第89話 主従

 対戦ルームの扉が開く。ホールに姿を見せたのは、アリス一人だった。


「引き分け……桂木クンが勝ちきれなかった。嘘だろ……?

 何なんだ、キミらはよ」


 吐き捨てるように武藤が呟いた。そんな武藤に目もくれることなく、此処条はアリスのもとへ歩み寄った。「お帰りなさいませ。お嬢様」そう言って、アリスの手に口づけをした。


「お嬢様……?」


 プレーヤー同士としては異質と思えるやりとりに、鳴海は声を漏らした。

 驚愕を隠しきれない二人を一瞥すると、アリスは此処条に跪く姿勢を解くよう促した。


「答えてかまわないわ。ミュー」


「かしこまりました。お嬢様」


 アリスの言葉を受けて、ようやく此処条は武藤と鳴海の方へと向き直った。


「自己紹介をいたしましょう。

 私はミュー。アリスお嬢様の従者であり、このゲームの主催を務める者なのです」


 “此処条未夢”という借り物の名を捨て、ミューは初めて自分の名前を人間に明かした。


「お嬢様との戯れにご参加いただき、皆様には感謝をしているのですわ」


 上品な微笑とともに、武藤と鳴海にとっては衝撃的な言葉がミューの口から飛び出した。


「お嬢様との戯れって……まさか」


 武藤の脳裏に、自分をここに連れてきた悪魔の言葉がよぎる。そしてそれは、鳴海もまた同様だった。


 2人がこの世界に連れてこられたときに、悪魔が言い放った言葉。


『あなたには、暇つぶしにお付き合いいただきます』


「あの言葉はまさか……」


 2人の視線がゆっくりとアリスに向かう。「ご推察の通りなのです」ミューは勿体つけることなく、全てのプレーヤーが今までに抱いていた疑問の答えを口にした。


「全てはお嬢様の遊戯の為。

『禁じられた遊びゲーム』は、その為だけに私が始めたゲームなのですわ」




 

 


「始めたとは言っても、私が創ったのは形だけ」


 やっとのことで理解を追いつかせる武藤と鳴海を相手に、粛々とミューの語りは続いた。


「ゲームのルールや舞台設計は全て、ゲームに参加しない悪魔が考案したものなのです。

 故にあなたがたが不利になる様な不正は一切、してはおりません。それだけは、お嬢様の名誉の為にも断らせていただきますわ。


 つまり、勝敗は全て実力の結果。

 あなたがたの今までの勝利も。このゲームでの敗北も」


「嘘だね!」


 遮ったのは、武藤の叫びだった。


「不正はなかった? そんなこと信じられるか!


 現にアリスのステータスを誘導したはずの桂木クンが勝てなかった。

 キミたちの連絡手段は桂木クンが潰したはずだ。なのに」


「浅いのですよ。認識が」


 語気を荒げる武藤に反して、ミューの言葉は冷ややかだった。


「教えてさしあげるのです。私とお嬢様がどうやって意志を疎通させたか」


 そう言うと、ミューは2人を横切った。

 向かった先はバーカウンター。辿りつくと、ミューは一本の瓶を手にした。透明な瓶に、半分くらいまで赤い液体が入っている。


「この瓶で、私たちは意志を通わせていたのです」


“strawberry”と綴られたラベルを武藤へ向け、ミューは瓶を揺らした。


「飲み物を取るふりをして、私はメッセージを瓶に残していたのですわ」


「室内の備品なら全て目は通したさ。複数のプレーヤーが手に取ったものは特にね。

 瓶のラベルだって当然、調べたよ。桂木クンだってその程度のことはしたはずだ」


「それは武藤様。あなたの目を、私の策が欺いただけの事なのです」


 ミューの手に握られた瓶がゆっくりと傾けられる。それに応じ、液体が瓶の上部に偏ってゆく。


 そして瓶の口が完全に床に向いたとき、“それ”は武藤と鳴海の目の前に姿を現した。


 瓶の最下部に書かれたメッセージ。

 薄い口紅ルージュの文字で、“こちらが本物 悪魔に投票して”と書かれていた。


「真っ赤な液体の入った瓶の下部に、淡い赤の文字。瓶を逆さにしない限り決して見つけることはできないメモ。

 これが本当のメッセージだったのです。


 私はお嬢様の従者。お嬢様がストロベリーのシロップを好んで手に取ることも、瓶をひっくり返して運ぶ癖がある事も知っていた。

 この手段なら、確実に私のメッセージを見て頂けるとわかっていたのです」


 種明かしを聞いて、初めて武藤はアリスがバーをよく利用していたことを思い出した。そこで、赤い色のドリンクをよく飲んでいたことも。


「じゃあ、女子トイレのメモは……」


「勿論、偽物ダミーなのですわ。あなたたちをひっかける為だけの」


 ミューは嘲笑するような表情を浮かべた。


「桂木様も、もちろん武藤様も鳴海様もこのゲームまで生き延びた特別なプレーヤー。女子トイレにメモを仕掛ける程度のトリックに、あなたがた三人が気づかないなんてあり得ないのです。

 

 かならず誰かが女子トイレが死角であることに気づき、メモを見つける。そしてそれを逆手に取った戦略を組む。

 私たちの用意した、ダミーのメモであることも知らずに」


「では私も武藤も、桂木も最初から……」


「ええ。手の上だったのです。お嬢様と、私の」


 断言すると、ミューはモニターに視線を送った。


「現在のスコアは


 桂木   -40

 アリス  +40

 武藤   +10

 鳴海     0

 此処条  +30

 

 このピリオドに限って言えば、あなたたち2人は桂木様から情報を得て、お嬢様からポイントを奪うことができる。


 けれどそれもこのピリオドが最後。もう逆転のすべがなくなった桂木様はあなたがたと協定を組む意味がない。そして3人でこそできたはずの必勝手段が崩れた以上、仲間内で同立1位を狙うこともままならなくなったのです。

 

 そうなれば次のピリオドで始まるのは、桂木を除く4名の混戦。つぶし合い。

 あなたたちの同盟は完全に破綻なのです」


「好き勝手にやらせると思うのか?」


 悠然と構えるミューを威嚇するように、鳴海は睨みを飛ばした。


「お前が混戦を望むのなら、それも悪くはない。

 一対一の“戯れ”で倒すまでだ。お前もアリスも」


「勇ましい覚悟なのです。けれど、それは無意味。


 一対一の勝負など最後まで成立しないのですわ。

 だって私は、アリスお嬢様のポイントを増やすためだけに動くから」


 ミューはわずかの間も置かずに返した。


「私は自分の勝敗などどうでも良いのです。だって私は、お嬢様の為だけに存在しているのだから。

 

 私がそのつもりで臨む以上、あなたたちが独りで向かってこようと差は詰め切らせないのです」


 真っ直ぐに言い切り、ミューは微笑んだ。


 武藤も鳴海も、それ以上の応答を続けることはできなかった。続けても意味がないとわかった。


 二人もまた百戦錬磨。

 この場で現状をひっくり返す駆け引きなどあり得ないと、わかってしまったからだ。


 空気が硬直する。静寂の中で、残り時間を示す数字だけが数を減らしてゆく。



「まだ終わってない」



 プレーヤーたちの時間を再び動かしたのは、ホールに響いた青年の声だった。

 声の聞こえた先。対戦ルームの扉に視線が集まる。


 桂木千歳がそこにはいた。


「最後の駆け引きが残っている。逆転は可能だ」


 呆気にとられたように、プレーヤーたちは目を丸くした。ただミューだけがほんの少しの間を置いたのち、澄ました表情を浮かべて言った。


「ここからの逆転が可能だというの?

 そんな奇跡があるのなら、是非とも見せていただきたいものなのですわ」

 

 声には嘲るような色が混じっていた。けれど桂木は眉ひとつ動かさなかった。平然としていた。

 そして毅然としていた。


「そうか。じゃあ遠慮なく、勝ちに行かせてもらう。

 武藤、鳴海。よく聞いてくれ」


 2人の方を向くと、桂木は小さく息を吸った。


「次のピリオドで投票されるアリスのカードは“死者デッドマン”だ。


 そして勝負は決まる。

 お前たちが何をしてもな」

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