアリス様を除く4名で行われます」
「投票結果は?」
「現行のステータス配分から、アリス様のステータスを除いた結果を再表示致します」
鳴海の問いに、クラリッサが簡潔に答えた。
「投票のやり直しはありません。それでは、ゲームを再開いたしましょぉ」
再開を宣言すると、役目を終えたとばかりにクラリッサは対戦ルームへと引き換えした。モニターに表示された数字が変わったのはそれからだった。
生者:1
死者:2
悪魔:1
死者と悪魔のステータスが一つずつ数字を減らしていた。これにより、アリスの投票カードは“悪魔”と、そして桂木の予言した“死者”のカードであることがわかった。
わかったが、それでミューが納得できるはずなどない。
「お嬢様、私めにお教えください! いったいこれは……!」
取り乱す従者をアリスは見上げた。その瞳は、わずかに泳いでいた。
「私にも、わからない」
「え?」
「私は悪魔のカードしか投票していない」
そんな、じゃあ……でも本部の判定が……。
まとまらない言葉を、うわごとのようにクラリッサは連ねた。
「どうして……なぜ……っ!」
「わからないなら、桂木クンの策が見えてなかったってことじゃないの?」
混乱するミューに、ようやく声をかける者がいた。武藤だった。
その言葉に俯いていたミューは顔を上げた。しかし視線の先は、ただひとり。桂木千歳だけを彼女は見据えた。
「何をしたのです?」
「見ての通り。そして、さっきのピリオドで言っての通りだ。
『次のピリオドで投票されるアリスのカードは“
桂木は自身の予言を繰り返すと、最後の最後、彼が仕込んだカラクリをミューに明かした。
「アリスは確かに“悪魔”のカードを投票した。その後に、アリスの“死者”のカードを投票した。
俺がね」
その種明かしは、ミューを更に混乱の深みへ叩き落とすものだった。
「お嬢様のカードをあなたが投票……他人のカードの投票……?
できるはずない。そんなこと。
カードは奪えば失格。そもそも、私が見ているのにそんなことさせるはずは……!」
「そうだな。此処条。お前は正体を明かして以来、アリスからも俺からも目を切らなかった。
大したものだったよ。よく緊張を途切れさせなかった。
でもな。俺が仕掛けたのはその前。お前が正体を明かす遥か前だ。
俺はお前とアリスが通じていることも、瓶を使った連絡の手段も……実は随分前からわかってた」
「前……?」
「第2ピリオドの途中。最後の罠も、その時点で仕掛けた」
第2ピリオド。桂木が自身の必勝法を破られ、スコアを落とし、何もかもが後手に回ったピリオド。
ミューにはそう思えたピリオドを桂木は挙げた。
「此処条。お前がアリスと“戯れ”を行った直後だ。
戯れのあと、アリスは俺のところへと戻ってきた。その時点ではまだ同盟が続いていた。
その時に俺は、同盟の証として、アリスにカードの提示を求めた。
裏切っていないことを証明しろ。そう言って。
そのときだよ。
俺がアリスのカードを奪ったのは」
「な……」桂木の言葉に、ミューは短い声を漏らした。
「カードの強奪は、プレーヤーからの申請によって確認される。つまり気がつかれなければ、反則にはならない。
カードの絵柄はどれも同じだ。その共通点を利用して、俺は自分の“死者”とアリスの“死者”をすり替えた。
そして第3ピリオド」
ミューに何かを言わせる時間も、精神的な余裕も与えないまま、桂木は続けた。
「カードのすり替えが機能するのかを検証した。武藤と鳴海に協力をしてもらって、ね。
武藤と鳴海はこのピリオドに限って、お互いのカードを交換して投票した。そしたら問題なく投票はできたし、ステータスにもきちんと反映されていた。
おそらくはカードにチップか何かが仕込まれているのか……あるいはこの裏の模様。一見、ただの幾何学模様に見えるコレが、QRコードみたいにカードの所有者を判別できるようになっているんだろう。
投票ルームの隅にカメラはあったが、あれで誰が何を投票したのか判定している可能性は低かった。あれじゃあ、背格好が似たプレーヤーがいた場合に混乱を招く恐れがあるからな。
すり替えの完了。他人のカードを投票できるかどうかの確認。
これで“アリスのカードを重複投票させ、失格に追い込む”手筈は整った。
あとは、アリスが“悪魔”か“生者”のカードを投票するよう誘導するだけ」
その言葉で、ミューは遂に、桂木の意図の全てを理解した。
『次のピリオドで投票されるアリスのカードは“
あの予言は、攪乱のためなんかじゃない。
アリスを重複投票に追い込むための、仕掛けであったことに。
「相手の意図がわからないのに、その予言に従ってやるバカはいない。こう言えば間違いなく、お前はアリスに“生者”か“悪魔”を投票させることはわかっていた。
投票ルームのメモを仕込んだのは武藤だ。だがあれは偽物だとばれる前提で仕掛けた。
このゲームに残った奴で、アレが偽物だと見破れない奴はいない。それでも余裕を削るくらいには役立つだろう、ってな。
アリスが問題なく“悪魔”か“生者”を投票したら、あとは俺がアリスの“死者”を投票するだけ。
これで投票されたアリスのカードは2枚。反則は確定だ。
アリスにカードの提示を求めたことも。
瓶の伝言トリックに気がついていないふりをしたことも。
わざわざ予言をしたことも。
全ては、この瞬間の為の布石。
最後の最後で、アリスを刺す刃を隠すためだけの仕込みだったわけだ」
桂木の語りが終わった。
全ての謎を白日の下に晒した、種明かしが終わった。
そうしたことは、自信の過剰でも不遜でもなく。
もはや立ち上がることのできない相手に対する、最後まで自分を追いつめた敵に対する、事実上の勝利宣言だった。
でも。
「まだ、なのです」
ひざを折り、拳を地に突きつけながらも、ミューは言った。
「こんな形で、終わらせはしないのです」
歯を食いしばり、声を絞り出していた。
「お嬢様に屈辱を味あわせたままに。満足させて差し上げられないままに、終われるわけがないのです……っ」
「無理をするな。此処条未夢」
鳴海要の言葉だった。ほんの少しだけ角のとれた、慈しみの混じった声だった。
「現実的に、お前が独りで逆転をするのはほとんど不可能だ。
それ以前に、もうお前には単独で私たちと渡り合う余裕が残されてはいないだろう。
終始、自分とアリスの局面を読み続けた負担は決して軽いものではなかったはず。
4ピリオドでもよく保たせた方だ」
「侮らないで。誓ったのです。私は」
お嬢様が、離れようとした私をとめた日に。ご自分の心を、私に見せてくれた日に。
お嬢様のための時間を始めると。
アリスお嬢様の欲するものをすべて手に入れると。
「約束したのです」
ミューは顔を上げた。そして目の前の3人の人間を睨みつけた。
その姿は手負いの獣。しかし眼光からは、戦意も決意も、未だ失われてはいなかった。
「鳴海、武藤……下がってくれ。俺が相手をする」
カードを握る手に力が入ったのを見つけ、桂木は一歩、前へと出た。
ゆっくり、ミューが立ち上がり、桂木へと歩み寄ろうとする。
「すべてはお嬢様の為。私は……私はッ!」
「もう、いいの」
震える女の歩みが、そのとき止まった。
腰に回された、細い細い腕。
ミューの歩みを止めたのは、彼女が最後まで守ろうとした少女の抱擁だった。
「もう十分なの。ミュー」
「お……じょうさま」
声を振り絞るのが精いっぱい。振り返ることもできずに、ミューは返事をした。
「でも、私はお嬢様を……お嬢様に……」
アリスは頭をミューの背中に押し付けたまま、ふるふると横に振った。
「私のために、ありがとう。たくさんたくさん、頑張ってくれてありがとう。
私、嬉しかったよ。ミューがしてくれたこと全部。
一緒にカードで遊んだことも。
一緒に積み木で遊んだことも。
本を読んでくれたことも。
お話を聞いてくれたことも。
ヒトと、遊ばせてくれたことも。私、嬉しかった。
だからね。もう休も?
ミューが一緒にいてくれたから。私、寂しくなんてなかったよ」
体を伝って、言葉はミューの胸へと届いた。
アリスの言葉が終わったそのとき。ミューの顔はふっと綻んだかと思うと、次の瞬間にはくしゃくしゃになって、涙に濡れた。
そこにはもう、悪魔の如き冷徹さで桂木たちを追いつめた女はいなくて。
主を想い続けた、一途な従者の姿があるだけだった。
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